■小説2

□密か事−MISOKAGOTO−
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題:「密か事−MISOKAGOTO−」
  [其の壱]
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「ハァ…また、かネ」

此処は瀞霊廷内。十二番隊隊舎にある施設、技術開発局。
その研究室の壁面にて掛けられてある、大振りの古い振り子時計。それを睨むように仰ぎ見て、開発局副局長である涅マユリは、深い溜め息をついた。

時刻は既に、午前二時半を回っていた。
沢山の局員達が作業に奮闘していたのも、もう数時間前となる。彼らが、一人消え、また一人帰るとし、今この研究室に存在するのは副局長であるマユリだけであった。助手である阿近も、子供ながらに今しがたまでマユリの手伝いをしていたが、流石にマユリが気を遣い、無理矢理に部屋へ帰る事を勧めたのである。

それ程に多忙な開発局。設立して間もないこの施設は、言うなれば『今が肝心な時』であるのだ。坦々と作業を熟し、成果を上げてこそ、その必要性を認めて貰えると言うもの。故に、他の局員もマユリも、休みも取らず、働き詰めの毎日であるのが常であった。

なのに、…居ないのだ。此の技術開発局創設者たる人物−浦原喜助が、である。今しがたのマユリの溜め息の原因とは、正に此れであった。

局長と十二番隊隊長を兼務する浦原は、忙しない作業の合間、ふと気付くといなくなっている。深夜に入る頃その姿を眩まし、夜更け或は朝となり、この男はこの場へと戻り、また何食わぬ顔で作業をしているのだ。

元々開発局は基本割当制であった。それぞれ担当する研究に区切りを着けると、作業を終え帰っても良いのだ。だが、それも礼儀として上司や周囲に報告という形を取るのが筋である。

浦原の問題は、黙って居なくなり、気付かれていないと、その後も安穏とした笑顔で指示を出し、受け応えるその態度にある。これが自隊の隊長であり局長であるとは、余りに情け無く。マユリは浦原を思う度にギリ、と痛い程に唇を噛み締めるのであった。

だからこそ。今日こそは言ってやるのだ。あの男に…浦原に。
−いい加減にし給エ。貴様は何も解っていない、と…−

そもそも、元は浦原とて飄々として掴み所の無い男なれど、隊長、局長としてはひたむきで、真面目に勤めていた。それが変化したのはこの一月程の事である。

始めは一時の外出であった。それが、日を追う毎に留守の時間は長引いていき、いつの間にか深夜にまで及ぶようになった。そして、出掛ける頻度も数日置きであったのが、今やほぼ毎晩となってしまっているのだから、全く以て始末に負えぬ。

斯様な時間に出て行き、浦原が何をしているか。男が深夜に出歩くその行き先など、調べなくても解ると言うものだ。どうせ酒か女か、そのようなものであろう。以前に一度、ふらりと戻って来た浦原から酒の匂いがした記憶があった。その時からマユリは浦原に対し、赦せぬ思いをずっと抱いていたのだった。

そして。マユリがその胸の内を悶々としていた頃。スッと研究室の障子が唐突に開かれた。入って来たのは、浦原であった。浦原は明らかに泥酔しており、非常灯の下、研究室奥に居るマユリの存在に、気付いていないようであった。

浦原は覚束ぬ足取りにて一旦自分の席の前へと戻ったが、暫くすると、己の席の向かい側にあるマユリの席へと歩みを進めて行った。そうして何やら思う所があるように、マユリの机の前へと立つと、そっとマユリの卓上をその掌にて幾度も撫で摩っていたのだった。

それにどのような意味があるのか。この時、マユリには理解出来なかった。大体泥酔した者が取る行動など奇妙奇天烈なものである。マユリは特に疑問も持たず、漸く目の前に現れたこの浦原という男に、怒りの言葉をぶつけようと、直ぐ様部屋奥より歩み寄ったのである。

「三時…か。随分と遅い帰りではないかネ?浦原」

暗がりの中より近付いて来たマユリより声を掛けられ、浦原は一瞬たじろいだようであった。が、それも直ぐにいつもの茫洋とした普段の浦原へと戻り。気付かれぬように、浦原は静かにマユリの机よりその身を離したのであった。

