短編

□アサノワナ
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「た…くん、ひ…た…、ん」


 誰かが俺の名前を呼んでいる。
かすかに聞こえるその声につられて、重い瞼を上げる。


「日向くん」

「何やってんだお前」

目の前にいるのは同部屋の住人、六道黄葉が「変」身した姿、六道(大)だった。


「日向くん、ホント可愛いなぁ。寝顔も犯罪級な可愛さだよ」


気持ち悪いくらいにニコニコしている六道を余所目に、俺はいつも六道黄葉が寝ているベッドの方を見た。


―いない


「なんでお前変身してんだ?」

「日向くんを起こしに来た」

「…誰も頼んじゃいないのに」

「で、なかなか起きなかったから襲っちゃおうかなって」

「ちょっと待て、なんで結論をそこへ持っていく!? って、なんでボタン外してんだ!?」


六道の手は俺の寝間着のボタンにかけられていて、上半身裸に近い恰好になっていた。


こいつ訳わかんね、馬鹿すぎる…。


「日向くん、ほんとタイミング悪いね」

「その顔やめろ、イラっとする」

「まぁいいかー。ああ、日向くんいい匂い…」

「気持ち悪いからやめろ。」

「いや…」


急に甘えた声出したって何もしてやんねぇからな…

この状態のまま、何分過ごしただろう。

だんまり比べになり、耐えかねた俺は口を開いた。


「そろそろ退いてくんね?」

すると六道は、

「キスさせてくれるなら」

と妖艶な笑みを浮かべ、馬鹿げたこと言いやがった。まあ、無言で頷いた自分が言えた義理ではないが。


六道が俺の頬に手を添えたことを合図に、奴は無駄に整った顔を近付けてきた。

思わず目を瞑ってしまったが、距離が縮まるのがわかる、顔が紅潮していくのがわかる、緊張が高まっていくのがわかる…。


「やらしい顔」

今の俺には、その言葉に反応している余裕がなかった。それくらい緊張しているということだ。


そして、唇が触れ合おうとした瞬間――



六道黄葉が目覚めた。




「んぅ…、っ!?」


六道は自分の置かれている状況に気づき、かなり焦っている。


「日向くん…、なんでぼく……」

「ああ…、気にすんな。とりあえず退いてくれ」
「あ、うん…」


六道がベッドから降りたあと、オレは何事も無かったかのように、制服に着替え始めた。




「え…、ひな…た…えぇ……」


結局、黄葉がその全貌を知ることはなかった。



 

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