※捏造、そこはかとなく死ネタです。閲覧注意!
夢のような人でした。
夢の中を生きているような、そんな人でした。
夢を泳ぐ人
肌寒さの残る、二月の終わり。
穏やかな日差しが縁側に差し込んでいる。
キョウトでも著名な職人や芸術家に趣向を凝らせ、財を尽くしたこの庭は、決して華美ではないが趣がある石庭であった。
草花や砂利の配置からも、住む人の趣味の良さがわかり、静謐な空気がそこには流れていた。
と、そこに、子どもたちの笑い声。
縁側に膝を付いて、二人の少女が向かい合うように遊んでいた。
ひいふうみい、あ、また落とした…。
様々な柄や色合いのお手玉が、笑い声と一緒に空を舞う。
黒い髪を背中に流した少女は、「また神楽耶の勝ち!」と、快活に微笑んだ。
負けん気の強い少女らしく、たとえお手玉遊びであっても、真剣勝負らしい。
瞳はきらきらと輝いて、聡明そうな美しい少女であった。
そんな神楽耶に、床に散らばったお手玉を拾い集めながら、
「本当に、神楽耶さんはお茶も、お花も、お琴も何でもお上手ですね」
と、亜麻色の髪を揺らしながら、もう一人の少女がおっとりと微笑んだ。
謙遜ではなく心底そう思っているらしく、優しく瞳を細めている。
同い年の少女は、実の姉妹のようにこの屋敷の中で育てられた。
黒髪の少女、皇神楽耶は日本最古の血筋を誇る、皇家の娘である。それゆえ矜持高く、学識も深い。
対して、肖像画の天使のごとく愛くるしい容貌の少女は、ナナリー・ヴィ・ブリタニア。
くるくるの巻き毛に、ロイヤルアメジストの瞳を持つ、歴としたブリタニア皇族の一人であった。
現皇帝シャルル・ジ・ブリタニアの末娘で、国民の関心もさほど高くなく、留学の名目でこの日本で育てられた。
皇女ではあるものの、確たる後ろ盾を持たないナナリーは、十六歳という年頃のわりに酷く遠慮深かった。
そんなナナリーに、神楽耶は物足りないとばかりに唇を尖らせる。
「まさか、そなた。勝ちを譲ったのではあるまいな」
「いいえ、まさか。こう見えて私、負けず嫌いなんですよ?」
だから次は負けません、と、にっこりと笑ったナナリーに、神楽耶はぷっと吹き出し、声を上げて笑った。
同い年の二人は、実の姉妹のように仲むつまじく育った。
二人は草履を履くと、庭を散策しはじめる。
季節の花々に目を細めながら、おしゃべりに夢中になった。
本当に、二人は仲の良い幼友達であった。
不意に。
廊下の騒がしい気配に顔を上げると、侍女たちが慌ただしく出入りしている。
「さあさ、若様のお渡りですよ」
と、庭で遊んでいる神楽耶とナナリーに声を掛けると、侍女の一人が美しい衣装を広げだした。
それには神楽耶も渋面する。
「なんじゃ、わらわは着替えたりせぬぞ」
「まあ、おひいさま。左様なわがまま」
「わがままではない。どうしてわらわが分家のスザク風情のために衣装を改めねばならぬのじゃ。馬鹿にするでない」
そうピシャリと言い返した神楽耶は本来ならばこの皇家を相続する一番の資格を持っている。
彼女の体には古来より受け継がれた女傑の血が流れているのだ。
けれど、両親を一度に亡くし、乳飲み子であった神楽耶を不憫に思った祖父は、分家であった枢木家から当主を選ぶことにした。
そうして選ばれたのが、当代枢木スザクである。
一人遺された孫娘を哀れに思っての配慮であったが、祖父の誤算は、神楽耶がただのか弱い少女ではなく、非常に利発であったことだろう。
だからこそ、神楽耶はいまだにスザクに対して冷たい態度を崩さない。
スザクが家督を継いだ直後、頼みの綱である祖父も亡くなった。
神楽耶は成人ののち、スザクと結婚するように…。その遺言は呆気なく反故にされることとなる。
スザクはあろうことか、ブリタニア帝国皇女と恋に落ちたのである。
偶然、日本に視察に訪れていた少女の名前は、ユーフェミア・リ・ブリタニア。
くるくるの巻き毛に、空色の瞳。慈愛のこもった優しげな眼差しは、絵物語の姫君そのものである。
スザクは一目で彼女と恋に落ち、周囲の反対を押し切って、結婚してしまったのだ。
純血を尊ぶ皇家にとって、異国の血筋が入ることは何よりも恐れられている。
一族の人間はスザクのことを悪し様に罵ったが、すべては終わってしまったあとであった。
幸いだったのは、ユーフェミアはでしゃばった真似はせず、万事日本風にと、格式高い皇家の生活に恭順したことである。
