働くお兄さん

□4
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【4】

香坂の人となりが御門には怖く感じる。
あんなに人を簡単に信用できるものなのか。
悪い人間には見えなかった──騙される人間はまずそういう。
ニュースを見たってそうだ。
事件を起こした人間について、周囲は「いい人そうだったのに」と言っては、本人の本質を全く知らないで勝手に解釈する。

悪い人間には見えなかったと言われたのなんて、初めてだった。
遊び歩いてはいるが、別に不良ではないし、他人に暴力を振るうようなことはしないし、警察沙汰になるようなことはしたことがない。
そういった意味で悪い人間だとは、御門自身も思っていないが、良い人間だとも思わない。

物心ついたときから、御門は、両親にも、兄姉にも、使用人にも、友人にもお金持ちの坊ちゃん扱いを受けてきた。
そして友人だと思っていた相手が、本当は友人でもなんでもなく、ただ御門の財力や容姿に群れたハイエナだということも気づいていた。

御門は遊び惚けた、放蕩息子だという匂いをぷんぷんさせていたし、その匂いを嗅ぎつけてやってくるハイエナ達を軽くあしらって遊ぶ生活も、なかなか楽しいものがあった。
ハイエナ達も、決して御門が本気にならないのをわかっているから、ライトな関係を続けられている。
程よい位置関係で付き合っていれば恩恵を受けられるし、強欲にまとわり付き過ぎればウザがられて突き放されるだけだ。

端から御門の財力と容姿に惹かれただけの連中と真剣に付き合う気も無かったし、そんな連中を信じようと思ったこともなかった。

なのに、なんなのだろう、あの男は。
確かに部屋にいたことは驚いていたようだし、鍵を返しそびれていたことに呆れもしていたけれど。
だけど、あんな、何事もなかったかのように赤の他人に向けて笑うなんて。

あれは、「愛想笑い」なんかじゃなかった。

動揺を押さえ込むように口元を手で覆い隠した。
悟られまいとするようなその行動は、幸いなことに香坂が席を立っていたから無意味なものだった。

そんな御門の物思いを断ち切るように、テーブルの上のケータイが鳴り、御門は大仰に肩を揺らした。
御門のケータイはボトムスの後ろポケットの中だ。
向かいに座っていた彼のものだ。
だが生憎本人がいない。
何回か着信音を繰り返した後、ぴたりと音が止んだ。
なぜかじっと息を殺して、香坂のケータイを凝視してしまっていた。
音が止んだことで、御門は息を吐き出した。
自分の行動にわけが判らなくて、御門はまたしても混乱しそうになる。

「なんだってんだよ、たくっ!」

なんだかもう、帰ってしまいたい。
香坂が戻ってくる前にふけようか。
しかし、ここに強引に連れてきたのは御門だったし、何しろ目的は鍵を返し忘れた後ろめたさを隠すための「お礼」と銘打った食事だったわけだ。
「あんたのせいで、なんかわけがわからなくなったので、帰ります」なんて、さすがの御門も出来なかった。

(これが、馬鹿な女だったら簡単にできたんだろーけど……)

またしても御門の心を跳ねさせたのは、今の御門の思考のほとんどを閉めている香坂ではなく、再び鳴り出した香坂のケータイだった。

「──っうるせぇな!」

何度も震え続けるバイブレーションと、初期設定だと思われる着信音を垂れ流すケータイの通話ボタンを勢い良く押した。
電話にでた勢いそのままに、ケータイの向こうにいる相手に怒鳴りつけてやろうかと思った。
人が真剣に悩んでいるのに、思考を遮るような呼び出し音に腹が立っていた。

しかし、その勢いは電話の相手の勢いに押され負けして消えてしまった。

『峻さん?部屋無事でした?何か盗られてるとか、トラブルになってません?連絡ないから心配してこっちから電話かけちゃいました。』



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