夢物語
□あの手とその手と私の手
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椅子を並べてその上に寝転び、ピアノの音を聴くうちに眠りこける。週に一度、部活の定休日にだけ過ごせる贅沢な時間。大会前で休みがなかったから、今日ここに来るのは少し久しぶりだった。
「そんで先生が椅子蹴っちゃってさ」
「それすげーレアじゃね?つーかじいさんキレさすなよ、ぽっくり逝っちまうぞ」
「審判に言ってよそれはー」
同好の士である土方とたらたら近況を伝えあう。いつもは五分くらいで終わるんだけど、今日は久しぶりということもあって話が長くなっていた。
お互いうつ伏せに寝転がり、頬杖ついた顔を見合わせている。間には、太目の人が二人並んで通れるくらいの距離。この位置関係は、最初からずっと変っていない。私と土方は、近すぎず遠すぎずの心地よい友人同士だ。
そして、私たちの間にはいつもピアノの音がある。
「なんかさ、前より優しい音になった気がしない?」
「え……そ、そーいうの分かるのかよ、意外……」
「失礼な。……ねえ、私が来てない間になんかあった?」
「んなっ……!?」
間抜けな声を上げて、土方はびくりと体を震わせた。ギャグかと思うような分かりやすすぎるリアクションだ。なんとなく聞いてみただけなのだけど、どうやら私は特ダネの尻尾を掴んだらしい。
土方は呆然とした顔で私を見ている。「隠しても無駄だよ」という意味を込めたわざとらしい笑みを浮かべてみると、土方の顔が緊張で固まるのが分かった。
その間にも、ピアノの音はドアを抜けて私たちの耳に届く。人の心にそっと寄り添うような、優しく、穏やかな音。
この前までは、悲しくて孤独で攻撃的な音色だった。それが、私が来ない三週間のうちにこれほど変わったのだ。そりゃ何かあったかと思うだろう。
「な、な、なんもねーよ!」
「どもってるけど?」
「……あー……」
土方は困りきったような唸り声を上げて、俯いた。黒髪から覗く耳の端が赤い。可哀想だしあんまり追及しないでおこうかな。でも気になる。
そんな風に考えていると、土方が顔を起こして、まだ迷いの残る目で私を見た。
「えっとな、おまえには嘘つきたくねーんだけど……、多分、ひくぞ?」
「んー、ひかないよ?なんとなく分かったしね」
「……マジでか」
「すっごい、睨まれてるから」
「え?」
私の視線の先を追って、土方が体を起こして振り返る。準備室と音楽室を繋ぐドアの小窓から、高杉がこちらを鋭い目付きで見ていた。
すぐに軋みをたててドアが開く。
「おまえら、聴くならこっちで聴け」
「でも、人がいると集中できねーって……」
「見えねェとこで騒がれる方が気になんだよ、いいから来い」
わー、妬いてる。完全に。
私は笑いそうになるのを必死で堪えつつ、ぎこちない足取りの土方に続いて準備室を出たのだった。
終