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□おちてゆく
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雪は大地に重なる。

一片一片はちいさく、少しずつ。
けれども長い時間が経つにつれ一面を覆い隠し、確実に世界を白く侵食してしてゆく。

――まるで、彼女のようだと、感じた。




冬の海なんて、間近で見るのは初めてかもしれない。
空からふわふわと舞い降る雪が黒い海に吸い込まれていく様はどこか幻想的だった。


「真柴君、見て。すごいわよ」

呼ばれるまま後ろを振り向くと、海が無いせいで恐ろしく単調な白の世界が広がっていた。
辺りの景色は降り積もる雪が光を反射して眩しいくらいきらきらと輝き、目が痛むせいで長くは直視できない。
銀世界とはよく言ったものである。


身を切るような風の冷たさに顔をしかめていると、声の主である美しい女、清水と目が合った。

恋人同士という甘い言葉が恐ろしく不似合いな爛れた僕たちの関係を、他人はなんと呼ぶのか。
それは清水の夫でありそして僕の幼馴染みである馬鹿な男を、数年に渡って裏切り続けることで成立する後ろ暗いものだった。






「狂気の色は白なんですって。昔誰かが言っていたわ」

確かにそうなのかもしれない、と僕は思う。
上を見上げても足元を見下ろしても変わり映えしない視界は、自分がどこに存在するのかさえ見失う錯覚をしてしまうから。

けれど僕はその発言など聞こえなかった振りをして、話題を変える。
件の幼馴染みの顔を思い出したからだ。

「そういえば、慶介は元気か」

清水は一瞬呆れたような顔をしてみせたが、すぐにいつもの表情に戻った。
恐ろしい程整った造形に優雅な微笑を浮かべる様子は、美し過ぎるせいで人間味が無い。


「もちろんよ。…真柴くん、会社で毎日会っているじゃない。どうしてわざわざ私に聞くのかしら」

僕が黙ると、清水は微笑みを崩さず唐突に言った。

「真柴君って本当に慶介さんと仲が良いのね。羨ましいわ、そういうの。私は親しい友達がいないから」

清水の毒を含んだ言葉に、僕はこれ以上無いくらい不快感を浮かべた表情を以って対抗した。


「適当なことを言うな。僕は馬鹿は嫌いだよ。あいつはただの幼馴染みで……今は遊んでやっている女の夫、の方が正解に近いかな」

最後の方は、清水を貶めるような下世話な口調をもって嘲笑してやる。
彼女はいつも僕の不意を突き、触れられたくない部分を容赦無く攻撃する。

この女が、嫌いだ。
僕の弱みを握るこの女が。



「嘘ね」

気まずい沈黙がしばらく続いた後、降ってくる雪に手を伸ばしながら清水は呟いた。

手袋をしていない白い手は、とても冷たそうに見える。
あの指で首筋をなぞられるのを想像し、思わず身が震えた。

「真柴くんが慶介さんにそんなことを思うはず無い」
その通りだった。
吐き気がするほど、清水の言うことは正しかった。

だから僕は返事をしない。
彼女の言葉は、いつの間にか強くなった風に掻き消されたことにしておこう。



「それに、どちらかと言えば玩具にされているのはあなただしね」

実際は続けられた言葉さえ、しっかりと聞こえた。
本当に吹雪とともに消えていたのなら、どんなによかっただろうか。






To be continued.
 

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