■小説3

□地獄より愛を込めて
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題:「地獄より愛を込めて」
  [其の壱]
−−−−−−−−−−−
「此れは、何だネ?」

技術開発局第七研究棟−そこは十二番隊隊長で局長でもある、涅マユリの自室であった。研究室も兼ねたその部屋は、只とてつも無く広く、簡素で生活感が見え無かった。

唯一存在する人間的なものは、部屋の片隅に設置されている大きめの寝台だ。此処(尸魂界)では珍しい伊太利亜風の寝台は、上質な白いサテンシーツが施され、華やかなシルククッションが数個、綺麗に並べ置かれている。多忙なマユリの貴重な『眠り』を妨げぬ様にと、娘のネムが気遣って、整然とされているのが常だった。
そうして、洋灯が置かれたサイドテーブルの上に、見慣れぬ箱が有ることを、マユリは帰宅して直ぐに気付いたのだった。

今朝方部屋を出た折には、この様なものは無かった。ネムからは、何の報告も受けてはいない。つまりこの小さな箱は、マユリの留守の間、何者かが此処を訪れ、置いて行ったことになるのだ。
マユリの部屋は自動施錠となっており、複雑な暗証番号は元より、監視カメラも当然有る。異常が起これば即刻局全体へ知らせがいく仕組みとなっていて、無断で誰かが入って来るなど、到底考えられなかった。

いや、待て。一人居るではないか、と此処でマユリは或る人物を、頭に思い浮かべたのである。

−浦原、か…−

浦原喜助。現世で「浦原商店」なる鄙びた駄菓子屋の店長をしている、自称"ハンサムエロ店主"。だが、それは世を忍ぶ仮の姿で、本来はマユリを凌駕する程の、天才的頭脳を持った科学者であった。この技術開発局も、110年前、浦原がマユリと立ち上げ、その才能故、過去に霊王から零番隊への引き抜きも有ったと聞く。例え完璧な施錠と警備であったとしても、浦原ならばこの部屋への出入りも出来るかも知れないと踏んだのだ。

実はそう考えたのには、もう一つの理由が有った。今日は2月14日−所謂『バレンタインデー』であったのだ。
内密な話であるが、マユリと浦原は男同士であるが "付き合っている"。つまり二人は相愛で『恋人』と呼ぶ可き関係なのである。部屋の鍵など渡してないが、浦原がサプライズのため此処へと訪れ、チョコを置いて行ったとしても、何の不思議も無いと思えた。

マユリは警戒しつつ、箱を手に取り、その包みを開けてみた。中はやはり想像通りのチョコレートで、小さなメッセージカードが同封されていた。

「フン。わざわざこんなふざけた真似を。浦原め、直接私に手渡せばいいではないか…」

芝居じみているのが、実にあの男らしかった。
小箱に並べられた、宝石の如き美しいショコラの数々。その一粒を手に取り口に含むと、控えめな甘さが致し、芳醇なココアの香りが口一杯に広がった。けれどその瞬間、マユリの胸は奇妙な感覚に捕われた。
慌ててメッセージカードに目を遣ると、そこにはたった一行だけ、こう書いてあったのだった。

−地獄より愛を込めて−

差し出し人の名前は無い。
故に、先程からの違和感の理由を、今になってマユリは理解した。おそらく此れは浦原からでは無いと、直感したのである。
あの男からなら、名を書かぬなど考えられ無い。いかにしてマユリを愛し、愛されるかを、常日頃から思考錯誤している浦原である。こんな重要なアピールポイントを、みすみす逃すとは思えなかった。
それに贈られたチョコの味にも、最初からマユリはおかしいと感じたのだ。マユリは極度の甘党であり、それは浦原も知っている。わざわざ甘さ控えめのチョコを送る、理由が無いのである。

−…しまっ…−!?−

しかし、全てが遅かったのだ。次の瞬間、マユリの全身から力が抜けた。マユリは何者かの策に嵌められ、その儘床に崩折れて、突っ伏してしまったのだった。

「うら、はら…」

マユリらしからぬ油断であった。後悔してもどうしようも無い。
危機迫ったマユリが呼んだのは、やはり浦原の名であった。名を呼んでどうにかなる訳でも無いが、無意識的に口に出てしまったのだろう。
だが、その救いを求める小さな声が、恋人に届くことは無かった。

