働くお兄さん

□3
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【3】

俺は一体、何をしているのだろう。

正直な話、香坂は何をどうすればいいのかわからないでいた。
目の前の男は、さも当然というように女将に「何か見繕って」と頼んでいる。注文を受けた女将も同様に、当然のように「畏まりました」なんていって、席から下がっていった。

何だって言うのだ、この男は。

「香坂サン、昨日はありがと。まじで、助かった」
「い、いや……」

俺は思わずキョロキョロしてしまう視線を、目の前の男に向けた。
大急ぎで部屋に帰ったと思ったら、部屋には昨日介抱した男が部屋の中にいて、お礼に食事につきあえと言って連れて来られたのが、この高級料亭だった。
高級料亭なんて入ったことも連れて来られたこともない。
女将自ら接待してくれるこの男は一体何者なのか。
香坂の興味と不安は、さっきからずっとそこに留まっている。

「それじゃ、感謝の気持ちを込めて……乾杯!」
「乾杯……」

彼は昨日もあれだけ気持ち悪くなるほど酒を飲んだというのに、お猪口に入った日本酒をぐいっと煽った。
目の前の男は、この店に慣れているらしくリラックスしているというのに、香坂のほうは足も崩せず、動きもぎこちない。
突然連れて来られた上に、そういえば、彼の名前も知らないことに気付く。

「で、」
「で?」
「ごめん、名前聞いてもいいかな?」

相手が自分の名前を知っているのに、自分だけが知らないことが、酷く恥ずかしかった。
男も香坂に名乗っていないことを初めて気付いたらしく、「ああ」と頷いた。

「御門。御門晃平」
「御門くん……」
「うわー久しぶり、名字で君付けとか」
「あ、そうなの?」

明らかに自分より年下に見える御門を、当然のように「くん」付けで呼んでしまったのだが、彼にはそれが新鮮だったようだ。
自ら「御門くん」と繰り返しては、笑い転げていた。

笑うような話か?これ

「香坂サンっておもしろいのな」
「……そう?」

おもしろいのは君の方だけど。

突拍子もなくて、ワンマンな御門は、今まで香坂の周りにはいなかったタイプの人間だった。
どうやって話すきっかけを作ればいいのか判らない。

今日は昨日と違って顔色も悪くないから、余計顔が整って見えた。
顔は小さいし、首も長い。シルバーのソリッドリングを嵌めている指は、決して細くないのに、爪先まで綺麗だった。

こんなところに来るぐらいだから、どこぞの坊ちゃんか?

「どうかした?」

黙り込んで、じっと見つめていた香坂を訝しんだ御門が首を傾げた。
我に返った香坂は、御門と目が合ってしまい急に気恥ずかしくなってくる。

「あ、いや、何でもない」

何、じろじろ見てんだろ、俺……

ここに連れて来られてから、明らかに、挙動不審な香坂の行動を見られているのではないか。
先ほどの「おもしろい」と言った御門の発言も、「変な人」と言われているような気がしてきて、余計に心が落ち着かない。
ますます動きがぎこちなくなってくるようだ。

「ここの料理、まじおいしいから食べなよ。全然手ぇつけてねぇじゃん」
「あ……」
「ねぇ、もしかして緊張してる?」
「う、うん、ちょっと」
「昨日はそんなことなかったのに、何で?」

何でと言われても、それは君がいきなり押しかけてきて、こんなところに連れてきたからだろう!
昨日は、君はまともに喋れる状態じゃなくて、母性本能?じゃないな、庇護欲?いやいや、なんかそれも……気持ち悪いな。
なんというか、人として見捨てておけなかったからであって。
一体、君、何者なんだよ。
明らかに、俺より年下なのに、こんな高級料亭慣れしているって、どんな生活送ってるんだよ。
そもそも、いきなり現れて、何者っていうより、何様っていうか、なんていうか……えー……

「……なんか、考えるの面倒くさくなってきた……」
「え?何?」

いろいろ考えてしまったけれど、考えることに疲れてしまって面倒くさくなってしまった。

彼は、御門晃平といって、酔っぱらった彼を助けたのが、俺、香坂峻でした。

「もう、それでいいや。」
「ちょっとー?香坂サーン?戻っておいでー?」
「人を犬みたいに言うなよ、失礼なっ」
「あ、戻ってきた」

思考の海にダイブしていた香坂は、香坂の顔面で手を振っていた御門の手を掴むと、思いの外、御門の顔が近くにあった。
向かい合わせの席から、身を乗り出していた。

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