黒バス脱出原稿

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ゾンビを二体倒し、家庭科室から出て次の教室の扉に和成が手をかけて、彼はまた静止した。

『なんかいる?』
「いや、ゾンビ以外やったら怖いで。」

今吉さんに冷静に突っ込まれる。
もうゾンビが怖い対象じゃなくなってきている。

「窓開けてみるか?」

花宮がすりガラスを睨んだ。

「一人一人出てきてもらえれば楽なんだけど。」

氷室くんの言う通り、でもゾンビは人じゃないよ。

「上の窓から覗いたら?」

私が顔を上げても上の窓なんて手も届かないところにあるんだけど、そう言ったむっくんは少しジャンプしたら覗けてしまうのだろう。

『むっくん見える?』
「湧ちん見る?」

私を持ち上げようと腰のあたりを大きな手でがっしり掴んだむっくんは怪獣みたいだ。

『え、ちょ、見ない見ない…、、』
「あああ紫原っち……。」

ヒョイっと上げられて、スカートが、とか言う前に窓の向こう側に広がる光景に真顔になる。
ふわりと降ろされるときにはさすがに和成が慌ててスカートを抑えてきた。

「紫原、湧のスカート広がるだろ!」
「え、そうなのーごめんね。」

全く気持ちのこもってない謝罪は受け流そう。

『そんなことより、なんかゾンビの巣があったんだけど。』
「何体いた?」
『え、4はいた。』

全員がげんなりした顔をした瞬間、ガラリと嫌な音がした。
飛び上がって進行方向の廊下を見る。
ゾンビと目が合った。
この教室の後ろのドアから偶然出てきたのだ。
そして、もちろん私たちを見つけたゾンビはこっちに突進してくる。

「気をつけろ!ゾンビは一番近くにいる奴を狙うぞ!」

花宮の言葉通り、ゾンビは玲央に一直線だ。
玲央が冷静に振り下ろされた腕を避け、ゾンビの腹に蹴りを入れる。

その時、真横にあった教室の前のドアが開いた。

『あっ…!』

私の体が反応する前に誰かに正面から抱きかかえられて、廊下に引き倒される。

『いっ、づき…!』
「どこか打ってない?」

私を引き倒したのは伊月だった。
伊月が私の上に覆い被さっている。
前から出てきたゾンビの顔面に原が拳を一発食らわした。

「あかん、音で集まって来たんか!?」
「伊月!湧連れて逃げろ!そこのトイレ入っとけ!」

花宮が叫んで、私は伊月に引き起こされる。
体勢を整える前に腕を引かれ、転がるようにして伊月の後をついて行った。

気を遣ってくれたのか、伊月は女子トイレに飛び込んで、個室に私を押し込んだ。
そして自分も入り、勢いよく鍵を閉める。
めでたく今日二回目のトイレ籠城。
移動したのはほんの短い距離なのに、二人とも肩で息をしていた。

「湧、ここに座って。」

伊月は私をトイレに座らせて扉に背を向けた。
外からみんなの声が切れ切れに聞こえる。

『今回は危険なことばっかりだ。』
「前よりも?」
『そんな気がする…そういえば前は花宮と倉庫のロッカーに隠れたっけ。』
「大丈夫、ゾンビが来たら俺が盾になるよ。」

伊月の手が私の後頭部へと回り、彼の薄くも分厚くもないお腹が近づいてくる。
回された手が少し震えていて、思わず目の前の体にそっと頭を寄せた。

廊下の音もよく聞こえなくて、外の様子が全然分からない。
みんな強いから1対1では勝てるかもしれないけれど、囲まれると怪我人だって出るかも。
気になるけど誰かが呼びに来るまでは絶対外に出ない方がいい。
人数では勝ってるし大丈夫。
後頭部にあった指がピクリと動いて、顔を上げると凄く緊張した顔の伊月と目が合った。

「あのさ…言いたいことがあるんだけど。」

伊月がポツリと言葉を落とした。


『……なに?』

少しだけ待ってから答える。

左の方からは外の廊下の音が聞こえるけど、右の方からは何も聞こえない。
そういえば前回も今回も、学校の外の音は何も聞こえない。
そのことに何故かこのタイミングで気がついてしまって、怖くなって見上げた伊月の顔を見つめながら、彼の制服を握りしめた。