結婚から二年、控え目な彼女は表舞台に立つことも殆どなく、花園の宮とあだ名される広大な庭と、夫をただ愛する、か弱い女性であった。
結局、神楽耶はスザク夫妻の養女のような扱いを受け、そこにナナリーが加わった。
ナナリーはユーフェミアにとって腹違いの妹にあたる。子どものないユーフェミアはナナリーを喜んで引き取ったが、神楽耶は従兄弟夫妻に素直になれなかった。
スザクは屋敷に帰ると真っ先にユーフェミアの住まう離れへ向かう。
彼女と暮らすことを拒んだ神楽耶を気遣い、本宅から自ら退いたのだ。その細やかな気遣いが、逆に神楽耶の勘に障った。
ふと気づくと、スザクの足音。
神楽耶やナナリーに挨拶することもなく、向かい側の回廊を、十九歳となった青年が歩いていく。
狩衣姿が若々しい彼にはよく似合う。その姿に一瞬見惚れ、彼の手に握られている水仙の花に、神楽耶は顔をしかめた。
「…わらわには、一輪の花も贈ったことがないくせに」
拗ねたような物言いに、ナナリーは苦笑した。
やがて、夕刻。
神楽耶は客人の姿に渋面した。
数日前から体調を崩しがちと聞くが、美少女めいた愛くるしさは相変わらずだ。
おっとりとした微笑を浮かべて、ユーフェミアは神楽耶に恭しく一礼する。
神楽耶はつん、と、取り澄ました態度を崩さず、
「お入りになって」
と、女房たちに座を用意させた。
「神楽耶さん」
「何です」
「わたくしたち夫婦には子どもがおりません。何故だか、お分かりですね」
そう微笑んだユーフェミアの瞳はただただ穏やかで、自分に残されている時間をまるで悟っているようだった。
夕焼けに染まるあかね空を眺めながら、ユーフェミアは何かを懐かしむように、優しく目を細めていた。
「美しい、人生でした」
おっとりとそう微笑んだユーフェミアこそ美しいと、神楽耶は内心思った。けれど、胸に渦巻く複雑な気持ちが、それを口にすることを決して許さない。
「スザクと過ごした、春の桜の美しさも、夏の蝉の歌声も、秋の淋しい木枯らしも、芽吹きを待ち望む冬も…、かけがえのない、素晴らしい人生でした」
夢見るような声で、ユーフェミアは幸せだった、と、何度も繰り返す。
ブリタニア帝国の第三皇女として、たくさんの人々に愛される運命に生まれついた。
生来病弱で、ベッドで過ごす日々ばかりだったが、広大な庭園を走り回ることの大好きな、お転婆な少女であった。
花と、音楽と、人々の愛情を一身に受けた、少女時代。
お転婆な第三皇女は、春の妖精の娘、と、国民からも慕われ、まさに真綿に包まれるように愛育された。
運命の出会いは、ユーフェミア、十六歳の春。
年の離れた姉である、第二皇女コーネリアの外交に、駄々をこねて同伴したときのことだった。
姉の目を盗んで、お付きの者数名と出掛けた、舞踏会。
初めて訪れた異国のダンスパーティーに、ユーフェミアは胸をときめかせていた。
華やかなドレス、美しいワルツステップ。そして見つめ合う恋人たち。
ブリタニア帝国とは違う、異国情緒溢れる空間に、ユーフェミアの胸は弾んだ。
そして、彼に出会ってしまった。
精悍な顔つきの、翡翠の瞳に幼さを残した、青年。
色とりどりのドレスが舞うダンスフロアの中、ユーフェミアは彼がちっとも舞踏会を楽しんでいないことに気付いた。
壁に背中を預けて、静かな眼差しでダンスフロアを一瞥している青年。
淋しそう、と、ユーフェミアは率直に思った。
本国でも見たことのない、素晴らしいエメラルドの瞳。
彼の瞳はこんなにも美しいのに、静かな寂寥感が滲んでいて、彼の孤独に触れたいと、そう思った。
…ねえ、貴方の目、触ってみたい。
ユーフェミアの無邪気な言葉に、青年は酷く驚いた表情を浮かべていた。
今まで、誰からも親しげな言葉を掛けられたことがなかったのか、翡翠の瞳には困惑の色が滲んでいた。
「綺麗な、宝石のような瞳。貴方の目に、世界はどう見えているのかしら。ねえ」
歌うように、ユーフェミアは青年に語りかける。
しばし逡巡し、ややあって、青年は真っ直ぐに少女の瞳を見つめた。
春の空のような、明るい色の瞳。
「…貴方の瞳こそ、美しい」
飾り立てのない、朴訥とした台詞。
幼い二人が恋に落ちるには十分すぎた。
ユーフェミアは青年の手を取った。
