その他

□未知からの指令
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すたん

放課後、生徒が散り散りに教室を後にする中、藤内はひとり作法室に足を踏み入れた。
広い室内に人はいない。
早く来すぎたかな、なんて思いつつ後ろ手に障子を閉めると、
陰り始めた陽がその和紙に通されてやんわりとした影をつくった。
座りなれた場所に腰をおろす。

すると。


「と―おない」
「ぎゃっ…!」


唐突に背に重みを感じて、座った体勢とはいえ支えきれずに前のめりに倒れ込んでしまう。

重いというのもあったが、
なにより自分以外に人はいないと思っていたところのいきなりの刺客に驚かずにはいられなかった。

しかしこちらのことはお構いなしに、
声の主はその体重を預けて我が身をぎゅうぎゅうと抱き込んでいる。


「…綾部先輩、苦しいです」


悟れなかった自分もどうかとは思うが、先輩の、
気配を消すとかいったいわゆる術の類を身を持って受けるとちゃんと先輩なんだな、と失礼ながらに感心する。
…普段が普段なだけに。

しっかりと抱きかためられた体で、首だけひねって向けると綾部先輩は目を細めておれの肩口に顔を埋めた。
彼の数少ない、感情表現。
おれは、その瞬間が堪らなく好きだった。

でも。


「…先輩?どうしたんですか」


綾部先輩の腕に込められた力は弛まることなく、むしろ身体が悲鳴をあげだす。
…情けないから、決して口には出さないけれど。
しかし、落とし穴を掘ることが一種の趣味と化しているだけに、
彼の力は耐え難いものがあった。


「…せ、先輩、僕、もうそろそろ…」


おちそうです。

言い切るか言い切らないかのうちに、解放された。
名残惜しさ半分、安堵半分…いや、やっぱり安堵八割。

考えていると、背後で空気の吸われる音がした。


「これで地球は守られたよ、藤内」
「…はい?」


その一言でだいたいは理解できてしまう自分が恐ろしい。


「いま、地球の明日はわたしの手に委ねられているのだよ」
「…」


綾部先輩は天気でも話題にするような口振りだ。しかし、その内容は随分と物騒である。

おれはきっとまた、気紛れな遊びに付き合わされているのだろう。…ろくな許諾もなしに。


「おおっと!また新たな指令が…!!」
「…」


物々しく耳に手をやる綾部先輩。その耳には、一体なにが聞こえているのか。


「なに…!?藤内のほっぺをふにふにしないと地球爆発!?それは大変だ…っ」


そこまで言うと、彼はこちらに向き直って言った。


「というわけで、協力してくれるね」
「なにが“というわけで”ですか…!」


頬を両手でおさえ、触れないようにすると彼は馬乗りになって、力付くにそれを退かそうとする。


「地球の未来は藤内の協力で救われるんだよ!!」
「大丈夫です!おれが身を捧げずとも明日はやってきますから!!」


しばらく上になり下になりとごろごろ転がりながらの攻防が続いたが、
おれは遂に優勢にたって綾部先輩の両手を床に結いつける事に成功した。
綾部先輩は一瞬、驚いたように目を見開いたが、その顔はすぐにもとの、感情を感じさせないものに戻る。
おれにはそれが年下として、妙に見下されているようで気に入らなかった。


「ねえ、とーうない?」


反応を楽しむかのように、綾部先輩はおれの名を呼ぶ。…ひどく、甘えた声音で。
常ならばしないその挑発に、己の内でなにかが切れる音がした。


「と、う?」


もう一度呼ばれようとする名を遮るように、その唇を自らのそれでふさぐ。
綾部先輩は次こそ本当に虚をつかれたようで、しばらくは唖然と身をあずけていたが、やがて積極的に舌を絡ませてきた。


「ふ…ん」


二人分の漏れ出た吐息が、紅に染まる室内に響く。
息が苦しくなって身をひこうとすると、もっとと強請るように歯をたてられる。


「ふぁ…はあ、はあ」


しかしおれにも限界というものがある。力付くに唇を引き離した。
綾部先輩は名残惜しげに見上げながら、口の端を拭っている。


「どうしたの、藤内」


随分といきなりだなあ。

綾部先輩は言うが、何を今更、という気もする。そんなところも綾部先輩らしいと思うと、笑えてきた。
おれは出来るだけなんでもない顔をつくって、静かに言った。


「たった今、指令が入ったんです。綾部先輩と接吻しないと地球は爆発する、と」


意趣返しの成功に、おれは小さくほくそ笑んだ。

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