脱出番外編
□心の底から素直に声を
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*二人の日常emerald4話(居酒屋の話)の後
もうすぐ初めての中間テストの時期だ。
といっても中間テストが実施される講義は一つしかない。
けどその唯一の中間テストが大問題なわけで。
統計学…なんで出来ないんだろう。
というかたぶんちゃんと授業聞いてないから悪いんだよね。
だって何が分からないかも分からないもん。
やり方を一回教えてくれたらいける気がする。
もらうだけもらって理解しようともしなかった大量のプリントを見る。
この課題プリントさえ理解していたらテストは乗り切れるらしい。
課題プリントは8枚。
誰に頼もう。
常識的に考えれば花宮だろう。
でも彼にバカだと思われるのはなんだか嫌だ。
宮地さんか…でも怖そうだしあの人文系だもんね。
じゃあ賢くて優しく教えてくれそうな人って…。
『今吉さん…?』
「湧ちゃんこっち。」
『今吉さん!』
カウンター席に座る今吉さんに駆け寄る。
中間テスト三日前。
私は今吉さんと彼の通う大学の近くのカフェで会っていた。
「ここは店員も回ってこんしみんな勉強するのに使ってるんやで。」
今吉さんに勧められて彼の左に座る。
「ほんで何が分からへんの?」
『このプリントさえ理解してたらいいらしいので解説をお願いしたくて…。あ、全く理解してないです。』
「ふーん。」
今吉さんはプリントをパラパラとめくる。
「こんくらいやったら大丈夫やろ。任せとき。」
『ありがとうございます!』
「可愛い後輩に勉強教えられるんや、ワシも賢くてよかったわぁ。」
今吉さんは私を見てニヤリと笑った。
今吉さんはやっぱり教えるのがうまかった。
それに耳触りの良い低い声の関西弁は優しい。
『このXの二乗って…。』
「"解"の二乗な。」
今吉さんが私の手元を覗き込む。
「え?だからそれはさっきの公式やん。」
『あ、そのプリントの……わっ!』
「っ!」
今吉さんの右側に手を伸ばして一つ前のプリントを取ろうとすると、タイミング悪く今吉さんが身を乗り出した。
一瞬、唇が触れ合いそうになるくらい顔が近づいた。
今吉さんがダンっとテーブルに手をついてのけぞる。
私は驚きすぎて避けることもできなかった。
「すまんっ。」
『いや、私こそ…。』
思わずカッと顔が熱くなる。
今絶対真っ赤な顔してる。
途端に今吉さんがかっこよく見えてきてしまう。
「そんな恥ずかしがらんといてや。本気で照れてまうやん。花宮とはちゅーどころの騒ぎちゃうやろ?」
取り繕おうとしたのか、今吉さんがからかう様に笑うが、私はもっと赤くなるだけ。
「待って待って、どないしたん?!」
『いや、私、花宮とはそんなに…。』
「嘘やろ?!…舌は?」
『え、っと…まあちょっとは…?』
今吉さんがシャーペンを置いた。
心底驚いたといった顔だ。
「なんで?もしかして花宮のことそういう意味の好きちゃうかったとか?」
『いや、そうじゃなくて。そういう雰囲気にならないんです。別に私はそれでもいいんですけど。』
家にいる時はお互いしたいことをしているし、寛ぎまくってて性的な感じになんてならない。
『あと、なんか自分がそういうことするの似合ってないっていうか、想像できないっていうか…なんか分かんないですけど…。』
「確かに湧ちゃん彼氏とそんなどエロいことしてそうにないけど、でも相手はあの花宮やしな…。」
それってまさか私に色気がないとかそういう…。
「あーいや、ちゃうねん。湧ちゃんそんな軽そうにないからってことやで。」
私の表情を読んだ今吉さんがすぐさま否定した。
「ワシかて花宮おらんくて湧ちゃんさえよければちゅーくらい…ってそんな話ちゃうわ。」
勉強会が一気に恋話会になってしまった。
「花宮に聞くしかない…そうや。呼び出したれ。」
『え、今吉さんそれは!』
「ええやんええやん。そしたらあいつが来るまでに勉強も進められるしな?」
さすがにそれはマズイと一生懸命止めようとしたのだが、今吉さんに上手く丸め込まれてしまった。
数十分後、唸りながら今吉さんの自作の応用問題を解いていた私は誰かに後ろから抱きしめられた。
『んっ…!』
そのあまりの力強さに、思わず悲鳴をあげそうになった口を押さえられる。
「なぁにやってんだ。」
花宮だった。
「あらあら、お熱いことで。なんや普通にラブラブやん。」
「それで?どうして呼びつけたんです?人の女に会っておいてわざわざ。」
花宮の腕の中でジタバタするも離してくれそうにない。
誰も見てなさそうだとは言え、ここ一応人前だから恥ずかしいんだけど。
「湧ちゃんから自分らがキス止まりやって聞いてな。先輩として心配になったんや。」
「ハッ、死ぬほど大きなお世話なこって。」
解放されたくて、花宮とバチバチとやりあっている今吉さんの手を叩く。
「あぁ、湧ちゃん離したりや。」
「チッ。」
なんで舌打ち。
漸く解放されて、息をつく。
『違うんだよ花宮、 別に文句があるとか今吉さんにそういう話をしようとしてたとかじゃなくて…!』
「どうせサトリが上手く聞き出してお前が分かりやすい反応したんだろ。」
「いや、別にワシかてそんな話するつもりはなくてちょっとした事故で思わず湧ちゃんと…。」
『今吉さんっ!』
泣きそうな悲鳴じみた声が出たのは仕方ないと思う。
花宮はちょっとギョッとした顔で私を見た。
「おい、何しやがった今吉…。」
そしてなぜか私の顔を体に押し当てた。
「なぁ花宮、かわええなぁ湧ちゃんは。」
「消えろ、今すぐ消えろ。俺の湧に何してくれたんですか。」
「さっきもどこまでいったか聞こうとしたらギューって固い顔してたわ。まあ頑張れや。ワシには全部…」
「だからほっとけって言ってるでしょう。勉強の続きも俺が教えるから大丈夫です。」
「なあ花宮、あまりに相手を尊重しすぎるのも…。」
花宮が突然私の耳を強く塞いだ。
痛い、何も聞こえない。
花宮の体が震えて、強い口調で何か話しているのが分かる。
"相手を尊重しすぎるのも"ってなんだろう。
確かに花宮はこれまで私の嫌がることなんて一切してこなかった。
彼の行動はほとんど、私が自分から望んだことばかりだったかもしれない。
花宮の手が耳から離れた。
「帰るぞ。」
『え、でも、今吉さん…。』
「ワシはええよ。楽しかったで。」
今吉さんはプリントを片付けながら笑顔で手を振って、花宮はそれを奪い取って私のカバンに全部しまった。
『あの、本当にありがとうございました。』
「ええ点取ってや。」
『はい、報告します!』
「じゃあな、花宮も。」
花宮も小さく会釈のようなものをして、私の手を引いてカフェから出た。
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