話(高校生連載)
□冷点を、捨てる
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「やっぱまだ暑ィなー」
「今年も残暑は厳しいらしいですからね」
「さっさと高杉拾って帰ろーぜ」
夏休みが明けてから初めて来た屋上は、予想していた以上に暑かった。もう夕方と呼んでもいいような時間に差し掛かっているにも関わらず、照らされ続けたコンクリートにはまだ存分に熱が残っている。
7月の間はたとえ暑くても割りきって、汗を流しつつ過ごしたりもした。けれど9月の暑さは何故か受け入れられない。休みが終わった憂鬱のせいもあるのだろう。あるいは8月の間に常識というものを覚えたのかもしれない。
俺たちは一分も経ずに、屋上を後にした。
坂田と山崎は自転車を取りに先に校舎を出た。
俺は一人、図書室へと向かう。
校内は不思議と静まり返っていた。もしかしたら不思議でもないのかもしれない。夏休み前もこんなもんだったような気もする。
蒸し暑い廊下を、西日に照らされながら進んで行く。
汗の滲んだ額を拭う手は、いつものことながら冷えきっていた。どれだけこの身が熱を持とうと、両手だけは無関心を装うかのように温度を変えることがない。
昔はよく、商売相手に気味悪がられたものだ。今年の夏なんかは暑がりな坂田に重宝されたが。
たてつけの悪い図書室のドアを開くと、少し涼しい空気が熱を帯びた体に当たった。
貸出のカウンターに座る男が顔を歪めた。それを横目に見ながら何食わぬ顔で通り過ぎる。たしか、何度か相手をしたことがあった。思い出したくもないので、すぐに頭を切り換えて忘れ去る。
高杉は、いつも通り一番奥の席に座っていた。他に利用者の姿はない。魔王が怖くて帰って行ったのだろう。悪い噂なら俺と同じくらい流れている男だ。
「たかす…」
声をかけるのを、途中で止めた。息をつめて、目の前の高杉をまじまじと観察する。
頬杖をついて俯いて、机の上に開かれた本に集中しているのだと思っていた。
けれど近くに寄って見てみれば、高杉はどうやらうたた寝をしているらしいのだ。
珍しい…。
寝ている高杉なんてそう滅多に見られるもんじゃない。起こさないように注意しながら、その寝顔をよく見ようと覗きこんだ。
いつも鋭い視線を放っている隻眼は閉ざされ、微かに開いた唇の隙間からは小さな寝息が洩れている。
黒髪のかかる白い頬が、綺麗だと思った。無駄な肉のない頬は、それでも柔らかくて気持ち良さそうだ。
触れたら、目を覚ましてしまうだろうか。
この冷えた手は、無意識に振り払われるかもしれない。そうなったら俺はまた、大層悲観して落ち込むんだろう。止めておいた方が身のためだ。
少しだけ癖のある黒髪に西日が照り反っている。手を翳すとほのかな暖かみを感じた。
「好きだ」
声にならない吐息でそう告げる。それだけで顔に熱が上がってくる気がした。けれど変わらずに俺の手は冷えたまま、9月の夕陽と高杉の間で静止している。
胸に巣食う焦燥も感情の高ぶりも、今はまだ俺をはっきりと突き動かすほどではないのだろう。
それでいい。時間ならば残っている。この疼きに堪えてさえいれば、もう暫くは一緒にいられるのだ。
「高杉、帰ろーぜ」
いつもの調子でそう言う。起きる気配がなかったから、耳元で両手を一度打ち鳴らした。狙ったよりもずっと大きい、乾いた音が図書室中に響いた。
高杉は一瞬なにが起きているのか理解できないような顔で、俺を見上げた。普段なら決して見られない呆けた表情に、思わず噴き出して笑う。
今日はついているのかもしれない。
「…うぜェ…」
バツが悪そうに呟いて、高杉は前髪をかきあげた。まだ眠そうに細められている目が可愛らしかった。
今日の夕飯はたくさん食おうと、何故かふと思った。
終
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