話(連載)

□円には遠い多角形
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「待てコラ土バカァァァ!」

「テメーの格好の方がバカだろーが!!」

「誰のせいだと思ってンだコラァァァ!」

校庭を突っ切っる最短コースで正門へと向かう土方を追い、泥水の上を走る羽目になってしまった。非常に不本意だ。しかしシャツをこんな風にされた以上、もう汚れるだとかそんなことはどうでも良い。またしばらくは制服を着る機会もないのだから、クリーニングに出せば済む話だ。
ただ、このワイルドを気取ったような格好で帰るのだけは避けたい。それを回避するためには、元凶となった奴のシャツを奪って着るしかなかった。

「オラァッ!」

正門も近くなってきたところで、土方の背中にタックルを食らわせた。ここまで走ってきた勢いが手伝って、二人して前のめりに転倒する。幸い、土方を下敷きにしたお陰であまり汚れずに済んだ。

「いてーな!危ねェだろーが!!」

泥水の中にうつ伏せになった土方が吠える。

「喧嘩ふっかけてきた奴が何言ってやがる」

その上で俺は余裕の笑みを浮かべた。これでシャツを剥ぎ取ってコイツを置いて帰ればいい。完璧だ。勝負は最後に笑った者が勝ちなのだ。

「さっさとシャツ脱いで寄越せ」

乗っていた体を起こして横にしゃがみ込むと、さっきとは反対の状態に満足を感じた。コイツにだけは勝たないと気が済まないのだと改めて実感する。
土方は泥だらけになった顔をこちらに向け、言った。

「寄越せったってオメェ…ドロドロになっちまったけどいいのか?」

「……………………あ」

起き上がってアグラをかいた土方は全身泥だらけで、白かったはずのシャツも茶色く汚れてしまっていた。なんてこった。いっそはだけている方がマシだ。

「お前マジでバカ杉」

「うるせェ!」

「あーァ。俺さすがにこんな格好で帰りたくねーんだけど」

「もとはと言えばテメーが悪ィんだ。諦めろ」

むくれる土方に取り合わず、もうさっさと帰ってしまおうと立ち上がる。途端、両足にしがみつかれ、バランスを崩して泥水に倒れ込む。

やられた…。

一緒になって転がっている土方は、泥にまみれた顔で心底嬉しそうに笑っている。道連れってか。もうどうにでもなりやがれ。そんな心境になって俺も笑った。
水は制服に染み込み下着まで濡らしているがもはやそれすら気にならなかった。俺も大分このバカに感化されてしまっているらしい。

「あ」

土方が小さく声をあげた。何かと問う視線を向けると、紙、と簡潔な答えが返ってきた。

「あー…紙、ね」

すっかり忘れていた存在を思い出す。俺たちがわざわざこの盆のド真ん中に学校まで来た理由。濡れたポケットに手をつっこみ、しわくちゃになった八つ折りの紙を取り出してみた。広げてみると、ボールペンで書き殴った字は所々滲んで、それでも読めないほどではない。東京から何時間かかるのか想像もつかない、とある県の住所。

「あのバカ田、覚えてやがれってんだ」

吐き捨てるように土方が言った。俺も同じ気持ちだった。



コンコン、と浴室のドアを叩く音が聞こえ、シャワーを止めた。小柄なシルエットに向けて、ハイと返事をする。
二人して泥まみれになった俺たちは、とりあえず学校から近い土方の家に帰ってきていた。そして客人である俺がまずシャワーを浴びさせてもらっていたのだ。

「晋助くん、十四郎ので悪いけど着替え置いておくわね。それと制服は一応泥取っておいたけど、お家帰ったらクリーニング出してもらってね。あとシャツなんだけど本当にいいの?叱られない?」

「あ、ほんと大丈夫なんで…すいません…ありがとうございます」

そう返事をして頭を下げると水滴が飛んだ。
無残な状態のシャツを見て、土方の母さんは弁償を申し出てくれた。しかし、考えてみればそもそも喧嘩になったのはお互い様だし、こうしてシャワーや着替えを提供してもらえただけでも十分ありがたい。シャツは同じのを何枚か持っているし、どうせもう1ヶ月くらいしか着ないのだ。遠慮するのは当然のことだった。

「いいのよお礼なんてー!いつもごめんなさいね、うちの暴力息子に付き合ってもらっちゃって。まったく誰に似たんだか」

カラカラと笑う声が聞こえたのだろう。リビングから土方が走ってくる音が聞こえた。霞んだシルエットが二つに増える。

「母さんあんま余計なこと言うなよ!!」

「あんたが余計なことするからでしょう!クリーニング代だって侮れないんだからね、わかってんの!?」

「だァからそれは高杉が」

「人のせいにするんじゃない!」

バチっと頭を叩く音が響いた。前から思ってはいたが、土方は確実に母親似だ。双方に文句を言われそうなので口にしたことはないが、家に来る度に新鮮な気持ちで似ているなァと感心する。すぐ手が出る所なんかは特に。
遠ざかりながらも続く二人の掛け合いを聞いて、小さく笑いながら再びシャワーを浴び始める。

するとすぐに微笑ましい気持ちは泡と共に流れていってしまった。そして泥の塊のような痼だけが胸に残る。
気付けば水滴にまみれた指先を見つめていた。濡れた小さな紙の感触が何故だか忘れられなかった。

あの大馬鹿野郎、見つけたら殴るだけじゃ済まさねぇ。

静かに沸き上がる感情の勢いに乗せてシャワーコックをひねると、小さな悲鳴のような音をたてて流水が止まり、後には体だけはすっかり綺麗になった俺が残った。






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