■小説2

□嘘つきと憂鬱男〜紫陽花恋情〜
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題:「嘘つきと憂鬱男〜紫陽花恋情〜」
  [其の壱]
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「あの、突然こんなこと…驚かないで、と言っても無理な話でしょうが。ちゃんと聞いて欲しいんス。…マユリさん。実はボク、もう随分と前から貴方の事が。好き…なんス。愛してるんス。だから…付き合って欲しいんです。その、…恋人として…」

十二番隊隊長と技術開発局局長を兼務する浦原喜助。此の男が、同隊三席、副局長である涅マユリに積年の秘めたる想いを告白したのは、小雨降りしきる六月のある早朝の事であった。

開発局裏庭に設えたひさしのある「あずまや」の下にて、浦原とマユリの二人は居た。

此処は普段から人気の少ない場所であるが、雨ともなると更に誰も訪れぬようで。静寂の中、軒先から滴たる優しい雨音だけが微かに聞こえている。何よりも今がこの時とばかり、庭一面を占めている水彩絵の具で描かれた様な淡色の紫陽花が美しく。それらは雨に打たれつつもこの二人の事の成り行きを、唯ひっそりと見守っているようであった。

そして。その静かな情景と相反して、この時浦原の胸の鼓動は激しく拍動していたのだ。何しろ此処数年の切なる想いを漸く打ち明けたばかりであったのだから当然である。

それは浦原がまだ二番隊に所属していた頃であるから、今より三年近くも前の事であった。檻理隊部隊長−所謂『看守』となった浦原は、地下施設『蛆虫の巣』にて唯一独房へと収檻されていた危険人物、涅マユリと初めて出会ったのであった。

看守と囚人、厳重なる牢獄の檻の内と外といった特殊な状況での対峙である。

「あ、ボクは浦原喜助と言いまして、今日から此処の担当になった者です。はじめまして。涅…マユリさん?」

浦原が名を呼ぶと、独房の暗闇の中でマユリは俯いていた顔を上げた。
その瞬間、浦原の全身を激しい衝撃が貫いたのだ。

元々互いに科学者という事も相俟って、浦原はマユリに関する噂や情報に非常に興味をそそられていたのだ。故に浦原の胸には会う前より、訳の解らぬ期待とときめきがあった。

この時、就寝前と言う事も有り、マユリは化粧を落とした素顔であった。
顔を上げたマユリの顔容、それは−独房の闇にて溶け込んだ艶めいた蒼髪が白き頬にさらりと掛かっており、面立ちはすんなりと鼻梁の通った美貌であった。薄く色付いた唇は、花びらのように秘そかな色香を放ってもいた。

だが、そのどれよりも美しく謎めいていたのは、藍色の長い睫毛に縁取られた、飴色の瞳であった。
地下牢獄の四隅にある僅かな蝋燭の明かりを受け、その瞳はゆらゆらと揺らめいて濡れ光っていた。透けるような金色に輝いていたかと思えば、不意に暗い琥珀を想わせる色にも見えて。どうやらその眼差しは、角度により色彩を変えるようであった。

飴色の澄んだ双眸は、ひっそりとしており、全てを受け入れ理解していた。だがまた、全てのものを拒絶してもいた。
それは狂人とされ、檻に閉じ込められている自分自身に向けたものだ。しかし、真っ直ぐに瞳は目の前の浦原へと注がれている。
その瞳に浦原は惹かれた。胸は鷲掴みにされたようになり狂おしく動悸を打ち、たちまちの内に眼前のマユリから目を逸らせられなくなったのだ。

こうして。男同士でありながら、浦原喜助は涅マユリへと一目で恋に堕ちたのであった。

「マユリさん。答えを…返事を聞かせてください、ッ」

再び、十二番隊隊舎内、裏庭。
待ってはみたが、なかなか言葉を返さぬマユリに対し、浦原は堪えられなくなり催促を試みた。しかし、その声は掠れており、微かに震えているのだった。

「あ、…浦原。私は…」

漸くマユリが口を開き掛けると、ゴク、と小さく音を発て浦原は固唾を飲み、その言葉に聞き入った。

「済まない。…その気持ちには応えられない」

続いて、マユリの形良い唇より出た言葉は、浦原を絶望の底へと突き落とした。
マユリは浦原から目を逸らし、遠く庭先へと視線を遣っている。恐らくいたたまれない気持ちであるのだろう。今やそれを、浦原は縋り付くような瞳で見ているのだった。

「な、なんで…?やっぱり…男同士だからっスか?理由を…教えてください」

「そんな事を聞いて、どうすると言うんだネ?大体、もう作業の始まる時間ではないかネ?隊長が遅れるのはご法度だろう。私はもう行く。浦原、貴様も…急いだ方がいい」

しつこく食い下がってはみたものの、マユリからは拒絶の言葉しか貰えず。浦原は雨に打たれながら、先に隊舎内へと消え行く、マユリの後ろ姿を切なげに目で追い、唯呆然と見詰めているのだった。
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「…い、ッ。おい、こら喜助ェッ!!聞いとんのかぁッ!?」

隊首室の長机の上をバシバシと何度も叩き付け、怒りを表わにしているのは十二番隊副官である猿柿ひよ里である。

「さっきから何度も言うてるやろッ!?始末書、何時になったら出来るねん?ずっと見てたけど、全然手ぇ着けとらんやんけ!?今日期限ぎりぎりや言うてるやろ!?早ぅしてえや。一番隊まで持ってかなイカンのやから」

「ハァ…すみません…」

「判つくだけやろ?早ぅせいや」

「ハァ…そうですねぇ…ハァ…」

ひよ里の怒声虚しく、浦原の手は全くと言って進んでおらず。代わりに、浦原の口からは深い溜め息が漏れる。その背後には目には見えぬが何やら重く暗いものがとぐろを巻いており、ひよ里はその唯ならぬ空気を訝しみ、眉間に皺を寄せるのであった。

「ああッ、もうええッ!ウチがやるッ!!」

一向に作業が進まぬ状況に、ひよ里の我慢は限界を迎え。そう言って浦原の眼前から始末書の束を引ったくると、ひよ里は側に居た阿近へと聞こえぬように小声にて、そっと耳打ちをするのであった。

「なんやぁ、アレ?おい、阿近。お前何か知ってるか?」

「知りませんよ。でも、今朝からずっとあんな調子なんです」

実の所、浦原は腑抜けたようになっていた。マユリに振られ拒絶されたという現実に、浦原の心はもはや押し潰され掛かっていたのだった。何しろこの数年、マユリを愛し、マユリの事しか考えられぬ様になっていた浦原である。心を病んでしまっても仕方の無い事であった。

一方、マユリはと言えば、研究室の隅にてひたすら試験管を揺らしている。が、研究に没頭しているのかと思いきや、どうも違っているようで。障子の開かれた隊首室の奥にて座している浦原の姿へとチラリと視線を遣っているのだ。かと思うと、マユリもまた浦原と同じく深い溜め息をついて、再び試験管を揺らす。此れの繰り返しであるのだった。
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[其の弐へ続く]
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