■小説2

□青イ春ニ君ヲ抱ク−あれから後−
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題:「青イ春ニ君ヲ抱ク−あれから後−」
  [其の壱]
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「…ハアアアァッ…」

技術開発局第五研究棟。
広い研究室の正面に向かって位置する机は、此の開発局の局長である涅マユリのものであった。局員達が忙しなく立ち働くその場にて、今マユリはそこに座った儘、此迄に無い程の、一際大きな溜息をついた所であった。

それはなんと本日二十回目の溜息であり、その余りの鬱々さ、悲観的さから、周囲の視線は嫌が応にも、マユリ当人へ必然的に注がれたのであった。

何しろ隊長であるマユリは、周知の通りの有名な"兇科学者"であり、本来溜息などをつく様なキャラでは毛頭無い。それに或る事情により、現在マユリは機嫌が良くて当然の状況である筈なのだ。それが有ろう事か此の様に酷く落ち込んだ有様で、理解し難い異様な空気感をその場に漂わせている。故に、その場に居合わせた局員達は息を詰め、そんなマユリに注目せざるを得なかったのである。

「涅隊長、一体どうしたんです?そのぅ…お身体の具合でも悪いんで?それとも何か問題でも。俺でよければ、話を聞きますが?」

そんな中、一番にマユリに近付いたのは一人の青年科学者であった。
十二番隊三席である阿近は、マユリとも付き合いが長く、眉目秀麗の見目好い青年であった。娘であり副隊長のネム以外に、彼はマユリが一目置いている存在であるのだ。
そんな阿近から心配げに声を掛けられ、此処に来てマユリはハッとし、漸く我に返ったのである。

「べ、別に何でも無いヨ。大体、誰にも言える訳無いではないかネ。あ、あんな、こと…」

「あんな?」

小声で呟くマユリの妙な口ぶりに、たちまち阿近は怪訝そうに眉をしかめる。

「イヤ…少し考えねばならぬ事が出来た。悪いが、暫く一人にしてくれ給え。私はこれから部屋へと戻る事にするヨ」

思わぬ事で醜態を晒し、らしからぬ己が行動に気後れしたのか、マユリは妙に歯切れの悪い物言いであった。席を立ち、くるりと踵を反すと、マユリはその儘足早に研究室を摺り抜けた。自室である『隊首室』へと戻ったのである。

後に残された局員達、そして報告書を持ち第五研究棟へ訪れていた、下っ端局員である壷府リンも、何時に無く不安を隠せず動揺している様子であった。

「隊長一体どうしちゃったんですかねぇ?心配ですね、阿近さん。……?あ、阿近さ…?」

隣に居た阿近に話を振ったリンは、此の後直ぐに後悔する事となった。マユリが立ち去り、先程までの冷静沈着な阿近は、あっという間に消え失せていたのだ。そう、そこには至極動揺し、あからさまに嫉妬に身を妬く"只の男"が存在していたからである。

「う、浦原喜助ェッ!!アイツ…涅隊長に、何をしたぁッ!?」

阿近はそう雄叫びを上げ、巨大な演算器の前を即座に陣取り、我を忘れてキーボードをおもむろに叩き始めるのであった。恐らくはあの人物へ、厭味の一つも送るのであろうと、リンは瞬間的に思い当たったのである。

阿近の怒りの矛先は、此処には存在せぬ"或る男"へと向けられていた。
浦原喜助−出奔した死神で、現世「浦原商店」の主であり、マユリの恋人に当たる。

一月前のマユリの誕生日、阿近を含めた開発局局員らの思惑により、マユリと浦原は相愛となった。
それは百年を余ってのマユリの切なき恋情を、何とか叶えさせてやりたいと致した事であったが。同じく秘かにマユリを想い続けていた阿近に取ってみれば、敵に塩を送るような、苦渋の選択であった様だ。
此処最近、マユリに何かある度に色々と夢想し、時折発作の様に雄叫びを上げる。そんな阿近を、これ迄に幾度かリンは秘かに目撃している。

「困りましたねぇ…」

だが、それも偏にマユリへの愛情の深さからだとすれば、そう悪いものでも無い。結局の所、マユリはああでも皆に好かれているのは間違い無いのである。

何だかんだ言えど、十二番隊と開発局は至極安泰であるのだ。
そう感じたリンはゴソゴソと懐より麩菓子を取出し、今安穏として口一杯に頬張り始めるのであった。
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第七研究棟にあるマユリの自室は、部屋と言え生活感の無いものであった。

部屋は、実験器具が大量に置かれた研究室の延長の様なもので、薬剤の入った巨大なタンクや現世の楽器に似せた鍵盤型演算器が設置して有る。中には物騒な事に禁じられている毒物の類まで存在しているが、それは言わば"技術開発局局長"であるマユリの特権であり、総隊長も納得の上の「公然の秘密」となってさえいる。

