ネバーランドの時計

□第1章 研究学園都市=悪の組織
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 最近の子どもは社会性が低いだとか、対人関係を上手に築けないだとか言われてるけど、それを主張する大人どもが作る社会が不況で暗くて幸薄い雰囲気で自殺者三万人越えする社会ならそもそも求められる「社会性」が間違ってるのではないかとオレは思う。大人が期待する社会性を持っても幸せになれないのならそれを期待するほうが間違いだ。

「かなた、サッカーやろうぜ!!」
「ごめん、先に読みたい本があるから。」
「だめだ、入れ!じゃないと俺たちのチームが人数たんねぇんだよ!!」

 双子の兄であるゆくえはそう言って教室から走り去っていった。
 確かにわが兄ながら社会性が足りてない感は否めない。でもゆくえの場合は、子ども全体という母集団からみてもかなり社会性が足りない。一般的にいうなら自己チュー。
 オレはランドセルに筆箱とメガネケース、読みかけの本が入っている事を確認して席をたつ。
 小学校という組織は何かにつけて集団行動を取らせたがるのだが、さすがに五年生になると集団下校の義務はなくなった。といっても両親共働きのオレとゆくえの帰宅先は自宅ではなく小学校横の児童館である。
 放課後の子どもたちの地域教育を目指したのか、この地区の小学校横には必ず児童館が建っている。オレの小学校の場合、児童館横には保育所、さらに公民館と並んでいる。
 その松宮児童館こそ、俺たちが帰宅する場所である。

 児童館という場所は主に両親共働きの家庭が仕事が終わるまで子どもを預かってもらう場所である。学童と呼ばれる正式に申し込みをした子どもの他にもただ遊びにきた来館者や俺のような学童卒業生まで多くの子どもたちが放課後になると訪れる。

「おかえり〜」
「ただいま!」

 まるで自宅に帰ってきたかのように受け入れる先生たち。たいていはおばちゃんか、ババアに片足突っ込んでる先生たちはよく言えば面倒見が良く悪く言えば口うるさい。何かを教えてくれるわけでもなく、ただ片付けが出来てないだとかもう宿題をやる時間だとか暴力をふるうななどと叫ぶのが仕事。正直「先生」と呼ぶべき職種なのか疑問だ。
 読みかけの本をだし、定位置にランドセルをしまったところで後ろから声をかけられた。

「かなた、ゆくえが外で叫んでるよ。」
「気にしなくていいよ。俺じゃなくても大丈夫だから。」

 振り返るとニヤニヤした顔で笑っている先生の姿があった。やばい、面倒なのに捕まった。
 ほぼオレと身長の変わらない谷部という女は、ここでは最年少の先生だ。大学卒業後、なぜかこんなとこに就職した変わり者。しかも、性格もかなり変わってる。というかやり難い。
 冷淡なリアクションすれば、たいていの大人はほっといてくれるのになぜか余計に絡んでくるのだ。

「そんなこといって、大事なお兄ちゃんでしよー。かまってあげなよー」
「好きで兄弟なわけじゃないし。」
「きっと腹の中でゆくえが選んだんだよねー。こいつを俺の弟にしてやる!、みたいな。」

 あり得ない想像なのにすごく想像できてしまった自分を一瞬嫌になる。それが表情に出てたのか谷部は余計に笑った。

「まぁ、天気もいいし外いって遊んどいで。人数揃ったら抜けてきていいからさ。」
「谷部先生が入ればいいじゃん。」

 思わずつぶやく。
 すると、あっけらかんと谷部は返答した。

「やだよ、疲れるもん。」

 仕事変えやがれ、税金泥棒。
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