何を失っても構わないと、本気で思った、運命の恋だった。
生涯で一番幸せな夜だった、と、ユーフェミアは微笑む。
「あの人の美しい瞳には、まだ少女だった、世間知らずの私だけが映っていて、涙が出るほどに幸せな…、夢の中にいるような、素晴らしい夜でした」
身分も、素性も知らない。魂が惹かれ合ったとしか思えない、運命の恋人。
僕は、ずっと、誰からも愛されないのだと思っていた…。
美しい庭園の外れ、木々の中に身を隠して、青年の腕に抱かれたまま、ユーフェミアは彼の告白を聞いた。
…僕の母は、美しい人だった。
僕の父は、母を愛していたけれど、強い嫉妬に支配されていた。
僕の母には、結婚を約束したブリタニア人の恋人がいたのに、父が奪うように妻とした。
母は、貞淑な妻となった。純粋な恋の思い出を、心の奥底にしまって、夫に献身的に尽くした。
けれど、父の嫉妬が、腹の中でどんどん大きくなって、膨れ上がって。
その夏、母は、僕を産み落とした。
『…待望の後継ぎである男児が生まれたとき、父は叫んだという。私の子どもではない、と…』
そう呟いた青年の瞳には、感情らしい色は一切浮かんでいない。ユーフェミアの胸に、今まで感じたことのない寂寥感がこみ上げた。
生まれた男児の瞳は、日本人らしからかぬ、エメラルドグリーンだった。
先々代の当主がブリタニア帝国の皇女を妻としていたのだから、翡翠の瞳の子どもが生まれても、奇妙な話ではない。
…しかし、嫉妬に支配された父は、母を責め立てた。
出産で疲弊した妻を詰り、罵り、悪し様に暴言を吐いた。
母は一切弁論しなかった。ただ、瞳には悲しみだけが浮かんでいて。
…その晩、母は自殺した。
彼女は彼女なりに、夫を愛そうと努力した。それなのに父は、母を疑うことしかしなかった。
父はその罪の報いを受けたのだ。
母を永遠に失ったのだから。
ユーフェミアの瞳から、涙がぽろぽろと零れ落ちる。真珠のような涙を掬い取りながら、青年は「僕の代わりに泣いてくれて、ありがとう」と、笑った。
私は、貴方に…、温かい家庭を作ってあげたい。
十六歳の少女の告白を、青年はあっさりと受け入れた。
枢木スザク。
それが彼女の夫となった、生涯の伴侶の名前だった。
「…わたくしはそのとき、十四歳の子どもでした」
そう呟いた神楽耶の瞳には、苛烈な炎が宿っていた。
幼い頃から、結婚相手と定められていた従兄弟は、一族の反対を押し切って、ブリタニア帝国の皇女を妻に迎えた。
皇女を迎える先例はあったものの、先々代の当主の結婚は失敗に終わっている。人々は、スザクと、異国の花嫁を悪し様に罵り、婚約者に裏切られた神楽耶に深く同情した。
けれど、神楽耶の胸を占めていたのは、嫉妬ではない。潔癖な少女の心は、矜恃を踏み付けられた、激しい怒りに溢れていた。
「我ら皇一族は、神にも連なる、日本最古の家系。その血を、先々代に続き、穢すことだけは許せませんでした」
汚れている、という異国の血は、彼女自身にも流れている。先々代の奥方は、神楽耶とスザクの曽祖母であり、二人の瞳は揃いの翡翠であった。
それさえも恥辱であるかのように、神楽耶は語気を強める。
「スザクが、枢木家の男が、ブリタニア帝国の皇女に世継ぎを産ませるなど…、あってはならぬこと」
そう断じた神楽耶の顔は、いつもの聡明な少女ではない。初恋の人に裏切られた、十四歳の少女のままだった。
「…神楽耶さんは、スザクをお好きなのですね」
その言葉に、神楽耶の瞳に怒りが滲む。否、と、神楽耶は叫んだ。
「枢木の男は、皇家の所有物。あの男の、肉も、皮も、骨の一片でさえも、わらわの…神楽耶のもの」
「だから、私の膳に…毒を?」
長い沈黙。神楽耶の瞳に、迷いはなかった。それまでの激しさが嘘のように、にっこりと微笑む。
「左様。ブリタニア皇族に、スザクの子どもなど出来たら厄介」
ユーフェミアは、目の前の少女を責めなかった。ただ穏やかに、自分の運命を受け入れた。
異変に気付いたのは、結婚から二ヶ月後。月のしるしがないことに気付いた。懐妊か、と、周囲は色めき立ったが、医師の表情は険しかった。
残念ながら、奥方のお体ではややを授かることは…。
ユーフェミアの体内から検出されたのは、多量の水銀。不妊薬として、古来より用いられているが、有害な毒素を含んでいる。
