話(高校生連載)
□落下、防ぐ術なく
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「もうちょい上です」
「ここか?」
「それよりは下ですね」
「こうか?」
俺を見下ろす旦那にOKのサインを出す。頷き、青い壁に白い紙を金色の画鋲で留め、旦那は椅子から下りてきて俺の横に並んだ。二人で飾られた一枚を見上げる。
「…地味だな」
「俺の顔見て言うのやめてくれません?」
「お前と同じくらい地味だよなー」
「言い直さんでいいです」
「よし、なんか花的なもん作って囲むか!」
「あー、そうですね。あとで文房具屋行ってきます」
旦那が油性マジックで書き上げた『土方誕生日おめでとう!』はお世辞にも良い出来とは言えなかった。もともと下手な字は大きくなったことで無駄に存在感を増しているし、心なしか全体が右肩上がりだ。そのせいで折角紙を真っ直ぐに貼ったのになんだか曲がっているように見える。地味なことも確かだが、それ以上に間が抜けていた。これは相当飾りつけしないと誤魔化せないだろう。
幾重にも線を重ねて太くした文字から、強い気持ちは伝わってくるんだけど。
「よし、次はケーキ焼くからな!」
息を吹き返した魚のような目を輝かせ、旦那はいそいそとキッチンに入って行く。このテンションで夜まで過ごすんだろうか。本人は無尽蔵とも思える体力の持ち主だからいいが、付き合うこっちが疲れてしまいそうだ。
シンクで手を洗う流水音が聞こえてくる。それに混じって、聞き慣れない着信メロディが流れてきた。オルゴール調の静かで哀しげな音楽。クラシックのようだが、そっちの方面にはとんと疎いので曲名なんかはさっぱり分からなかった。もちろん俺の携帯から鳴っているのではない。
対面カウンターの向こうを見ると、旦那は固まっていた。シンクの前に立ち、やや前屈みで俯いている。表情は読み取れない。危険を察知した野性動物のような、ぴりぴりとした制止状態。
「どうしました?」
声をかけるも返事はなかった。水の音と、知らない音楽だけが青い部屋に響く。
土方さんや高杉さんからの連絡でないことは明らかだ。だとすれば、旦那に電話を寄越してくるような相手は…。
近寄るための一歩を踏み出すと同時に、何度か繰り返されていたメロディが唐突に終わった。
「…旦那…?」
「…気にすんな」
「でも、」
「何でもねェから!」
繊細なガラスなら破壊してしまいそうな、強く鋭い声。気圧されると同時に懐かしさを覚えた。こんな風に怒鳴られたのはいつ以来だろう。
俺の記憶の反芻を打ち切るように、水音が突然激しさを増した。びくりと肩が震える。
「…わりィ」
顔をあげた旦那の萎れた銀髪の先からは、水が滴っていた。水も滴るいい男。そう形容するには表情が情けなさすぎる。声を荒げた自分に落ち込んでいるのだろう。
昔なら一暴れした後にようやくこんな風に落ち着いたものだが、大分感情のコントロールがうまくなったらしい。
「…もう、大丈夫だ」
「じゃ、作りましょうか」
「おう!」
きっと大丈夫だろう。こんな素晴らしい日に、悪いことなんて起きるはずがない。タオルで頭を乱暴に拭いながらひきつった笑みを浮かべる旦那を見て、俺も強引にそう思い込んだ。