壬生狼と過ごした2217日

□芹沢終焉
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***


お葬式はその日のうちに執り行われることとなった。
普通は一日二日、間を置いたりするのに。
そんなに急いで執り行うなんて、何か揉み消したい裏があるんじゃないかとすら疑ってしまう自分がいた。


さすが壬生浪士組局長というだけあって、お葬式は盛大だった。そして何もかもが手順よく進められた。
まるで最初から準備がしてあったかのように。


が、ただ一つ問題が起きた。
それはお梅さんの遺体のことだ。
短い間だったけど、愛し合った芹沢さんとお梅さん。一緒に葬って、静かに過ごさせてやろうという意見が多かった中、断じて近藤さんがそれを許さなかった。「壬生浪士組局長という立派な立場の芹沢さんとどこの馬の骨かもわからない売女を一緒になど葬むれるか」と。
結局、近藤さんの意見に皆賛同し、お梅さんの遺体は西陣にある実家に引き取られることとなったのだけれど…


そんな…ものなのかな……この時代の武士って奴は。そんなに名誉が、志が大事なのかな……
その志を守るためだったら…
どんな嘘をついても…
誰を殺しても構わない。
そんなものなのかな…


芹沢さんは酒乱だったけど、普段は豪傑でいいオッサンだった。優しい一面もあったし、頼りがいもあった。平山さんだって、普段は無口でちょっと怖い感じの人だったけど、話せばすごく優しい人だった。
二人とも大好き、とまではいかないけど寝食をともにした仲だ。私なりに情はあった。私なりに好きだった。
お梅さんだって…
こんな私のことを友達だって言ってくれて…
きっともっと仲良くなれた。何でも話せる仲になってた。

あぁ…
なんだか空っぽだ…
何も考えられない。考えたくない。どうしたいのかも、どうなりたいのかもわからない。
この壬生浪士組を飛び出したところできっと何もかわらないし、私のようなこの時代の世間知らずは、物乞いになるか誰かに拾われて身売りされるだけだろう。馬鹿な私だってこの時代で数ヶ月過ごしていればそれくらいわかる。
結局…
私は何があろうが、反発心があろうが、この壬生浪士組に頼って生きていくことしかできないのだ。


壬生寺まで続く行列をボーッと眺めながらそんなことを考えていれば、芹沢さんの埋葬を済ませたのであろう歳さんが、その行列をすり抜け私の前で立ち止まった。


「恐らく長州の奴らだろう」


嘘つき。


「そうですか…」


ボソッと一言だけ返せば、歳さんはプイと視線をそらしそのまま屯所の中へと姿を消した。


私は再び行列に視線を戻し、それをいつまでも眺めていたのであった。





























本玄関南隣の部屋で寝ていたはずの平間重助。
刺客にやられながらも死んだフリをして助かったという説もあれば、刺客には遭遇せず、芹沢達の遭難に気付き刺客を探して家中を走り回ったという説があります。
どちらにせよ、その直後に行方を眩ませたとのこと。

芹沢の最期も抜刀することすら許されず、真っ裸で南部屋に逃げこもうとしたところ、八木家の息子さんの文机に躓いた。
そこにあとを追い掛けてきた土方、沖田の乱刀を浴び絶命したらしいです。


ちなみに、芹沢暗殺は文久3年9月16日のこととする説と9月18日の説があります。
八木さんの伝承や作家、子母澤寛の著作で当日が雨だったとされていますが、芹沢の墓碑に刻まれた18日は雨ではなかったそう。同時代の日記に16日が雨だと記載されているらしいのでその説も横行してるとか。
刺客の面々も、今回は土方、沖田、山南、原田説を採用しましたが、これに藤堂やら井上が加わったりなど、歴史の真相は時代のみぞ知るってやつです。

はたして芹沢一派が粛清されたのは正しかったのか…


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