novel(百神)

□無の森の夢
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延々と続くは深い森。
仰ぐ空よりこぼれる陽光はどこまでも透き通り、むせかえるほどの緑の匂いがたちこめる。名も告げぬ花々が日の当たる地に群れ、湿った土には鮮やかな菌糸類。そびえたつ樹木の一枝に、主を失った蜘蛛の巣が千切れて揺れる。
だけどこれほどに豊かな森に関わらず、地を駆けるもの、水を昇るもの、空を舞うものの姿はなく。
生命の途絶えたが故の静謐な美しさだけが、全てを支配している。
確かに元は何かがいたのだろう。人も住んでいたのだろう。伸び放題の草の隙間から、朽ち果てた家屋の残骸、骸のなれの果てといったものが見て取れる。
「残酷なもの……だな」
折れた風見鶏を拾い上げ、彼―-スサノオノミコトは肩を落とす。
新緑の頭髪の隙間から、揺れる紫水晶の瞳。
それが映すはだあれもいない世界。
かつて、彼が封印より解き放たれた直後の光景に似て胸を刺す。
先ほど、倒壊寸前ではあったが、随分と立派な祠を見つけた。
恐らくは某かの神が手厚く祀られていたのだろう。だが彼同様にその神は封じられ、加護を失った地は衰退を余儀なくされたのだろう。
再び降臨したところで、力の全てを取り戻すのは困難だ。
神は強大であるかもしれないが、何よりも儚く脆いもの。信仰を失い、護るもののない土地では、独りに絶えること叶わず。再び自らを閉じるものもある。
それでも。
ぽり、と頭をかき、彼は懐より幾つかの鮮やかな宝石を取り出す。
ずうっと戦い続け、ずうっと探し続けている魔石。
解放石と呼ばれる悪夢の破片。
世界の神々を粉々に砕き、封じこめたカケラ。
見放された祠の奥に、伸びた蔦に絡めとられた形で見つけたその一つ。
やっと今、一人を解き放つためだけの数が揃った。
この石の気配には覚えがある。剣呑とした武人、福を司る神々が一柱。三叉戟の使い手。
果たして無事であるだろうか。
ゆっくりと息を整え、彼は言霊を紡ぎだす。
「高天原に神留座す。神魯伎神魯美の詔以て皇御祖神伊邪那岐大神」
祓いの言葉、魔を退ける祝詞。
「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓へ給ひし時に生座る祓戸の大神達」
神の力ある言葉に呼応して、透明なる黄金が集いだす。
「諸々の枉事罪穢れを拂ひ賜へ清め賜へと申す事の由を天津神国津神」
言葉は始まり。鍵を壊すための鉾。
身を浄め、世界を鎮めるための道程。
「八百萬の神達共に聞食せと恐み恐み申す」
りん、と遠くで高らかに響く音。
さあ、支度は整った。
ここからは、自らの言葉が、力が必要だ。
もどかしい思いをただ糧に、彼は口を開く。
「我は伊邪那岐命が一子、建速須佐之男命也。遍く海原を制する者也。
今この名において命ず。
失われし光を、七つの組たる者の一柱を、再びかの地に降ろしたまえ!」
途端に迸る灼熱の光。
置かれた石に罅が生じ、けたたましい悲鳴を上げる。
それから目を背けることなく、ただ見つめるスサノオノミコト。
やがて。
がちゃり、と鈍い甲冑の音と共に、それは生じた。
未だ焦点の合わぬ、紫陽花の眼差し。
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