■小説1

□今宵毒の接吻(くちづけ)を
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題:「今宵毒の接吻(くちづけ)を」
  [其の弐]
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マユリが浦原の元へと訪れた前日。
マユリは研究室に一人残り、自身の研究に没頭していた。
居残りを希望したマユリに局長である浦原は、マユリの体調を懸念して直ぐに了承しなかった。が、マユリに頼まれると嫌とは言えず、浦原はマユリを一人残し部屋へと戻って行った次第である。

マユリの研究。
研究と言えば聞こえは良いが、所謂毒物の作成であった。
自身の血液を採取して使用し、致死毒を精製する。無色透明。無味無臭。口より取り込まれ、体内に入り、心臓麻痺に似た死に致らせるまで、毒物を飲んだという事さえ気付かぬように造らなければならぬのだから。些かの欠点も赦されぬ。

なにしろ、使用する相手というのが相当の仗であるのだから。

「完成だ…」

マユリは輝くその清んだ液体を、ゆらりと目の前に翳して見せた。
だが何故だろう。その顔は嬉々としている様子では無い。マユリの瞳は決して笑っていなかった。何処か虚ろに遠くを見ている、そんな感じだ。それは、喜んでいると言うより寧ろ何かを憂いているような。そういった切なさを感じられるのだった。

そして今宵、湯から出たマユリはその透明な液体を自身の唇に施した。致死毒は少しとろみを帯びていてマユリの形良い唇に塗られると、しっとりと艶めかせた。これならばあの馬鹿な男は、必ず唇を求めて来るであろう。そうなれば後は待っているだけで全ては終わる。

浦原−恋に現を抜かしている哀れな男。その命も今日の夜まで。それならば冥土の土産として、この身を抱かせてやってもいい。つかの間の喜びと快楽を与えてやるのも、好敵手として過ごした相手へのせめてもの手向けであろう。

そう、マユリは例の致死毒を浦原へ使用しようとしていたのである。唇へ施したのは、最も効果的な場所であるからだ。それに自身の血液から造られた毒は、マユリには効かぬ。

浦原を殺める理由?マユリは浦原を憎んでいたからだ。浦原はマユリを蛆虫の巣より連れ出す時、こう言った。

−ボクが死ねば全てはアナタの思いのままだ、と−

つまり、いついかなる時も命を狙っていいとの言葉である。それ程にマユリを欲しいのだとの浦原の言葉であったが、マユリはそうは受け止めなかった。どのような策を講じても、自分にとっては痛くも痒くも無いのだと。浦原はそう言っていると、皮肉な事にマユリはそう受け止めてしまったのである。

マユリは、この時決めたのである。いつか、この思い上がった男、浦原をこの手で亡きものにしようと。

そもそもマユリに対し、自身の下に就けといった態度も鼻についていたのである。否、癪に触ったのはそれだけでは無かった。
狂人とされ、地下牢に幽閉された「涅マユリ」という存在。今迄誰も気付く事無かった類い稀なるその才能に、たった一人気付いたのが、この浦原喜助であったからだ。

そして、ここ暫くのその態度。誰憚る事無く、マユリに愛を囁く浦原。あの黴臭い地下牢獄より出してやったのだから、当然のように自分のものになれと言うのかと、マユリは内心憤慨していた。
哀しい哉、マユリはそのプライドの高さ故に、浦原の言葉、行為、感情でさえ、全て真逆に捉らえてしまっていたのである。

今、マユリはその白い肌を晒したまま、浦原に組み敷かれていた。様子がおかしいと浦原から顔を覗き込まれている。
だが実際に苦しい立場であるのはマユリの方であった。毒が効かぬのだ。このままでは浦原の好きなようにされてしまう。否、それも頭には入れてはいたが、それは毒の効果を確認出来てこそ。冥土の土産に、と哀れなこの男に情けを掛けるのだ。ただ恋人のように情を交わすなど、それこそ浦原の願望を叶えてやっているだけではないか。

「…マユリさん?」

浦原に名を呼ばれたが、マユリは声も出せずに浦原の顔をじっと見詰めたままだ。沈黙が静寂を捕らえ、緊張で空気がピリリと張っていた。
だが、直ぐにマユリはもっと驚愕する事となるのだ。
マユリが絶句する言葉が、目の前の男の口から、この後発せられるからである。

「…毒の事、っスかね?ならボクには効かないっス」

「…な、ッ、に!?−…」

マユリのその金色の瞳は、一杯に見開かれた。全身を固まらせ、信じられぬ、と浦原を見ていた。
その浦原は、マユリを上から見下ろして、申し訳なさそうにその金髪を、くしゃりくしゃりと掻いている。

「いやァ。ボク、元々毒の効かない体質でして。あ、それに対策としてマユリさんの血液、既に入手済みですから。覚えてないスかね?『蛆虫の巣』で囚人の健康管理の為だ、って血液採取させて貰いましたでしょ。アレ、実はボクの単独犯行でして…こんな時の為に調べさせて頂いてたんス。なので無駄な事っスよ。今日の致死毒の配合も、…ボクには大凡その検討はついています」

「…何故、ッ…」

「貴方を愛してるから、っスよ。貴方の事は…全て解っているんです。その思考も行動も、何もかも。今日も貴方が此処へ来るの、何が目的か直ぐに分かってましたから…」

「………」

マユリは呆気に取られて、魚のようにただ口をパクパクさせていた。

「理解して貰えました?ボクのマユリさんへの深い愛を。あ、次はボクから質問っスよ。策が失敗した際はどうするつもりだったんスかね?まさか、貴方程のお人が何も考えてない訳は、無いっスよね。それをお教え頂きたくて…」

「ウ、ウッ…」

相変わらず、マユリは声も出せないまま。額にじわりと冷たい汗が滲む。

「答えが出ないなら、ボクの勝ちとしてこのまま貴方を頂きます。貴方に勝利した『ご褒美』といった所ですかね。貴方だって本当は解っていた筈ですよ。失敗すれば、こうなると。そして、それは貴方の本心…」

「う、うらはらァッ…」

「いいえ、聞いて頂きます。貴方はボクに抱かれてもいいと思っていた。違います?それは貴方もボクの事…」

言葉を続けようとする浦原の頭を、マユリは抱え込んだ。唇を合わせ激しく口づける。

聞きたく無かった。そんな事…何も、考えたく無かった。己の真実など知りたくも無い。そんな物を知る位なら、このまま浦原に抱かれた方がずっとマシだ。
そう只の『負けた代償』として…−

浦原はマユリに口づけされると、目を細めてマユリを見た。マユリの閉じられた瞼からは、濃い藍色の睫毛を薄く濡らすものがあった。涙、であった。

それが全てを語っている。天の邪気で不器用で…こういう歪んだ愛し方しか出来ぬマユリ。それを浦原は理解していた。
そう、浦原だけが。唯一マユリを理解し得えているのだ。

浦原はマユリに誘われるまま、幾度も角度を変え口づけを交わした。徐々に夢中になっていく、マユリとの接吻。
やがて、浦原はマユリの咥内へと舌を差し入れた。
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[其の参へ続く]
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