■小説1
□片戀
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題:「片戀」
「其の弐」
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−嗚呼、マユリさん。このままずっと見詰めていたいっス…−
そう浦原が願った美しい静寂な時は、マユリが浦原に気付いた事で終わりを告げた。
「何だネ?浦原、お前も資料を探しに来たのかネ?」
脚立に上がったまま、マユリが浦原に話し掛ける。
「あ、そうなんスよ。ちょっといい案が浮かんでですねぇ。あ、マユリさん、資料を探すのはいいっスが脚立の上で本を読むのは危ないっスよ。降りた方が…」
「ム…私を馬鹿にしているのかネ?これ位平気だヨ。大体貴様という奴は、いつも私を腫れ物でも扱うように…ッ…?!」
どうやら心配し過ぎた浦原の一言が、マユリの勘に障ったようであった。そうして、マユリが興奮して浦原の方へ振り向こうとした時、それは起きた。
脚立がぐらり、と揺れ、マユリが落ちそうになったのである。
「マユリ、さんッ!!」
言うより早く浦原は行動していた。
落下していくマユリを両腕で受け止め、ふわり、と着地した。脚立が横になって倒れ、がしゃんッ、と派手な音を発てる。
「は、ぁッ、はぁッ…よ、良かった。マユリさん無事でッ…」
浦原にぎゅう、と抱きしめられてマユリは心此処に在らずといった体であったが、やがて我に返りじたばたと抵抗しだした。それ故にそっとマユリを床に下ろす浦原である。
「きッ、貴様のせいだヨッ!!お前が下らない事を言うからこんな事になったのだヨッ。で、なければこの私がこんな…ッ?」
怒鳴るマユリの目に飛び込んで来たのは浦原の足袋に滲む赤い色であった。先程の着地の際、倒れた脚立が喜助の足に当たり傷めたようである。
「………」
「アハ、大丈夫っスよォ。これ位、たいしたことないっス」
マユリが自身の足をじいっ、と見ているのを気付いた浦原は、サッと足を引き隠す。
「浦原、足を出すんだヨ」
低い声でそうマユリに言われて、浦原は申し訳なさ気に足をマユリの前に出した。
マユリは怪我をした方の浦原の足袋を脱がすと、袂から手拭いを取り出し手際良く浦原の足に巻き付けていく。やがて処置が終わり、マユリは、きゅっ、と手拭いの端を結わえた。
「終わったヨ」
「すみません…」
「ああ、出来れば早く完治してくれ給えヨ。貴様に借りを作るなど…有り得無いコトだからネ」
「…優しいんスね、マユリさん」
ふふ、と笑いながらマユリの顔を見詰め浦原が言う。
「じょッ、冗談じゃあないヨ!か、勘違いにも程がある…もう、部屋に戻るヨ」
怒りの為か、それとも恥じらいの為か、真っ赤になって資料室を出ようとするマユリを相手に、浦原は大袈裟に痛がった。
「ああッ、痛ぁ…こんなに痛くて…ボク一人では歩けないっスよォ。マユリさん肩貸して欲しいッス」
「う、浦原、貴様…ッ」
憤慨するマユリであったが、言葉とは裏腹に、やがてその身体を支えようと浦原に近寄った。マユリが脇を支えるようにして浦原の身体に身を寄せると、マユリの身体から甘い香がして、とくとく、と浦原の心臓が鼓動を早めていく。開け放たれた扉から差し込む光が、一つになった二人の影を長く引き伸ばしている。
この時。予想外の出来事であったが、かえってマユリとの距離を縮められたような気がして、浦原は幸せな気持ちに浸っていたのである。
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そしてまた数日後。
「おーい、喜助ェ。頼まれてた資料持って来たでぇ」
からり、と足で隊主室の障子を開けたのは十二番隊副隊長の猿柿ひよ里である。
ひよ里はファイリングされた書類を幾つも抱えており、ずかずかと遠慮無く中へ入って行く。
「何やぁ?喜助のヤツおらんやんけ。じゃあ、資料此処においとくでぇ」
ひよ里は浦原がいない事に気づくと、隊主室の長机の上にそれらを、どかっと積み上げた。
「全く、喜助の奴。人にもの頼んどいて部屋におらんなんて、どうなっとるんや?けしからんよって。ん、これ、なんやぁ?」
ブツブツと文句を言うひよ里の目に止まったのは、長机の下に置かれた一冊の帳面である。
見ると表紙に題書きもなく、何やら意味深でもある。
「喜助の日記とかやったりして。何かおもろそうやなぁ…見てやろぉ」
かようにして例の浦原の思いの丈を書き記した帳面は、ひよ里の目に触れる事となったのである。
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技術開発局、研究室。
今、マユリは新薬作製の実験の最中であった。コポコポとアルコールランプで熱せられ、フラスコからは白い湯気が上がる。それをじい、と見詰めるマユリの目は、熱が篭り陶酔しているようにすら見える。
「いいネ。いい感じだヨ」
作業が順調である為、気分も高揚しているようである。つまりマユリは今最高に機嫌が良いのだ。実はそのマユリの様子を先程からじっと見ている者がいた。
言わずと知れた浦原である。浦原はごそごそと何やら懐に手をやり確認すると、マユリに近付き後ろから声を掛けた。
「新薬の方、順調みたいっスね」
浦原に声を掛けられてマユリは振り向きながら言葉を返す。
「解るかネ?」
「それは、もう。こんなに早く完成に近付くなんて、さすがマユリさんっスね!所で、あの…話があるんスが。ちょっと…いいです?」
「何だ…此処では言えない事かネ?」
浦原に言われて、マユリがついて行った先は、十二番隊と技局の間にある内庭である。初夏の風が濃色となった桜の葉を揺らし、木漏れ日がきらきらと地面へ降り注いでいる。
「何だネ?話とは…」
マユリは眩しさに少し目を細め、手で頭上に影を作りながら浦原に声を掛けた。
「あの…マユリさんこれ。ありがとうございました」
浦原が懐からマユリに差し出した物はマユリの手拭いである。数日前、マユリを助けようとして浦原が足を負傷し、その時手当てをした際、マユリが浦原の足に巻いたものである。
浦原が差し出した手拭いは洗濯され、丁寧にプレスされてあった。
「別に良かったのだヨ。それにあの時の事なら私も悪かったのだからネ。気にする事ではないヨ」
今しがたまでの新薬作製の作業が上手くいっているからであろうか?今日はやけに素直であり、優しいマユリである。
「話とは此の事かネ?私はそろそろ作業に戻らないと…」
マユリが浦原の手から手拭いを取ろうとした時である。浦原の手がそのマユリの手をきゅっ、と握って来たのである。
「なん?浦原…ッ?」
マユリが見上げると、そこには妙に真剣な顔をした浦原がいたのである。
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「其の参へ続く」