脱出番外編
□手を伸ばして探してる
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☆誘い込んで〜の後
『お、じゃましまーす…。』
おっかなびっくりといった様子の湧に思わず吹き出しそうになる。
湧を初めて俺の家に呼んだ。
たまに図書館で一緒に勉強することはあれど、完全に二人っきりになること自体まず初めてかもしれない。
さすがに空気を作るのが上手い湧でも緊張するらしい。
別に取って食いやしねぇんだけどな。
取り敢えず部屋に連れて行く前にリビングの机に座らせ…
『花宮、部屋どこ?』
「……はぁん?」
『ん"っ。』
思わず眼力を込めて湧を見てしまう。
そんな俺の顔を見て、湧は変な声をあげて半笑いで後退った。
こいつ、俺が段階を考えて…まあいい。
「そこ左曲がって…そう、その部屋だ。なんか持っていくから好きに座ってろ。」
冷蔵庫を開けて息をつく。
なんだあいつは本当に。
家入ってきて最初の反応はじゃあなんだったんだよ、慣れるの早すぎだろ。
急いで麦茶をコップに入れて部屋へ戻ると、湧は窓の外を見ていた。
『あ、おかえり。』
おかえり…?
『すごいね、私も和成も一軒家だからこんなに高いところに部屋があるの不思議だなって見てたの。』
「マンションだからな。」
とんでもない爆弾を落とされたような気がしたが気のせいだったのかもしれない。忘れよう。
ローテーブルにグラスを置いて彼女に座るように促す。
勉強机とベッドと本棚しかなかった部屋に、わざわざ親の部屋からローテーブルを持ってきておいてよかった。
まさか本当に使うことになるとは。
「今日は何するんだ。」
もちろん勉強の話だ。
俺らは受験生で、いくら好きな人を家に呼んだからと言って彼女の勉強の邪魔までするわけにはいかない。
つーか俺が教えるからこいつにはかなり助けになってるだろうし。
『花宮と一緒だからセンター数学かな。』
センターレベルの数学でなぜ満点が取れないのか理解出来ないと馬鹿にしていたが、湧に対しては不思議とそういう感情にはならない。
以前出来ていなかったことが出来るようになっている。それだけで努力したんだな、と思えてしまうのだ。
『過去問は夏が終わってからにするんだ。今は模試の過去問とか解いてるけど、点数取れない時はほんと取れない。』
毎回安定して点が取れないなら出来たということにはならない。
『ほら見て、この間このワークの第二回は82点だったのに、第三回は61点だったんだよ!本番でこの点数だったらどうしよう…。』
「なんでそんなに悪かったんだ。」
『まず確率で死んだ。』
ほら、この問題のここをこう勘違いしてね、と説明し始める湧。
この式が次にどうしてこうなったかわからない、どうしてこの問題からこの解き方が浮かぶのか分からない、と頬を膨らませる彼女の横に移動して解説を覗き込む。
どこまでが分かってどこからが分からないのか、なぜ分からないのか。次はどうすればできるのか。
すごくきっちりしてるやつだと思う。
納得のセッターでマネージャーで長女気質…高尾は実の弟ではないが。
だが俺がいなければこの勉強の相手を誰がやるのだろうか。
塾の講師なんかは意外に若いやつが多い。
湧みたいな女子高生を相手にした時に邪な気持ちがないか、かなり疑わしい。
一通り説明が終わると湧はシャーペンを放り出した。
家での勉強はいくらでも声が出せるからいい。
『すごい、花宮ほんと分かりやすいし何聞いてもすぐ答えてくれるすごい。』
そう言うと机にペタッと倒れこむ。
机にだらんと伸ばした右腕に、俺の方とは反対を向いて頭を乗せたから顔は見えない。
手を少し動かせば届く距離に頭があって、思わず動揺してしまう。
これは、触れていいのか?
まず髪を一房、手に取ってみる。
俺の髪と違って細くて軽い。
量もそれほど多くない。
湧は知らないフリをすることにしたのか、シャーペンをいじりながら反対を向いたまま。
それが面白くなくて、少し乱暴に頭を掴んでしまった。
『痛いよー。』
湧は落ち着いた反応だ。
たぶん誠凛はあの感じを見るに距離感近そうなやつがたくさんいるし、高尾もあんなんだし慣れてんだろうな。
それに比べて、俺は中学生か。もしくはザキか。
どうせ俺が触りたくて仕方がないことバレてんだよな…開き直るか。
「触りたい。」
『…ん?』
おかしな発言だ。
すでに触っているのに。
「触ってもいいか?」
『え、な、何を?』
湧は動く勇気がないのか、机に伏して身を固めたまま。
「どこならいい?」
『え、どこって…肩とか背中とか腕とか…?通報されなさそうなところで。痛いことしないでね。』
さらりと付け加えられた言葉は深く考えないでおこう。
気軽に言うくらいだから本気で心配してるわけではあるまい。
許可された通り、無造作に背中に手を置く。
薄い服の下に生身の体があるのが分かる。
細いから柔らかくはないな。
手を滑らせて向こう側の肩を抱く。
湧が弄っていたシャーペンを落とした。
だが俺もそれ以上進めるわけにも行かず、結局手を湧の頭に戻した。
『気が済みましたか…?』
「許可が出たらこんなもんと思うなよ。」
『んふふ、楽しみだね〜。』
湧が茶化すように笑ってクルッとこっちを向いた。
ぺたんと机に引っ付けた頬が可愛い。
心の真ん中にスッと入り込む手は柔らかく心地よい。
まるで優しく心臓を持ち上げられているような、感じたことのない感覚がする。
心底、お前が怖いよ。
「拒絶されるのは傷つくが躱されるのはいいな。」
『やめてやめて、怖いこと言わないで!』
「勝ちたくなる。」
湧はひゃあ、と高い声で笑った。
こんなに自分の家が明るい雰囲気で満たされたのは何年振りだろうか。
初めてかもしれない。
『花宮、すごい顔してるよ。』
「え?」
『甘い顔してる。』
思わず片手で頬を抑える。
嘘だろ、甘い顔ってなんだよ気色わりぃ。
つーかそんなこと指摘してくんなよ!
気恥ずかしくなって思わずしかめっ面をしてしまう余裕のない俺を見て、湧は楽しそうに笑った。
『悪童のくせに。』
今度こそ、顔がカッと熱くなった。
「うるせぇ…。」
けらけらと笑うお前に、俺はいつまで翻弄されるのだろうか。
→→next…友人のまいさんに描いてもらった挿絵があるので是非ご覧になってください