意識を飛ばしたマユリの傍に、何者かの影が迫っていた。
−−−−−−−−−−−
「涅サンが居ないぃ!?」

マユリの娘で副官である涅ネムと、今や開発局のリーダーとなった十二番隊三席の青年科学者−阿近。隊首室の扉の前にてこの二人に、浦原喜助は取り囲まれ、詰問されることとなった。マユリの部屋を訪問しようとした所を、いきなり "通せん坊"をされた浦原は、意外な事実を知らされた。
マユリは本日、突然姿を晦ませて、局員総出で片っ端から探してはいるが、見付から無いと言うのだ。
バレンタイン故に現世よりチョコを携え、遥々やって来た浦原には『寝耳に水』であった。

「またまたァ。そんなこと仰られても、アタシには通用しないっスよ!涅サンにお逢い出来るまで、絶対絶対、帰らないっス!どれだけ時間が掛かろうと、此処で待たせて貰いますんで!!」

マユリとの関係は周囲にひた隠しにしていたが、二人には疾に知られているのを、浦原は既に理解していた
ネムも阿近も、長年マユリを心底恋い慕って来たからだ。それはもう"思慕"を越える程に強く、彼らは想いをあたため続けていた。そんな二人が唐突にこのような話をして来ても、『恋仇』である自分を排斥しようとしていると、浦原は率直にそう思ってしまったのだ。
が、二人の困惑する表情に、自身の間違いを悟ったのである。

「まさか…本当…なんスか?本当に、涅サンが行方不明ッ!?」

神妙な顔をしたネムが、問われて静かに頷くと、浦原の顔から血の気が失せた。

「スイマセンッ!!ちょっと中を、…部屋を見せてください!!」

二人の間を割って入り、浦原は隊首室へと入室した。暫く室内の様子を見て歩いた浦原は、マユリの寝所に行き、マユリが攫われたその場所へと、誘われる様に辿り着いたのだった。
床には贈り物らしき小箱が落ちて、チョコが幾つも散乱していた。だが、周囲は変わらず整頓されており、争った形跡は無い様である。

「これは…」

嫌な言葉が脳裏に浮かぶ。『勾引(かどわ)かし』−いかなる理由か、マユリは何者かに攫われてしまったということだ。後で調べてみれば分かるだろうが、このチョコには何らかの薬物が混入されている筈だ。おそらくそれは、マユリの自由を奪う為の、睡眠薬の一種だと考える。
日頃から恨みを買うことが多い為、マユリはいたく注意深かった。が、この様なものを贈られて、その警戒心も緩んでしまったのか?もしかしたら、これを自分からだと勘違いし、不意打ちを受けたのかと思うと、浦原の胸はキリキリと締め付けられるように痛くなった。

けれど本当に恨み辛みや復讐心であるのなら、おそらく此処にはマユリの死体が有る筈だ。そうでは無く、敢えて時間と手間を掛け、見付かる危険を冒してまで、敵はマユリを『勾引かし』た。
それは、或る重大な事を意味していた。

「やはり、そうでしたか…」

顎に手を当てて思案し、独りごちる。先程、床へと落下していたカードを見付け、手に取った浦原は、自身の結論に確信を持ったのであった。

「涅副隊長、阿近サン。お二人共、どうか落ち着いて聞いてください。アタシの判断ですが…残念なことに、涅隊長は此の場にて攫われてしまったようっス。そして、…その犯人の目星が、アタシには既に付いています。ですが、あまり騒ぎ立てますと、返って涅隊長の身を危険に晒すことに成り兼ねません。それだけは避けたい。だから…この件は、アタシに全て一任させて貰えませんか?必ず!必ず、涅隊長を此方に連れ帰って来ますからッ!!」

浦原は理解していた。事は一刻を争うことを。何故なら、うかうかしている間に、マユリが穢されてしまう恐れが有った。
つまり、この略取は復讐や怨恨、又は営利の為などでは無く、真の目的はマユリの姦淫−猥褻なのである。
マユリの心が、体が欲しいのだ。相手の異常で偏執的な愛情が生んだ、『勾引かし』なのであった。

「先ずは、犯人と涅隊長の居所を特定します。アタシに考えが有ります。御協力願えますか?」

言いながら浦原喜助は、真っ直ぐ前へと向き直った。
その双眸は冷たい焔に燃え、眼光はこれ迄に無く、一際鋭く見えたのだった。
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[其の弐へ続く]
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