働くお兄さん

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時計を見ると十二時を指そうとしていた。
佐々に呼び出されて自席に戻った後、香坂は通常通り業務についていた。
だけれどずっと心の内に広がっていく靄を取り除くことはできないでいた。
パソコンをスタンバイ状態にして伸びをする。
すると目の前に座っている沙織が立ち上がり香坂に声を掛けた。

「今日のランチ、外に食べに行かない?」
「え?」

かわいらしく小首を傾げた沙織が香坂とその隣にいる赤西を見た。

「おいしいパスタのお店見つけたの。赤西くんも行かない?」
「いいですね、行きましょうか」
「いいのか?お前いつも弁当じゃん」
「女性の誘い断るほど野暮じゃないですよ」
「まぁ、そうだな」

沙織が好きそうな洒落た店だった。
インテリアもエクステリアもナチュラルモダンな作りの落ち着いた雰囲気だった。氷水に浮かべられたスペアミントの透き通った冷たさが喉に心地よかった。
男性客よりも女性客の方が多かった。
抑え目に流されるラテン音楽が耳に心地よかった。

「香坂くん、何かあった?」

パスタにシメジを絡めながら、殊更何事もないように沙織が香坂に聞いた。
それがなんだか可笑しくて、香坂は申し訳なく笑った。
佐々の言葉を思い出す。

「……なんか、すみません。沙織さんにまで迷惑かけちゃってるみたいで」
「迷惑なんかじゃないけど。主任と話したの?」

「帰ってきたとき、困ったような顔してたから主任が。」そう話す沙織の顔には複雑な顔をしていた。
純粋に心配しているのと、どうして相談してくれないのかという不満が入り交じっていた。

「なんていうか、二人にこんなこというのも何なんですけど、本当に、大したことない悩みなんですよ。主任にも最終的には呆れ顔されちゃったくらいで。」
「それは、業務中に『思春期の子供との接し方』なんていうサイト見ちゃうような内容なわけ?」

沙織の言葉に香坂は思わず赤面した。
確かに業務中にも関わらずそんなサイトを見ており、それを見られていたのかと思うと恥ずかしさが込み上げてくる。
佐々の呆れ顔も思い出してなおさら恥ずかしくなる。

「本当、馬鹿な悩みなんで……気にしてもらう方が申し訳ないっていうか……」
「それでも、俺は気になるんですよね。」
「赤西……」

今まで黙っていた赤西が唐突に口を開いた。
もくもくと食べていたピッツァはすでに半分、彼の胃袋に収まっていた。

「好奇心とか、そういうんじゃないっすから。話せないんだったら無理に聞きませんけど、でも、話してくれたほうが俺は嬉しいし。話せない内容なんだって、俺だって鬱になりますよ」
「ご、ごめん」
「別に、俺、怒ってるわけじゃないっすよ」

怒っているわけじゃないし、謝って欲しいわけじゃないという赤西の表情をちらりと見ても、彼の表情は堅かった。
無表情な彼は顔が整っているからか迫力が増した。
どう考えても怒っている赤西の隣で肩を竦める香坂を見て、沙織は溜め息をついた。

「……落ち着きなって」
「落ち着いてますって」

いまいち思いが伝わらずにカリカリする男と、まるで見当違いのことを考えているのだろう男を見て沙織は溜め息をつかずにはいられなかった。
折角のランチが美味しくなくなってしまう。
ハラハラ、ドキドキしながらの食事なんて味も素っ気もないし、消化にも悪そうだ。
サラダのトマトをぷすりと刺すし、口に放り込んだ。
青臭いトマトの味が口いっぱいに広がって、沙織は一瞬眉を顰めた。

「相手の考えていることがわからないんですよ」

パスタを絡める手を止めて香坂がぽつりと言った。
沙織と赤西が同時に動きを止めて香坂を見つめたのを、香坂は苦笑いと共に受け止めた。

「年下なんですけど、どうも、俺嫌われたみたいなんですよね。怒らせたっていうか。」
「それって、あの男のことっすか」
「ああ、彼、高校生なんだ。」
「高校生!?」
「だから余計わからないんだよねぇ、彼の考えてること。主任にも息子さんとどうやってコミュニケーションとってますかって聞いたら、俺だって困ってるよって返された。」

いまいち話しの飲み込めない沙織と置き去りにしていた赤西と香坂は、惚けている沙織に気付くと顔を見合わせた。
この店に来て初めて笑顔を(といっても苦笑だったが)見せた赤西が「例のマンションの鍵置きっぱなしにしたやつです」と言ったのを聞いた、ああ、その時の助けた男の話かと少し納得したのだった。

「なんで、峻さんが彼のことそんなに気にしているんですか」
「なんでって……わかってたら苦労しないよ。でも、知りたいって思ってるだけなんだよね。判りたいっていうか。」
「……相手が峻さんのことを嫌ってるのに?」
「痛いとこ付くなよ、なんか凹んでくるだろ」

香坂は恨めしげに赤西を見ると、パスタを絡む手を再開させる。
くるくるとパスタと、パスタに絡むシーチキンとカットトマトがフォークに絡まっていく。
香坂はそれを口に含むともぐもぐと咀嚼した。

「なんていうのかな……弟みたいに感じるっていうのかな。俺一人っ子だから、よくわかんないけど、彼、中身はすごく純朴っていうか、そういうところに興味が湧いたっていうか……。彼がどういう人物なのか、もっと知りたいって思ったんだよね。」

これではまるで──沙織は赤西が気の毒になって、赤西を見た。
そこにはやはり苦々しい表情をした赤西が、香坂の横顔を見ていたのだった。
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