その他

□ぬくもりに満ちたこの部屋は
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「先輩なんて、もう知りません」


滝夜叉丸はそう言って、大きな音をたてて扉を閉めた。
かんかんと古びたアパートの階段を下る音が、ひとりの部屋に響く。
わたしはその背中を見送ると、ごろりと寝転がった。

滝夜叉丸と喧嘩をした。

きっかけは、本当に些細なことだったと思う。
そんなことはもう忘れてしまった。
いまのわたしに重要なことはひとつで、
これからは、滝夜叉丸のいない日々を過ごさねばならないということだった。
これまでを思ってみると、寮制の学校を卒業して滝夜叉丸とここに住み始めるまで、
一人暮らし歴はたったの2年ということになる。
滝夜叉丸が来てから家のことはすべて、
なんだかんだ言ってやってくれていた。
そういえば"そんな、すべて私任せなところが嫌"とか言っていたような気がする。


「しょうがないだろ」


お前がいたんだから。
理不尽に嘯いても、かえってくる言葉はない。
ただ、綺麗に片付けられた部屋で己の声が小さく反響した。

この部屋も、何日かすれば散らかってしまうだろう。
わたしの料理のレパートリーなんて微々たるものだから、
何日もすれば飢えてしまうに違いない。
洗濯だって、きっと"効率よく"なんてわからないから、
何日で嫌になってしまうんだ。


「…寒い」


別段、気温が低いわけではない。
むしむしと、暑いくらいだ。
開け放した窓の外では、さあさあと軽い音をたてて
やわらかい雨が降っていた。
けれど。
そうだ、部屋が寒い。
妙に納得して彼の名を呼ぶ。

滝、滝、滝。
ありがとう、ごめん、わたしが悪かった。

虚しくかすれるわたしの言葉は、
発せられるには些か遅いものばかり。
体を折って出来るだけ丸くなる。
自分の呼吸の音と、
食材もろくに入っていない冷蔵庫がブーンブーンとなく。
そんな音、気にしたことなどなかったのに。


そのまま、どれほどたっただろう。
うつらうつらしていた背後で、扉の開く音がした。


「うわあ…霧雨だからいけるかと思ったんですけど…結構ぬれるもんですね」


聞き慣れた声。
そして、いま最も聞きたかった声。
勢いよく振り向くと、
滝夜叉丸がしっとり濡れた衣服をぱんぱんと叩いていた。


「滝…?」
「はい?…ああ、ただいま、です」


そう言って、照れたように笑った。
手には、近所のスーパーの袋が握られている。


「ああ、これですか」


わたしの視線に気づいたのか、滝夜叉丸は軽くそれを持ち上げる。


「今日は少し気温が高いですから。お昼、素麺でいいですか?」


当たり前のように用意される食事。


「あ、あああ!先輩!!なんで窓閉めてくれないんですか!?床びしょびしょじゃないですか!!」


彼はズンズンと部屋を横切る。
その身は案外、雨に濡らされたようで
むき出しの床にじんわりと足跡を残した。


「この濡れた床を、誰が掃除すると思ってるんですか!?」


当たり前のように掃除される部屋。
滝夜叉丸はぎゃあぎゃあと声を荒げるけれど、
わたしの口角はにわかにあがっていた。


「…あたたかい」
「は!?ぎゃ、ちょっと先輩、
 抱きつかないでください!
先輩の服まで濡れちゃうじゃないですか!!」


抱き込んだ体は冷えているし、
じんわりと水の伝ってくる感触を覚えたけれど、
不快だとは思わなかった。


「滝がいないと、部屋が寒いよ」
「?なに言ってるんですか」


滝夜叉丸は訳がわからないという顔をした。しかしわたしは、
あるひとつの答えを見つけたのだった。

「あああ!!いい加減はなしてください!!
洗濯するのは私なんですよっ!!」

ああ、この当たり前の温もりの、なんとあたたかいことか。
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