「何度も申し上げますが、その気はありません」 重厚な低音に、更に重厚なドアの閉まる音が二重奏で重なる。 声の主はガルル中尉。上官室のドアをバタリと閉めて、カツカツと苛立った足音を廊下に響かせる。 また、アノ話かな? と、噂し、恐れを見せるのは彼の部下達。 アノ話。 最近、ガルル中尉にはやたらと見合い話が持ち上がるらしい。上官の娘や姪、軍とゆかりのある名家の令嬢、富豪のご息女。めぼしいところは出尽した感だが、彼はことごとく一席の受諾すら断ってきた。 出世に響くぞと脅しても、構いませんの一点張り。ましてや、軍人は戦果を認められ昇級していくもの。見合いを断ったくらいで道を閉ざされるのでは、私はその程度の軍人だということです、ときた。 ここまで言われれば折れるのは上官の方々。 それにしても、解せない話だ。損な話ではない。会うだけ会ってみれば、中には彼のお目がねに叶う女性もいるかもしれないのに。何故、そこまでかたくなに断り続けるのか。「その気がない」の真意はどこにあるのか。 そこで噂は一気に盛り上がる。 ガルル中尉には意中の人が既にあるのだろう!と。 「で、何の用でありますか?」 「…恋人に逢いに来るのにいちいち理由が必要かな?」 「…言い訳しにきたくせに」 ガルルは苦い笑みを浮かべた。 愛しい恋人は、かの噂話を知っている。 「妬く必要などないというのに」 「わ、我輩のどこが妬いてるでありますか!そんなのガルル中尉の自惚れであります!」 ご機嫌斜めの恋人は、真ん丸い黒目が三角形になりそうなほど、顔を歪めている。 「機嫌を直しなさい、ケロロ」 腕に抱き込もうとすれば、無理矢理抱き締められた野良猫の抵抗のように両腕をピンと突っぱねた。しかし恋人は本物の野良猫ではないので、鋭い爪で引っ掛かれないだけマシか。 「嫌であります」 「何が?」 「……」 口を閉ざす。その閉ざした口を塞ごうとすれば、顔を横に反らした。軍帽のはしっこが、ガルルの頬をピシャリと打つ。 「あ…ごめん…であります」 たとえ恋人であっても、まがりなりにも上官であるガルルの頬を打つような行為は好ましくない。 謝罪を口にしたケロロは、気まずさに再び閉口した。 「見合いは全て断っている。何も気に病むことはない」 ケロロは途端、キッとガルルを睨め上げた。 「ガルルは何にも分かってないであります!」 その剣幕につい抱き締める力が緩んだ。腕から飛び出しケロロはガルルの胸倉を掴み上げた。 「中尉のさ、お荷物になるなんて我輩、真っ平であります!」 「何のことだ…」 ガルルの目の色も変わる。燃えるような焔の目に焼き尽くされそうだとケロロは思う。 「我輩と付き合うことでガルル中尉にデメリットがあるなんてさ、そんなの嫌に決まってんじゃん!」 痛いほど張り詰めた空気は、吸い込むと肺まで火傷しそうだ。 「デメリット?」 上官がしつこく説いた出世のことか。 そんなもの。 吐き捨てるように口の中で転がしてから、ガルルはすっと息を吸い込んだ。 「言いたいことはそれだけか?」 ケロロの頬が引き攣る。 ガルルに掴まれた手首は、痺れるくらい痛かった。 「そんなものを恐れて私がお前を選ぶと思うのか?」 ケロロは瞠目した。そこにガルルの顔が近づいてくる。 「…あるとすれば喪失の恐怖を知ったことかな。家族でも部下でもない誰かを失うことの恐れ、哀しみ…それを思えば私は心臓が凍りつきそうになる。出世などいくらでもこの手で掴める。だがお前という存在は、お前の気持ち一つで私は永遠に失うことになるんだぞ?それをして…今更何を恐れるのだ、ケロロ」 今度は強い力で、有無を言わさず腕の中に閉じ込めた。まるでケロロが消えてしまうことを恐れるかのように。 「…ガルルは意外と愚か者であります…」 「恋する者は皆、愚かだよケロロ」 こんなデキる男に、こんなに想われて、恐いのは我輩の方だ。いつか背中を向けられる日が来た時、その時に見苦しい送り方などしたくない。それがせめてもの、男としてのプライドで。 「我輩が邪魔になったらガルルの口からそうだと…」 「まだ言うか…」 そんな口など塞いでしまえ。お前にそれを言わせるほど、私の愛は足りていないか。 言葉には出さなくとも伝わるのか、ケロロはゆっくり首を横に振った。 逆であります。愛情なら飽和して溢れてしまいそうで。溢れて零れてなくなっちゃったらどうしよう…我輩はそれが怖いだけであります。 いつか、ガルルのその深い愛情を、誰かに奪われそうで。 目を閉じたケロロをようやく抱き締める。腕から伝わる温もりが切なく愛しい。 互いの間には永遠に続くような恋慕がある。けれど二人の間には見えない壁もまた存在するのかもしれない。 いつも側にいれない分、募る想い。遠く離れた恋人を想う切なさ、想うあまりにすれ違う心。 ならば私はその壁を破壊してでもお前の元に行くよ。 ケロロは息を詰めた。確かな愛情を感じ、胸の奥までが熱い。 熱くて熱くて、焼けた胸が痛くて。滲む涙はガルルの唇に消えた。 離れていても、揺るぐことはない。 きっと壁の向こうで泣きながら強がりながら、血まみれの拳で壁を壊そうとしているお前がいると信じているから。 end |