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□続・二択問題
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かなしかった。

だんだんと僕を抱く力を失ってゆく君の腕の中で、言いようのない喪失感を覚えていた。
時間が留まることなく流れるのを、こんなかたちで知りたくはなかった。



「どうして、」

頭を占める疑問がそのまま口をつく。どうして。

「僕を、拒まなかったんだ」

君は答えなかった。

死んでしまったのだろうか。慌てて血で染まったシャツの胸元に耳をあてると、
頬がどろりと塗れた。

鼓動が微かに聴こえてくる。出血はかなりの量なのに、心臓は未だに正常な働きをしているのか。僕は自分の心が急速にひえていくのを感じながら、今度は腹を刺した。


柔らかな肉に硬いナイフを突き刺す行為は君のからだを無理矢理ひらいて繋ぐ行為を連想させ、どうにも興奮する。
こんなことを思うじぶんはやはり狂っているのだろう。



君は低く呻いた後、その痛みに歪められた顔からは想像もつかない澄んだ声で囁いた。

「愛されているからよ」

辺りには彼女の呼吸音が響く。
僕は血塗れの彼女に、憐憫の情を感じた。
かわいそうなひとだと呟き、笑いながら優しく諭す。

「愛されてる?君が、僕にかい?そんなわけないだろう」

君は僕の目を見つめた。どのような意図でそうしているのかよくわからない。

「暴力は憎しみだよ。愛というのはもっとあたたかくて優しいなにかだ。可哀相な君はそれをしらない。だからそんなふざけたことが言えるんだ。僕は君をこんなにも憎んでいるのに」

君の目が次第に虚になる。けれどもはや耳に届いているかどうかなんてどうでもよかった。
僕はただ必死だった。
喚かなければ、何かが壊れてしまう気がした。

「君は可哀相だ。君はとても可哀相だ。僕は君をまったく愛していないが少しだけの同情心はあるよ。一時の快楽にだけ利用される女を哀れだと思わないやつがいるだろうか。僕は君を強く憎み、そして憐れんでいるんだ。
…なあ、君も少しは何か言ったらどうだい?」



僕はもはや体温を失いつつある君を見下ろしたが、様子はよく見えない。
質量はしっかりと感じるのに、腕の中はぼんやりと赤く滲むばかりだった。
違和感を感じ軽くまばたきをすると視界は晴れた。

彼女はいつのまにか目を閉じ、そして驚いたことにうすく微笑んでいた。
何かをおおいに満足しているような安らかな表情を浮かべて。

「最後になるし、真実をおしえてあげるわ」

響いた声は、もう先ほどのような澄んだものではなかった。醜く掠れた言葉を紡ぐ。

「わたしはあなたを憎むけれど、わたしはあなたを愛してる」

僕は思わず音を立てて息を吸った。
君があまりにも苦しそうだから、空気中に酸素が足りていないように錯覚したのかもしれない。

「あなたは私に愛されてる。
あなたにはあなたが見えないから、わからないだけ。
あなたは私の愛に包まれてる。だからどんなことをされても、私はそれを受け
入れるのよ。わかるかしら?」

一つ一つ絞り出すような切れ切れの音節は、君の死期が近いことを告げた。
瞳は軽く閉じられたままで、まるで眠っている人形のようだ。瞼を縁取る睫毛が、一瞬震えた気がする。

「……あなたも、わたしを、あいしてほしかったな」



音など無いに等しい空気の揺らぎは、けれども確かにそう聞きとれた。
すぐに、肩や胸に重みがかかる。君の頭ががくりと力なく、僕の腕に垂れる。

無意識にえ、と僕は口を開いていた。
君がたった今発した言葉が、何度も脳内で反芻される。
混乱するあまり、視界が真っ白に染まった。
まさか、でも、なんで、そんなことが。
意味をなさない単語ばかりがいくつも浮かんでくる。
まさか、でも、なんで、そんなことが。


君は、僕の真意に気付いていなかったのか?

なんてことだ、君は。
僕に愛されてることを知らずにたった一人でこの世を去ったのか。
僕は、てっきり、君は既に知っているのだとばかりに思っていた。
君へ抱く僕の感情など、とっくに。


荒かったはずの息が、いつの間にか音を失っている。


僕はただ、怖かったんだ。君に想いを伝えるのが怖かった。どんなに傷付けてもそれを甘受する君が理解できず、ただ恐ろしくてならなかった。君は僕を憎んでるだろうと、どんなことをしても手に入らないと、そう思っていた。

本当はいつも、こんなに強く想っているのに。
何故、彼女には伝わらなかったのだろう。
言葉にしなかったからだろうか。
それとも彼女の言ったとおり、君が君自身を見ることができないからだろつか。
君と僕が他人だから、こんなことが起きたのか。

「     」

今さら口にした彼女への言葉は祈りにも似ていて、まさに魂が叫ぶ懺悔そのものだった。悪党の僕がそんなことを出来る訳がない、だからこれは夢の中の出来事。
そう自分に言い聞かせた。

君と僕の意見は背反した。


そうだ、これは夢なのだ。
僕は確証を得るためにナイフを、君を抉ったナイフを、再び握る。
願い事を考えながら、自身の胸に突き立てた。




生まれ変わったら君になりたい
世界に君と僕が一人ぼっちなら、もう二度とかなしいことは起こらないから
心臓が刻む音を一つも聞き逃さずに共に生きよう
二人の間に言葉はいらない
ただ愛と愛をひとつに重ねるんだ
君と見る世界であれば、それが現実が夢かなんて関係ない
あんな二択問題は、存在しない世界なんだ
そしたら死ぬときも、
一緒だから




「さようなら、君のいない世界」
世界の端っこで僕は叫んだ





END
 

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