■小説1

□なにもいらない
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題:「なにもいらない」
  [其の壱]
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如月−陰暦二月の別名である。
「衣更着」とも書かれ、寒さ厳しく重ね着を致すといった事よりこう呼ばれる。

暦の上では立春を過ぎたというのに、底冷えする朝の寒さは春未だ遠い事を感じさせ、二日前の雨の名残である水の溜まりは、透明に固く凍りついている。そんな如月の或早朝のこと。

此処、十二番隊隊首室は、隊長浦原喜助の自室で、渡り廊下の隅に在った。
外は朝だというのに未だ薄暗く、空には弓張り月が名残惜し気に顔を覗かせている。このような時間であるからこの渡り廊下を歩く者など誰も無く、只々しんと静まり返っている。

そんなまだ薄暗い廊下側の隊首室の障子が、今静かに開かれた。中より姿を見せたのは、蒼髪金眼、白磁の肌の人物−開発局副局長と十二番隊三席を兼務する涅マユリであった。
常に奇妙な化粧で覆われた、誰も知らぬマユリの素顔。彫像のような横顔は、実に息を呑む程の、凄艶たる美形であった。

「マユリさん…」

そのマユリが障子より出ると、中よりその手を掴む者がある。
その声から察するに、声の主はこの部屋に住む、隊長である浦原で間違いない。浦原は半身を廊下へと踏み出しているマユリの手を引き寄せると、薄い寝巻代わりの肌襦袢を着ているマユリの繊細な身体を、その胸の中へ抱きしめた。。そうして愛しくて堪らぬというように、マユリの藍色の髪に顔を埋める。

「…誰かに、見られるヨ…」

「そんなこと…構わないっス」

少し抵抗したマユリの身体は直ぐに脱力し、浦原の内に大人しく収まった。この状況から察するに、二人は恋人同士と言った所であろうか。夜通し抱き合い朝となり、マユリは誰にも知られぬよう自身の部屋へと戻るのであろう。

「愛してるっスよ。…今宵はボクが部屋へ行きます。待っていてください」

耳元の突起へ囁く名残惜しむ浦原の腕を摺り抜け、マユリは冷たい廊下に出る。凍りつくように冷えた廊下は、素足には痛い程であった。

その姿を見送る浦原に振り向きもせず、マユリは歩む。キシキシ、と軋む板張りの小さな音ですら、眠る他の隊士達を起こしてしまわぬかと思えてしまう。角を曲がり自室の前へと辿り着くと、マユリは漸く安堵したかのように小さな息をつく。吐く息が白く唇に纏わり付いた。

マユリが浦原と身体の関係を持つようになったのは、開発局を創設して間もない頃であった。

浦原とは長い付き合いではあったが、それはあまり良いとは言えぬものであった。かの有名な地下監獄「蛆虫の巣」にて対極の間柄であったからだ。浦原は当時、二番隊で隠密機動第三分隊「檻理隊」部隊長を務めていた。囚人を監督・檻理する「看守」という立場にあり、一方マユリは狂人とされ、唯一地下独房の檻へと幽閉された囚人であったのだ。
看守に好意を持つ囚人などいる訳も無く、マユリも例に洩れずその一人であった。

それに浦原には謎があった。
マユリのいる地下独房にどういう理由か、足繁く通って来るのである。本来看守はそのように特定の人物のみ気にかけるなど以っての外なのであろうが、時間が有れば日に幾度も訪れる浦原に、マユリは強い懸念を抱き警戒した。

その原因を漸く理解したのは隊長となった浦原が、まだ年若い副隊長の猿柿ひよ里なる少女と共に、マユリのいる地下牢獄へと訪れた時だ。自隊の傘下にこれ迄尸魂界に存在しなかった組織を創ろうと考えた浦原は、マユリの力が欲しいのだと言う。マユリは一旦断ったが浦原の瞳の中に病んだ闇を見い出し、面白いとその憎たらしい口車へと乗る事にした。

こうしてマユリは十二番隊に入り三席となり、隊舎へと住まう事となった。
「蛆虫の巣」より解き放たれ、自由の身となり過ごす初めての夜。もうあの固い石柱の上で寝る事も無いのだと多少なりとも感慨深く思っていたその時、不意に障子の外より声が掛かった。
遣いの同隊の下級隊士が、浦原が自室にて話があり待っていると言うのだ。昼間言えぬ事なのであろうかと、マユリは疑問に思いつつ浦原を尋ね、そのままそこで一夜を過ごす事となった。

浦原はマユリを自室へと呼び寄せ、畳の上へと押し倒した。マユリの唇をその唇で塞ぎ、舌の絡まる深い口づけを致し、マユリを裸に剥いたのだ。

マユリは驚きはしたが、瞬時にそれを理解した。
長い間ずっと消えずに燻り続けていた、浦原に対する靄々とした疑念。自分を見詰める浦原の目の中に有ったものは、紛れも無い雄の欲望であったのだ。

「ずっと、こうしたかった…」

と浦原は言った。マユリを「愛している」とも。

そんな睦言をマユリは浦原に組み敷かれ、腰を使われながら、ぼんやりと聞いていた。

別に浦原に愛を囁かれ、その言葉を鵜呑みにした訳でも無い。ましてや、マユリ自身もまた浦原に想いを寄せていたのでもないが、マユリはこの時、抵抗もせず浦原を受け入れた。

至極見てみたくなったのだ。浦原がこの先どのように自分を抱くのかを。この身体を押し開き、どこを執拗に舐め廻し、どのように突き立て、幾度果てるか、を。

マユリはこの「浦原喜助」という男に確かに興味が有った。
マユリの隔絶された才能を唯一見抜き、外へと連れ出した天賦の才を持つ浦原の「只の男」となる部分を見てみたかったのだ。
故にマユリは浦原を受け入れ、大人しく身を委ねた。

浦原の方は思い掛けずマユリが身を任せて来た事に、喜びを感じているようであった。マユリを愛おしく感じ幾度も身体を重ねると、浦原は益々マユリに溺れ、夢中になっていった。

こうして。
冒頭に描かれたように、その交わりは日を置かず繰り返され。一時だけのものかと思っていたマユリの浦原との関係も、飽きもせず不思議と今まで続いていた。

今ではその浦原と共に立ち上げた施設『技術開発局』も漸く軌道に乗り、マユリは何のしがらみも無く自身の実験研究に明け暮れ、没頭する日々を過ごしていた。

そんな折の事である。局の小さな書庫へと次の実験の為の資料を探しに行ったマユリ。
数点気になる書籍を見付け出し、手に取り部屋を出ようとした時であった。
書棚に囲まれた部屋の隅より、何者かのひそひそと囁き合う声が聞こえて来たのである。

「…−なんだってよ」

「へぇ、お前良く知ってんなァ」

どうやら数人の隊士達が、此処で噂話に興じているらしい。元よりそういった事に些かの関心も持たぬマユリ。男達にばれぬよう、足早にその場を立ち去ろうとした。

「所で。…おい、知ってるか?うちの隊長の噂…」

「浦原隊長の?いや…」

「なら教えてやるよ。取って置きのヤツ…」

外へ出ようと歩んでいたマユリの足が、ピタリと止まった。男達の口から出たその名前に気を取られたのだ。

−浦原の、噂…?−

マユリは耳の突起をそば立て、書棚の影に身を隠す事にしたのである。
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[其の弐へ続く]
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