「…マユリさん、まだ残られてたんスか?一体どうしたんです?こんな時間まで」

「それは此方の台詞だヨ。此処の所、不意にふらりと出て行ったかと思えば、帰りはいつも午前様だ。浦原、お前の外出などは、こちらは何も聞いていないのだがネ」

何しろこれは現行犯であるのだ。浦原の酔って戻った現場を抑え、勝ち誇ったようにマユリは浦原へと近づき、距離を縮めた。

「どういう事か説明し給エ」

「それは……」

遂に口籠ってしまう浦原。更に問い詰めようと、身体を寄せたマユリは、ふと浦原のその身より微かな甘い香がする事に気付いたのであった。

−…香水…やはり…女、だったのか…−

何故であろうか。この時、マユリは不意に強い絶望感に襲われた。暗く深い水底へと突き落とされ、沈んでいくような不安感。マユリは目の前が真っ暗闇となり、全身の力が抜け、立っているのがやっとであった。

浦原がこのような行動を取る原因の一つに、女も視野に入れてはいた。だが、違うと思いたかったのだ。そうして、マユリはこの時漸く気付いたのだ。浦原を信じたいという気持ちが、自分の中の何処かにて未だ残っていた事に。

そして、それを打ち砕かれた衝撃により、マユリの理性の箍は外れてしまった。マユリは矢継ぎ早に、浦原を罵り、詰ったのだった。

「弁解出来ぬのかネ?エ?…全く、呆れて物も言えないヨッ!黙って居なくなった上、酒に酔って戻って来るとはッ!それも毎晩ではないかネッ!?此れが隊長であり局長である男のする事なのかネ!?浦原、貴様は何にも分かっていないヨッ!?」

マユリは胸の内に溜まっていたそれまでの靄靄を、浦原に全てぶちまけた。
否、全てでは無い。罵り、詰問したい内容は今や違う事であったが。マユリはそれを口に出せぬままであったのだ。

そして。激昂したマユリに対し、浦原もまた明かせぬ想いがあるようで。
浦原はそれまで俯いていた顔を上げ、真っ直ぐにマユリの顔を見据えると、漸く口を開いたのであった。

「貴方に…何が分かるんです?」

「なに?」

「確かにボクは護廷隊の隊長で、この開発局の局長という立場です。けどッ…けど、…その前に一人の男なんス。苦しくて。どうにもならない想いを抱えて…逃げ出したくなる時もあるんスよ。分かってください…」

「フン。それが理由かネ?こんな時間まで…どうせ女にでも慰めて貰っていたのだろうッ!安物の香水の匂いを芬芬させた上そのような事…言い訳にもならぬヨッ!浦原…貴様いい加減、堕落した生活を止め、明日から更正し給エ。でないと…致し方ない。此の事を総隊長へと報告せねばならぬ。開設早々このような問題が起きては、我が隊と開発局の未来は暗澹たるモノとなるだろうがネ」

浦原の言う、男としての苦悩−それを恋の悩みと受け止めたマユリは、再び理解不能な絶望感に襲われる事となった。それ故、遂にマユリは思わず浦原と想像上の女の事を口に出してしまったのである。

その途端、浦原は豹変した。鋭い目つきでマユリを下から見詰めると、浦原はマユリへと飛び掛かり、あっという間に薄いその肉体を、自身の机の上へと押し倒したのである。
と、同時にガシャンと派手な音を発て卓上より筆立てが落ち、筆記具がバラバラと散らばった。その上、積み重ねられていた資料や印刷物も、見るも無惨に床へと散乱した。

「何を、するんだネッ!?」

浦原の強い眼光にて上より射竦められ、マユリの身体は卓上にて、凍ったように硬直していた。

「更正っスか。…いいでしょう、それが貴方の望みなら。但しボクからも条件があります」

「…どういう…?」

「貴方次第っスよ、マユリさん。貴方が…女の代わりとして、これからボクを慰めてくれるなら。幾らでも更正されてあげるっスよ。無断で外出もしない上、ひたすら開発局の為尽力する事をお約束します。如何です?」

「…−な、ッ!?」

浦原から発せられたその言葉に、マユリの美しき飴色の瞳は大きく見開かれた。
信じられぬ、とマユリは眼前の浦原を唯々茫然と見詰めていたのだ。

と、浦原の顔がマユリに近付いて来て、その視界一杯へと広がった。
マユリは此の時、浦原にそのやわい唇を、唐突に奪われたのであった。
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[其の弐へ続く]
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