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□葵様/ジェイド
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ああ、なんて空がきれいなの。蒼くて澄んだ空が素晴らしいわ。そう思った時にはもう遅くて、私は地に躰を落としていた。静かに躰の外へと流れていくことが分かる自分の血が、視界を動かすだけでよく見える。耳鳴りが、頭の中で響いていた。こんな時になって、いつもよりひどく大きな音は、今だからなのかもしれない。みえないものがみえてしまう私にとって、これ以上不安になる音はない。ああ、もういやだわ、いや、だ。酷く痛むだろうと恐れていた躰は、全く痛みを感じず。神経が壊れたのかもしれないと、冷静に私の脳内の片隅が囁いていた。痛みも感じなければ自分が地にひれ伏していることさえも分からなくなる。まるで空気のなかに一人、ふわふわと浮いているよう。ただ耳の奥で語り掛ける耳鳴りが、ずっとずっと、私をこの世界から遠ざけるために鳴っていた。つー、つー、つー。私はそっちに逝かなければならないのですか。まだ、もう少し、ここにいては駄目ですか。つー、つー、つー。耳鳴りは止まることなく脳内に響いて、それは駄目だと云っているかのよう。視界を無理やり動かせば、何時の間にか蒼い空は見当たらなかった。どこにいったの?蒼いその景色も、私がひれ伏していた地も。どこにも無かった。視界は何時の間にか暗闇。私だけがそこには存在していて、ただ一人、何もできない身体で唯一働く睛だけを動かす。だけど何処を見ても視界は真っ暗で、目もいらないような感覚に成った。その通りじゃない、真っ暗な視界だけなら、目なんかいらない。何も聞こえないくせに、耳の奥を通って、脳内では音とは云い難い耳鳴りが鳴りつづける。一体、何がしたいの。ここは私が何をすれば良い場所なの。一体、ここは何処なの。闇色の中で、私は声もあげられず、この場所を足で歩くことさえできない。(虚空の中で、私ができることなど何一つない)ねぇ、早くあっちへ連れてって。ちゃんと逝くわ。たくさんの名残があそこの世界にはあるから、早く、早く、あっちへ連れていってちょうだい。あの、紅いひとみの、あのひとを、思い出させないようにしてちょうだいよ。好きの言葉さえも言えなくて、ただあのひとに助けてもらってばかりで、あのひとの笑みだけを欲しいと望んだ私の記憶を消して欲しいの。だから、どうか、早く。あっちへ連れてって。私をずっとずっと支えてくれる皆の笑顔も。ねぇ、みんなの声が聞こえないよ。あなたたちの声が聞こえないよ。どこ?ねぇ、こんな記憶ほしくないのよ。涙さえもながれないこの喉も、全部全部、引き千切って壊してしまいたい。つー、つー、つー。脳内にひろがる静かな耳鳴り。ねぇねぇ、あのひとに、私、お別れのことばを言ってないよ。

私の、大切な、大切なひと。



耳鳴りがぷつりと途切れ
黒が鮮やかに色彩を描く



「聞こえますか。私の声が、聞こえていますか」

色彩はひどく暖かく、この世界を私は望んでいた。あのひとの声はいつもよりも大きくてまるで余裕が無かった。それは酷く私を幸せにして、色彩に現れた紅いひとみが私にとって、とても、とても、世界に帰ってきたんだと、語らせてくれた。そして身体がひどく痛かった。ずきずきと身体じゅうが痛みに叫んでいて、だけどそれさえも生きている証拠だと教えてくれた。(怪我をして、こんなに嬉しかったことは無かった)耳鳴りはぷつりと聞こえなくなっていて、脳内ではただ、私の大切な人の声が響いていた。

「ジェイド、私は...あっちの世界にいってないのね?」
「ええ、貴方はこの世界にいますよ」

静かな涙が零れ落ちて、ただ、嬉しかった。この世界で、私は生きている。あなたの姿が見えて、まだ、お別れの言葉も言わなくて良い。これほど、嬉しいことはない。喉のおくは細くなっていて、呼吸をすることがとても苦しかったけれど、生きていれば癒える。そう、生きていれば。

「みんな、は...?」
「無事です。さっきまでティアとナタリアがここにいましたが、2人で薬をとりにいきました」
「そ、う...」

視界がぼぅっとしている。大切な人の声だけが聞こえていて、まだはっきりしていしない。だけど左手には低く、心地よい体温が感じられていた。(ずっと握ってくれていたんだ)

「良かった、」

安堵したような声が聞こえて、私はぼやける視界のなかでジェイドを見た。

「ジェイド?」
「貴方が私を、置いていくのかと思った...」

左手を握る力が強くなり、私は笑みを浮かべた。私はあの時、あなたの前にでて、勝手に傷を負っただけ。あのときのあなたの表情が、忘れられないのよ、私。きっとあれは、あなたも無意識だったと思うわ。あんなに傷ついたような顔、見たこともなかった。だからあの時、私は未練があったかもしれないけれど、心置きなく逝けるはずだった。わたしのために、あんな表情をしてくれたのだから。でも私は生きている。全てに感謝したくなる気持ちだった。ここの色鮮やかな世界に、私はまだ在るのだから。

「ジェイド、私は幸せ者よ。この世界で、ジェイドに、皆に、会えたのだから」

できるだけ安心させるために笑みを浮かべて、力の入らない手で彼の手を握った。私の手は血の気がなく、白いを通り越して青白くなっていた。

「だから、どうか、そんなに自分を責めないで。私は生きてるわ、この傷が私が生きてることを証明しているのよ」

ゆっくりと言葉を選びながら言う。はっきりしてきた視界の中で、正端な顔を歪めているジェイドに腕をのばして彼の頬に触れた。

「そんな顔を、しちゃ駄目よ。あのときと同じように、傷ついた顔を、しているよ」
「あのとき?」

ほら、やっぱり無自覚だったのね。私はそれに笑って、ゆっくりと彼の頬を撫でた。全然私と違う綺麗な顔は、ずっとずっと昔から憧れていた。男の子のくせに、女の子よりも綺麗な顔をしていて、ものすごく羨ましかったのを覚えている。視界に広がるあの冷たい白と共に在った昔の焦げ茶色の瞳も、譜眼を施した紅い瞳も、優しいハニーブラウンの髪も。良いなっずっとずっと思っていた。

「もう、大丈夫だから」
「ですが、」
「いいの」

大丈夫よ、と微笑んで、私は自分の腕を下ろした。ちらりと窓から外を見えてみれば、あのときと同じような蒼くて澄んだ空が見える。あのときはもう見ないだろうと思っていた空が、私の視界に写ってる。

「ねぇ、ジェイド」
「どうしました、」

窓から視界を離さずにジェイドを呼んで、私はこみ上げる気持ちをゆっくりと言葉を紡いだ。



「せかいは、こんなにも汚くて、美しいのね」











(あの暗い闇の底で私がみたものは一体何だったのでしょうね)

(黄泉の国の、いりぐち?)

 

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