その部屋の隅の大きな寝台へ、入室したばかりのマユリは脱力し、自ら身を投げ突っ伏したのであった。
そうして再びついてしまう、暗澹たる深い溜息。

−アア、実に無様だヨ。このように、阿近に迄心配を掛けてしまうとは。私は何を…振り回されている?−

大きめの枕に顔を埋め、一人思い悩むマユリ。マユリをこれ程に悩ます、その人物とは…

−…−−−ッ!?−

と。不意に懐の伝令神機から着信音が鳴り響き、マユリはビクリと身を震わせた。
薄い胸元へ慌てて手を入れ、通信機器を取出すマユリ。

「…ハァ。もしもし…私だが…」

動揺からか声が掠れた。
此の時。発信元を見ずとも相手は誰であるか、マユリは疾うに理解していたのである。
−−−−−−−−−−−
一方、此方は現世−空座町。
街外れの鄙びた駄菓子店−「浦原商店」は、マユリの恋人である浦原喜助の店舗兼住家である。

現在時刻は午前一時を過ぎた頃である。此のように夜も更けた時分であるが故、家の内にて起きている者は誰も居らず。その奥にある和室、つまり浦原の自室だけが、唯一煌々と明かりを点けていた。
夜更けであったが、浦原は今、待ち侘びたある人物を部屋へと招き入れる所であったのだ。

「スイマセン、こんな夜分にお呼びだてしましてェ。都合…悪くなかったですかね?マユリさん」

「否、…それも致し方ない事だヨ。私も昼は多忙であるのでネ。夜ならば未だ時間が取れる…」

そうなのである。恋人となってから一ヶ月、マユリは浦原より呼び出しを受け、時折こうして現世へと訪れる様になっていた。何しろ多忙なマユリのこと。一日の内、僅かな時間を取るのも難しい事なのだ。時間の空く夜を逢瀬に選ぶのは、浦原なりの気遣いであるのだろう。
だが、此の"夜の逢瀬"というのが曲者で、マユリにしてみれば、自身を苦しめる「悩みの原因」となっているのだった。

「あの…マユリさん、何か飲まれます?実はお酒も有るんスよ。良かったら…」

「ム。酒はやらんヨ。明日の作業に差し支えるのでネ。茶で十分。但し"玉露"にし給えヨ」

「了解っス。そう来ると思って、ちゃんと茶菓子も用意してあるんスよ。今日は和泉屋の"わらび餅"です。美味いって評判なんスよォ」

そう言って席を立ち、いそいそと茶の準備を致す浦原を、マユリは無言で見詰めていた。浦原の下へ訪れるマユリは、現世の服を身に纏い、普段と違い華美な化粧を落としており、美しかった。その透ける様な白皙の貌は見事に整っており、見様によっては繊細ですらあるのだ。
だが、その表情は、愛する恋人との逢瀬にしては不似合いで、不思議と複雑であるのだった。

浦原が席に着いてからは、楽しい時間が過ぎていった。数日振りの逢瀬であったが故に、話す内容に事欠か無かったのだ。
それは尸魂界の下らぬ噂話(マユリ曰く)から始まって、今互いに掛かっている新しい実験や研究のものへと移行した。ああでも無い、こうでも無いと話は白熱し、よもやこれが"恋人同士の甘い逢瀬"である事すら忘れてしまう加熱振りであるのだった。

そんな時にふと浦原が、思い出した様に話を振った。

「…良かった。マユリさん、変わらないっス。阿近サンから連絡貰った時は、流石のアタシも心配したんスが…」

「連絡?阿近がお前に何か言って来たのかネ?」

途端。警戒した為か、マユリの眉間に縦皺が刻まれる。

「いえ、ね。マユリさんの様子がおかしい、アタシが何かしたんじゃないか、って。阿近サンからお怒りのメールが来てたんスよォ。あ、イヤ。今晩のデートはそれが理由じゃあ無いっスよ。アタシがマユリさんに逢いたかっただけで…」

「………」

阿近が浦原へ今日の事を報せていた。それをを知ると、たちまちマユリは口を噤んだ。その表情は瞬時にして硬く強張り、暗いものとなってしまったのである。
が、浦原はそんなマユリに不思議と気付かなかった様であった。浦原は、何時しかじわじわと、マユリの近くへとにじり寄って来ていたのである。
そうして、下から覗き込む、妙に間近い浦原の貌。

「な…何だ、ネ?」

「ああ。マユリさん、口にきな粉が付いてますよ。アタシが取ってあげるっス。ほら、ジッとして…」

その含んだ物言いに、マユリは疑問に思いながらも、浦原に言われた通り動かずに居た。だが奇妙な事に、触れて来たのは浦原の手では無く、唇であった。

浦原は顔を重ね、マユリの口元に付着したモノを舌先でれろりと舐め取った。そしてその儘マユリの薄い唇へと唇を合わせ、きつく吸い上げて来たのである。
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[其の弐へ続く]
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