微量の水銀を、毎日の食事に混入されていたとしか思えないという、医師の診断であった。
「私、泣きました…」
空っぽのお腹を、衣服越しに撫でながら、ユーフェミアは呟く。
「泣いて泣いて、干からびるほどに泣いて。ああ、スザクに温かい家庭を築いてあげられない…って」
でも、気付いたんです、と、ユーフェミアは真っ直ぐに神楽耶を見つめる。
彼女の夫が愛した、春の風のような瞳で。
「私はあの人に家族を作ってあげられない。だから、私はあの人の妻で、母で、姉で、妹で、子どもで…。彼のすべてになろうって、決めたんです」
当時、スザクは外遊中で、日本国内に不在だった。
彼が疲れて帰国したときのために、ユーフェミアは寝台で泣くのを止めて、屋敷中を花で飾り立てた。
スザクの心が、少しでも華やぐようにと、色とりどりの花で埋め尽くした。
美しい花、安らぎの音楽。そして、彼が好きだと言ってくれた衣装に身を包んだ、ユーフェミア。
スザクを苦しめる、憎悪や嫉妬、猜疑心など、この屋敷には必要ない。
そして、彼が唯一安らげるこの場所で、最愛の夫の帰りを待ちわびるのだ。春の風のような、優しい笑みを浮かべて。
甘えて、甘やかして、抱いて、抱かれて、拗ねて、謝って。たくさん、愛し合って。
「ただいま、ユフィ」
「お帰りなさい、スザク」
それがユーフェミアにできる、たった一つの愛し方だった。
詭弁だ、と、神楽耶は吐き捨てる。
子どもを産めない女の強がりだと、彼女は言い切った。
けれど、ユーフェミアは肯定も否定もしない。幸せでした、と、小さく微笑むだけ。
「スザクを、貴方は大切にして下さいますか」
「戯言を。スザクがわらわを大切にするのじゃ」
「まあ、愛されたがりね、神楽耶様は」
鈴が鳴るように、ユーフェミアは笑う。
彼女はまぶしげに目を細めると、歌うように言葉を紡ぐ。
「二ヶ月、ですって」
世間話のついでのように、ユーフェミアは笑った。私、あと二ヶ月しか生きられないんですって、と、からりと笑う。
病弱に生まれついた人間のさがなのか、彼女は自分が長くは生きられないと、子どもの頃から何となく悟っていた。
神楽耶は、無意識に着物の裾を握り締める。
「スザクは」
「知りません。長患いの風邪だと、信じています」
最期はこの屋敷で迎えたい、と、ユーフェミアは穏やかな口調だった。
「スザクは、泣くでしょうね」
でも、それでいいんです、と、ユーフェミアは微笑んだ。
「泣いて、泣いて、それでも、いつかまた誰かを愛するときが必ず来ます。そのときは…、叱り飛ばさず、優しくしてあげて下さい。ほんの少しでいいですから」
「スザクが、そなた以外を愛すると?」
「ええ、貴方がスザクのことを愛している限り、きっといつか」
愛された分だけ、人は人を愛することが出来るんです、と、ユーフェミアは悪戯っぽく笑った。
そのまま踵を返し、庭の花々を彼女は愛でていく。
まるで夢の中を生きるように、誰をも憎まず、恨まず、花園の中で、ただ微笑む。
「…そなたはそれで満足か?」
その言葉に、ユーフェミアは静かに振り向くと、紫紺の瞳を細めて、絵物語の姫君のように微笑んだ。
きっと、スザクが出会ったときのままの、十六歳の夢見る少女の瞳で。
「時々でいいから…、私を思い出して、そして泣いて」
それだけで、それだけでいいの、と、笑う彼女は死ではなく、愛する人に忘れられることだけを恐れている。そう気付いて…。
神楽耶はユーフェミアに一生敵うことはないのだ、と、永遠の敗北を認めた。
二月の庭園には、また今年も季節の花々が春の訪れを風とともに運んでくる。
蕾の膨らみが、夢の続きを指し示しているかのようで、ユーフェミアは穏やかに微笑み…、自分の名前を呼んでいる、甘えん坊の夫を振り返った。
夢のような人でした。
夢の中を生きるような、美しい人でした。
夢を泳ぐ人
(幸せな夢の中で、綺麗に泳げたの)
END
スザユフィ。
「江戸時代、大奥パロ」というリクエストにお応えしたかったのです。大奥のドロドロ感を目指してみました。
しかし、結局、いつものスザユフィに収まったような(^_^;)
ユフィと神楽耶を対比して書きたかったのですが、お互い、スザクを愛しているという一点のみ、共通しています。
二年ぶりにスザユフィを書きましたが、愛を再確認。大好きです‼
ぼちぼちまた更新していきたいと思います。