話(連載)
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森の匂い。
こんなに清々しい気持ちで散歩をするのは久しぶりかもしれない。
ここ数年サイバーテロに対抗するべく、大量の予算がシステム開発に回されていた。そのせいで伊東の率いる戦闘部隊には金が回らず、優秀な人材や武器を確保することが出来なかったのだ。
おかげでろくに訓練もしていない役人を動員する羽目になり、これまで多数の犠牲を出した。その責任はもちろん伊東に問われるだろう。
ふざけた話だ。予算さえあればあんな時代外れの化け物共を駆逐するなど容易いことなのに。
しかし、そんな歯痒い日々ともこれでおさらばだ。化け物も、奴等に与して政府に歯向かう馬鹿な人間共も皆、この世から一掃してやる。
それが出来るのは自分だけだと、伊東は幼い頃から確信していた。
胸元で再び、着信を知らせるアラームが鳴った。武市が捕まったのだろうか。はやる気持ちを抑えつつ応答する。
「武市に逃げられた!」
「逃げられた…?」
予想の真逆の真実を意味する言葉に、思わずおうむ返しをする。
「付近にいた奴等も全滅してしまったようだ!だが遠くには行っていないだろう!システムもすぐ復旧するから地図を送る、総員向かわせてくれ!」
耳を離すのも忘れ聞き入った言葉の一つ一つが、伊東の心中に信じられないという気持ちを募らせる。そしてこちらが問いを放つ間もなく、無情にも通信は断たれた。
大声を聞かされた耳は静かな森の中で高音を拾う。耳鳴りなのだと気付くまでに少し時間を要した。そのくらい呆気に取られていたのだ。
一瞬で世界が変わってしまったような気がする。風に揺れる木々にさえ、嘲笑われているような。
いや、実際に彼等は笑っているのかもしれなかった。
「…馬鹿にするなっ!」
からからに乾いた喉から声を振り絞る。
「殺してやる…!殺してやる!」
狂気を帯びた伊東の声は、爽やかな秋の風に乗って霧散していった。