伊月の薄めの整った唇が、ふるりと動いた。

音が消える。


「湧のことが好きだ。」


伊月はそう言った。

今度ははっきりとした声で。


『…そう、だったんだ。』

言葉が見つからなかった。
顔を下げる。

「知ってただろ?」
『ちょっとだけそうかなって思うこともあったけど。』

自分がそう望んでいるだけなのかもしれないと、思っていたこともあった。

「答えは言わなくていい。知ってるから。けどこれは答えて。俺のこと、男として見てる?」

彼は何を言っているのだろうか。

『どれだけ伊月を見てきたと思ってるの。男として見てないわけない。伊月が最高にかっこいい男なの知ってるよ。』

毎日毎日、冬だって汗だくで、嬉しそうな顔も怒った顔も悔しそうな顔も、ずっと見てきた。
大切な仲間だから、伊月のことはちゃんと全部知ってるよ。

「ごめん、変なこと聞いたよな。」

外から私たちを呼ぶ黄瀬くんの声がする。

「終わったみたいだな。」

伊月が鍵を開け、ドアを開いて外に出る。

「よし、行こう。」

振り返って笑った伊月はいつも通り爽やかな笑顔だった。
その笑顔にいつも通りの微笑みを返せていたかどうかは分からない。


トイレから出ると黄瀬くんが待っていた。

「湧さぁん…。」
『なに、どうしたの?』
「ゾンビ5体も倒したんスよ?武器ないときついっス。」

うぇーんと言い出さんばかりに近づいてくる黄瀬くんの肩を叩く。

『5体もいたんだね。お疲れ様。』

黒子くんは黄瀬くんを駄犬だと言うけど、私はこんな犬がいたら飼いたいな。
おっきなゴールデンレトリーバー。

『次の教室行こうか。何か見つかるといいけど。』


それからみんなで三階を調べ尽くしたけど、もう何も見つからなかった。
ただ、途中の教室で氷室くんが小さな鍵穴を見つけた。
教室に入ってすぐの壁の下の方に、壁に埋め込まれた灰色の鉄の小さな扉があったのだ。
鍵穴に鍵を突っ込んでみたけれど、サイズはピッタリなのに開かなかった。
ってことは鍵は他にもたくさんあって、この扉は他の鍵で開くんじゃないかって思うのは当然のことで。
今吉さんは大仰に天を仰いでみせた。

天を仰ごうにも窓も開かないこの学校の中で、空を見上げることは出来ないけれど。



二階に降りた時、たまたま隣にいたのは今吉さんだった。
先頭の方に花宮と原がいて何か話している。
今吉さんは私服で、八分丈の黒のVネックのトップスにチノパンというシンプルな格好が大人な雰囲気を醸し出している。
銀色のこれまたシンプルなネックレスだってオシャレだ。
制服を着ていた時よりも自分との年の差を感じる。

「ん?どうしたん?」

ジロジロ見ていたのがバレた。

『大学生だなーって思って。』
「また大学案内したるわ。…一人でおいでな。」

今吉さんは腰を少し屈めて、悪そうな顔をしながら私の耳に囁いた。

「みんなも、蘭乃もだいぶゲーム慣れてきたなぁ。」
『この集団での立ち位置が分かった気がしますから。それに出来るなら楽しまないと、損だなって。』

いいこいいこ、とでも言うように私の頭を撫でる今吉さん。
今吉さんって意外と人と接するのが好きな人なんだと思う。
話しかけたらニコニコ笑って返事してくれるし。
…まあ人好きのする笑顔とは言い難いけれど。

「なんでもそうやけど楽しんでやれる子は強いで。」
『和成が、凄く楽しそうにバスケやってるんです。』

和成を見るとやっぱり楽しそうに氷室くんと話している。

『だから何だって楽しんだもん勝ちなんだなって、和成見てたら本当に思いますよ。』

特に和成が高校生になってからは強く思うようになった。
和成は自分を見限らないポジティブな強さを持っている。
私にはなかったし、もしかしたらそれが1番足りなかった部分かもしれない。
前を歩いていた花宮が振り返った。

「あんま呑気に話してると危ないぞ。」
『そうだったね。』
「花宮ワシも心配してや。」
「気色悪いですよ。」

いつもより良い子ちゃんな声なのに、物凄く嫌そうな顔をする器用な花宮を笑った。

その時。
真横にあったドアが開いた。
デジャヴを感じてとにかくしゃがみ込む。
今吉さんが行くかな、と思ったけど、私の前に出てきたのは花宮だった。

「ふはっ、もう全部読めてんだよ。次の手もな。」

その驚異の記憶力でゾンビの全ての動きのパターンを把握した花宮に1on1なんて、もうお遊びでしかない。
流れるような体捌きで花宮はゾンビを瞬殺した。

「ほら。」

立つのも忘れて呆然と見ていた私に花宮が手を差し出す。
伸ばされた手を取ると、引き寄せられるように立たされた。

「あんまヒヤヒヤさせんな。」

仕方がない子供みたいに言われて、なぜかちょっとキュンとした。





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言うなればこの集団も一つの小さな社会です。社会に入ると地位が与えられ、それに応じた役割も与えられる。役割を果たすと他者から褒められ、その繰り返しで自我が安定します。自我の安定した人の多い社会は安定します。だからこの集団は強いです。


伊月くんお疲れ様です。


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