話(高校生連載)

□ふらここ
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口ずさむメロディはいつどこで覚えたかも知れぬのに、止まることなくはみ出しては闇に溶ける。
星は僅かにしか見えない。

強く吹く風が目の前のブランコを揺らしている。誘っているようだ。

無人の公園になど良い思い出は一つもないが、それでもこんな欝屈とした気分のときには足が向いてしまう。
あの頃よりはマシだと、自分に言い聞かせているのかもしれない。

錆び付いた鎖の軋む音が、曖昧な、それでいて断固として途切れることのないメロディと相俟って、小さく不協和音を響かせている。
観客もなく、題名もない。

今、無性に会いたい奴がいる。
けれど、それは今、絶対に会ってはいけない奴だ。
会えばきっと傷つけてしまうだろうから。

傷つけたくないという感情が自分可愛さに出てくる偽善でしかないものだとしても、俺はそれ以外を知りやしないから、今は一人で居るより他はない。

せめて明日は普段通りを装えるように、阿呆になったつもりでただただ歌う。
そうしてなんとか一人で、排気や人の息や思惑で汚れた夜を越えるのだ。

キィキィと泣くブランコに、手を伸ばした。





生温い風は肌を撫で、吐き気に声をかける。
振り切りたくてブランコを漕ぐ足に力を込めるが、それは不快感を増すだけの行為だ。

本当はこんな場所にいること自体が間違いなのだ。この背を押す優しい手など、過去に遡って探したところで見つかりやしない。今も昔も己が孤独であることを実感するだけだ。

先月17になった俺は10年前とは違い、無理やり伸ばさないと地面に付かなかったこの足は、今では思いきり曲げないと砂埃を巻き上げてしまう。
これは成長なのか、それとも、喪失なのか。答えなど出す必要もない、愚問だ。

月明かりだけに照らされた寂れた公園で、ギィ、ギィ、という音だけが響く。小さな声で、歌にならない歌を重ね続ける。




そこに、足音が割って入ってきた。
車止めを避けてこの小さな公園に踏み込んできた人間は、真っ直ぐこちらまで歩み寄ってくる。
顔の細部まではわからなかったが、どうやら警察や変態の類ではなさそうだった。

そいつはブランコを囲う柵の前まで歩調を乱さずにやってきた。判別出来るようになったその顔には見覚えがある。
足を伸ばして、少し速度を落とした。

「なぁ、土方だろ?」

「お前…同じクラスの…あー…」

「さーかーた。つーかこんな時間に何やってんだ?」

「…見りゃわかんだろ」

躊躇なく俺に話し掛けてきた坂田は、面白がっているのか猫目なのか、俺の記憶より生き生きとした顔をしていた。
単に他人の領域に踏み込むのが好きなのかもしれない。面倒臭そうな奴に見つかってしまった。

「何時間ここにいる気だ?もう結構経つだろ」

「関係ねーだろ」

なんでそんなこと知ってんだ。そもそもなんでこんなところに来たんだ。
そんな当たり前の疑問を口に出すのも面倒で、もう帰れと言う代わりにスピードを上げる体勢に戻った。

「なぁ、俺んち来ねェ?」

「は?」

風を切る音を拾う耳に、不可思議な言葉が滑り込んできた。うっかり力を抜いてしまった俺の足は、ブランコの勢いを完全に殺いだ。
高い金属音をたてて振り子運動が止まり、体にその衝撃が響く。

「なんで…」

「手、痛くなんだろ?」

「手?」

「ずっとブランコの鎖握り締めてると、手ェ痛くなるだろ?」

僅かな惰性で揺れているだけのブランコから手を離して広げてみると、たしかに坂田の言う通り痛みを感じた。骨も筋肉も皮も全て、古くなった鎖のように軋んでいる。
今までこんなことはなかったはずだ。何度か開いて閉じてを繰り返すが、痛みはなかなか退いていかない。

「あと鉄臭くなるし、汗もかいたろ?帰りたくないならうち来いよ。一人暮らしだから気兼ねする必要ねーしさ」

「…放っておきゃいいじゃねーか」

たかがクラスメイト、しかもこちらからすれば名前すら覚えていない程度の仲だ。こいつが俺に親切にする理由など一つもない。
何か企んでいるのだろうか。

「実はさ、一人で帰りたくねーんだわ」

坂田はそう言って、薄闇の中で笑った。その笑顔は言葉を裏付けるように弱々しく見えて、不思議と行ってやってもいいかという気にさせた。

どうせ此処や家以上に酷い場所などありはしないだろうし。

「いいぜ」

もう完全に止まったブランコから立ち上がり、柵を挟んだ坂田の前に立つ。

「でもお前、覚悟しろよ?面倒なことになるかもしれねーぞ」

「おっけー」

坂田は気の抜けるような返事をして、俺に背を向け歩きだした。理由さえ聞いてこないことを不思議に思いながらも、柵を越えてその後を追う。

なんて安易な男なんだろう。うっかり居心地が良かったりしたらどうなるか、それは俺にもまだわからないのに。逃げ出したいと思う日々に、都合よくこんな誘いがあるなんて。もう家には帰れなくなるかもしれない。

いつの間にか風は止んでいた。二人分の足音だけが音として認識される。

手の痛みはすっかり和らいでいた。





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