話(高校生連載)

□何と引き換えにすればこの祈りは
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昼休みの始まりを告げるチャイムが鳴った。

教師が宿題の範囲を告げて出て行く。途端にそれまで静かだった教室が活気づいた。我先にと走り出て行く生徒もいる。購買にでも向かったのだろう。

馴染みの喧騒の中で、教科書やペンケースを机の中に仕舞う。伸びをするついでに高杉さんの席を確認した。もちろん主は不在だ。まだ屋上にいるのだろう。

教室を出て、湿気で満ちた廊下を歩いて行く。上履きのゴムがワックスの剥がれた床と擦れて小さく音をたてる。軽く跳ねているように聞こえる反面、しつこく粘りついているようにも聞こえる。捉えどころのない音だ。

土方さんのクラスが近付く。手前のクラスをついでに覗いたが、旦那は既に不在だった。土方さんもどうやら出発した後らしい。一人で屋上への階段を目指した。




時間が戻せたらどんなにいいだろう。最近、またそんな不毛なことを考えてしまうようになった。

あの日から、土方さんはどことなく他人行儀だ。俺の心配は全て、作り笑顔と当たり障りない返答で流されてしまう。
ガラスケースに入ったマネキンを見ているようだと思う。傍にいるのに、触れられない。目が合っているのに、感情を読み取ることが出来ない。

あの時、俺がすぐに旦那を止めていれば良かったのだろう。事情を知っていて、何が起こるか予測出来たのは俺だけだった。力では敵わなかっただろうけど、声を掛ければ高杉さんだってすぐ加勢してくれたはずだ。

それでも黙って見ていたのは、旦那には殴る権利があると思っていたからだった。俺は、旦那がどれだけあの人を恨んでいるか知っていた。その立場だったら、きっと俺も同じようにするだろうと思っていた。

でも、それは愚かな間違いだった。

どんな理由があろうと、一方的な暴力は歪みを生むだけだ。

事情を知っていても、否、知るからこそ、俺は自分がうっかり殴られようがなんだろうが、旦那を止めなくちゃならなかった。

それをしなかった報いが、今のこの状況だ。

守ると決めた人を傷つけ、静かに拒絶されている。後悔と自己嫌悪に苛まれている。




重い足取りで、最後の一段を踏み捨てた。最上階。

薄汚れたドアの前で、曇天の下にいる人のことを思う。曇天の上にいるであろう人のことも思う。二対のよく似た色の瞳を、閉じた瞼の裏に浮かべる。

不毛な思いはまとわりついたまま離れない。体が重い。気持ちもただただ沈みゆくばかりだ。

それでも、もう現実から目を背けないと、あの日に決めたのだから。

ドアノブを回し、勢いよく外に出た。




 
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