essay

□la forme du amour
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お久しぶりです。
本日は「la forme du amour」
と題しまして、愛の形について
お話させていただきます。

先日、こんな一文を読みました。

相手に向かって表明されることが
決してなく、論理的、形而上学的に
完遂されることがありえない愛とは、
そもそも何なのか?


Kendal Waltonという哲学者の
四半世紀ほど昔の論文からの
引用です。

はて何のことやら…という感じですが

つまり
愛とは本来こうあるべき、
恋しい想いは打ち明けるべき、
好きな人とは結ばれることを望むべき、
……という諸々の通念に反して

いわば少女趣味的な
「想うだけで幸せ」
「見返りはいらないの」
とでもいうような感情の
所以を探ろうといったことでしょう。

(あくまで狭義での私見ですが。
文脈を汲めば、この一節も
具体例に過ぎないので……)

そこで。
果たしてそういった愛が
実在するのかが問題です。
信仰や慈愛、博愛も
なんだか違う気がします。

けっきょくはエゴなんじゃないかなと。
あるいは自己欺瞞

愛の形は人それぞれで千差万別。
世界のどこかに、純粋にそんな愛が
あるのもいいなとは思いますけどね〜…


ちょっとかっこよかったので
文章を持ってきてしまいましたが
一口に論じるには難しすぎました!

結論が出ていないですが
とりあえず今回はこの辺りで
失礼いたします〜

つづく。(つもり)
La suite au prochain numero...


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