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□銀の糸の紡ぎ方
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掬う、零れる。
光が躍る。



何時も身形が整っており、長太郎の髪や服装は乱れた所などない。完璧なその姿に魅了される女子は多い。つーか、見惚れない奴なんか居ないだろう。
そんな長太郎が、珍しく寝癖の付いた髪で学校にやって来た。聞けば、目覚まし時計が止まっていて、菜々子ちゃんに起こされるまで眠っていたとのこと。
完全無欠の我らがリーダーだが、時々こんなお茶目なことを仕出かしてくれる。そのギャップが堪らないと、特捜隊の女子達は笑っていた。
「まぁ、それにしても凄い頭だな」
必死に髪を手櫛で直す長太郎を目の前にして、俺は染々と呟いた。何時もなら癖の一つもなく流れている銀灰色の髪が、今日は方々に跳ねてしまっている。まるで種から発芽したばかりの新芽のようなその頭に、思わず笑みが浮かんでしまう。
「寝癖は付き難い筈なのに、今日に限ってこんな風にならなくても…」
溜息混じりで長太郎は肩を落とした。あちこちに跳ねた髪が、朝の光を弾く。乱反射する光の粒子が、冷たい空気に映えて悪くないと思う。
でも、里中や天城が来たら、目を丸くすることだろう。男としての格好が着かなくては、長太郎も気の毒だ。
「よし、俺に任せとけ!」
自分の鞄を掴んで、俺は長太郎の腕を引く。不思議そうな顔をしながら大人しく着いてくる彼の髪が、ひょこひょこと跳ねて、とても可愛らしかった。


場所は変わって、ここは実習棟の男子トイレ。人気はないが、時間が惜しいので早速作業に取り掛かることにした。
「陽介、一体何…?」
「黙って俺に身を委ねろよ」
うーん、こんな台詞一回は言ってみたかったんだよな。鏡の前に長太郎を立たせて、鞄から必要な物を引っ張り出す。折り畳み櫛に、スタイリングミスト。二種類のワックス、ハードスプレー。毎朝俺が髪のセットに愛用している物ばかり。
「お前は某猫型ロボットか」
「各種商品を、ジュネス一階のコスメコーナーで取り揃えております」
さっと櫛で長太郎の髪を梳く。髪は全く絡むことのない櫛通りで、するりと滑って解けた。
それからスタイリングミストを跳ねた髪全体に吹き付けて、湿らせていく。細かな霧が銀灰色の髪を覆い、僅かに色が深まる。
前々から思っていたけど、本当に長太郎は綺麗だ。髪の毛一本でさえ、上質の絹糸のような艶を湛えている。カラーリングの所為で毛先が痛んでいる俺とは大違いだ。
思わず見惚れてしまいそうになるが、気を取り直してセットに入ることにする。まず、キープ力の弱い方のワックスを手に取って、掌全体に伸ばす。
「あ、陽介の匂いがする。この匂い好きだよ」
淡い笑みを浮かべて長太郎が言う。何時も抱き合う度に、鼻先をこのワックスの匂いが掠めるのだろう。擽ったいような気持ちを抑えて、髪にワックスを馴染ませていく。
さっと全体に揉み込んで、跳ねてしまった髪を目立たないようにしていく。割りと素直な髪は、幾分の落ち着きを取り戻して緩やかな流れを作っている。
「おぉ、いい感じ」
手触りの良い髪に指を通す感触が心地良い。鏡越しに見た長太郎も、安堵したような表情だ。恐らくあの頭では、精神的ダメージが大きかったに違いない。
次はキープ力の強いワックスを指先に掬う。面倒だけど、俺は二種類のワックスを使う方が好きなのだ。
それを毛束を作るように、長太郎の髪を摘まんでいく。トップ、サイド、襟足と、毛の量が多い所から順番に。
まだ微妙に跳ねた髪も、癖を生かしつつ、左右のバランスを取っていく。最後は前髪を掌に残ったワックスで軽く流す。何時もなら完全に隠れている長太郎の額が覗いて、新鮮な気がする。
仕上げにハードスプレーを振り掛けて、キープ力を上げておく。一日崩れないように祈りながら。どうせ多忙な長太郎のことだ。放課後から夜に掛けて予定で埋まっているだろう。
無理はして欲しくないと言い出せない。けれど知らない所で笑う長太郎の顔を想像して微妙な気持ちになる。
「よし、終わり!」
綯い交ぜになった感情を振り払うみたいに、長太郎の肩を叩いてやる。髪型だけで、何時もより大人っぽい雰囲気に見えるのだから不思議な物である。学生服の中に着込んだ白いシャツが眩しかった。
「誰だ、これは…」
長太郎は鏡を見詰めて、目を点にして驚いていた。子供のような無防備な表情で。それは他の誰にも見せたことのない、俺だけが知る表情なんだろう。
「センセイ、男前〜」
鞄に整髪料を詰め込みながら茶化してやる。途端に光の弾き方を変えた銀灰色の髪が、視界一杯に広がった。
「…長太郎」
「有難う、陽介。本当に」
抱き締められたことに気付くまで、少し掛かってしまった。ここは学校で、しかもトイレだ。でも長太郎の匂いの中に、俺のワックスの香りも混ざっていて、自然と笑みが浮かんで来る。
決して一つにはなれやしない俺達だけど、こんな風に抱き合うことは出来る。隣に並んで、歩ける。
「馬鹿、苦しいって」
じんわりと目蓋の奥が熱くなるのを感じた。広い背中に腕を回して、伝わる温もりを享受する。滲んだ視界の中で、愛しい銀の糸が揺らいで、綺麗だと思った。
授業開始五分前を知らせるチャイムが聞こえたけど、どうかもう少しだけこのままで。
冬の終わりを告げるような、光の波紋を抱き締めながらそう願った。


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「桜の花〜」の対になる話。
男性の髪のセット仕方をしつこく聞いたのに、快く答えてくれた友人君に感謝。
書いてる途中で放置していたので、着地点を見失ってしまった。

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