壬生狼と過ごした2217日
□菖蒲でありんす
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「菖蒲でありんす。雪乃姐さんの名代で参りんした。どうぞ可愛がってくんなんし」
「入れ」
「失礼いたしんす」
新八さんのお気に入りである輪違屋、雪乃太夫に即席で叩き込まれた遊女の言葉と仕草を盛大に振る舞い、敷居を跨いだ。
目の前には一人の男。捕縛の対象である西条幸次郎がドカッと胡座をかいて座っている。案の定、大刀だけだが帯刀しているようだ。
人を品定めするように上から下まで眺めたあと、フンと笑って隣に座るよう目配せされた。
しゃなり、しゃなりと舞踊でも舞うように軽く摺り足で歩き、余裕だと言わんばかりにスッと男の隣に腰をおろしたんだけど…
…もうね、緊張のあまり口から心臓が飛び出そう。
ぶっちゃけ水商売の体験入店とかノリでやったことあったけど、そんなのこれと比べるとクソだったね!
なにこの独特の雰囲気。色めき立つ花街の雰囲気にガッツリ飲み込まれそうなんですが。
「新造にしては年増やな。それにでかいんなぁ」
「ま、ぬし様ったら失礼な。わっちじゃ不満でありんすか」
大坂訛りで笑う男に、教えられた通り着物の袖で口元を隠して笑う。もう片方の手で男の肩をポンと軽く叩けば「不満やないで」と腰を引き寄せられた。
これは想定内の範囲。顔が引き攣りそうになりながらも聖母マリアのような笑顔を浮かべていれば、襖がスッと開き、店の若い衆に化けた山崎くんがお膳を運んできた。
うまくやれよ、と言わんばかりの表情に小さく頷けば、彼は西条に軽く会釈をし再び襖に手をかけた。
が…
「おい、そこの」
思いがけない西条の言葉に山崎くんは肩をピクリとさせた。
「…なんでしょう」
「今日は雪乃は呼ばんでええ」
「…と言いますと?」
「今夜はこの菖蒲でええ言うとるんや」
西条の言葉に山崎くんも私も目が丸くなる。
え?え?なに?それってもしかして私にフォーリンラブ?
「ぬし様…、わっちに惚れたんでありんすか?」
「もっと早く菖蒲に会いたかったわ」
「ま。雪乃姐さんに怒られんすよ」
私のどこが気に入ったのか、西条はさらに腰を抱き密着した。
あああ、気持ち悪い。
山崎くんを見ればなんだか呆気に取られたような顔をして、そのまま静かに部屋を出ていった。
なんだい?私が気に入られたのがそんなに驚きだったかい?
彼はこのことをどうやって歳さんに報告するのかと思ったらちょっと鳥肌たったけど、高杉さんといいコイツといい、私ってばこの時代でなかなかイケてるんじゃねーの?なんてニヤニヤしたのもつかの間。
首筋にチクリと痛みが走った。
こ、の痛みは……
「菖蒲。わしが馴染みになってやろうか」
……やられた。キスマークだ。
こんな奴につけられるなんて…
さすがの私も笑顔が消えた。
「…ぬし様。ぬし様は雪乃姐さんの馴染みでありんしょう?わっちは今宵限りの馴染みで結構でありんす」
「馴染みなんぞ、金の力でどうにでもなるやろ」
「ふふ。ぬし様ったら、お侍様でござりんしょう?お侍様はそんな悪人のようなこと、言ってはいけんせんよ」
「ほう。遊女の分際でわしに楯突く気か」
「世の中には決まりというもんがございんす」
相手は帯刀している。
下手すりゃ斬られるだろうけど、どうしても許せなかった。
新選組の名を語って強請をしたこともそう。
廓の中のルールすら守れないこともそう。
軽く流せばよかったんだけど、それができなかった。
今一度西条を見据えれば、腰に当てられた手に力が入ったのがわかる。
恐怖で今にも逃げだしたくなったけど、そんなことはしたくない。
だって私は新選組鬼の副長の女だもの。
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