壬生狼と過ごした2217日

□バラガキのトシ
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「かっちゃん、色々と世話になったなぁ」

「いえ、またいつか遊びに来てください。そして次にお会いするときは、必ずや幕臣の姿にて」

「ふむ。期待しているよ」


2ヶ月ほど京に滞在していた富沢さんが江戸へと帰郷することとなった。
歳さんは源さんとともに伏見まで見送る手筈になっているのだが、近藤さんはどうしてもはずせない用事ができてしまったため、こうして早朝、富沢さんの方からわざわざ屯所まで別れの挨拶に出向いてきてくれた次第だ。

意気込む近藤さんの隣でペコリと頭を下げれば、富沢さんは「由香さん」と小さく私の名前を呼び、手を差し出してきた。その手を握れば富沢さんは静かに口角を上げる。
それにつられたようにニッコリと笑えば、富沢さんは少し離れた所にいる歳さんをチラリと見てからゆっくりと、そして優しく口を開いた。


「トシのこと、よろしく頼んだよ」





***


2日前。
島原の千紅万紫楼にて、帰郷する富沢さんの送別会が盛大に行われた。
その送別会には私も参加し、まぁ、ここぞとばかりに酒を飲んで皆と一緒にどんちゃん騒ぎをしたんだけどね。
そんななか、芸妓と一緒になってお酌して回った私を呼び止めたのは富沢さんだった。「ちょっといいかな」なんて言われるもんだから、もしかして富沢さんてば私に惚れた!?と思った私は歳さんに負けず劣らずの自意識過剰ですがなにか。

そんな自意識過剰な私をよそに、富沢さんが口にしたのは歳さんのことだった。


「トシとはうまくいってるか?」

「はい。ケンカしながらも仲良くやってます」

「そうか。そりゃあよかった」


富沢さんはそう言って目尻を下げると、
上座の障子をカラリと開けた。
さすがは島原の中でも名高い揚屋。障子の向こう側には綺麗な日本庭園がのぞき、そこには立派な桜の木が1本。よく見れば枝先についている蕾はふっくらと膨らみ、いくつかはすでに綺麗な花を咲かせているようだった。
夜風が優しく吹けばその桜はざわざわと小さく揺れる。夜風は桜の香りを含んだまま、私と富沢さんの頬を優しく撫でた。


「…トシが村の皆から敬遠されていたバラガキだったってぇことは聞いてるかい?」

「バラガキですら恐れるバラガキだったとか」


総司くんから聞いたことをそのまま素直に口にすれば、富沢さんは酷い江戸訛りを扱いながら「ちげぇねぇ」と笑った。


「あいつは昔っから誰もが恐れるおっかねぇ奴でなぁ。売られた喧嘩は必ず買い、徹底的に相手を潰す。あいつが喧嘩で負けたとこは見たことがねぇや」

「とんだバラガキですね」

「ああ。石田村のトシと言やぁ、誰もが眉をひそめたもんさ」


ああ…現代でもいたわ、そういうやんちゃな子が。そういう子の噂はすぐ耳に入ってくる。一中の田中くんはケンカが強いだの、二中の佐藤くんはもっとケンカが強いだの、三中の井上くんはちんこがデカ…ゲフンゲフン!!
まぁね、色々な噂も中にはあってだね。しかしあれだ。そういう噂になるような子ほど正義感が強くてイケメン率はなぜか高い。そして女の子からの黄色い声援が飛んだりするのだよ。かく言う私も黄色い声援をあげてた一人だったりもするのだが。


「だがな、誰もが手を妬いているそんなトシに手を差し伸べたのがかっちゃんだったんだ」


かっちゃんとトシは昔からの知り合いでな。
くだらないことを思い出している私をよそに、富沢さんはそう呟くように言うと障子の外に目をやる。そして懐かしそうに目を細めると、手元の盃を手に取りそれを小さく傾けた。


「トシが日陰の道を歩んでいるのだとすれば、かっちゃんはお日様が燦々と照らす陰りのない道を歩んでいるような人でな」

「わかります」

「なぜそんなかっちゃんがバラガキのトシに手を差し伸べたのか、俺はもちろん、まわりの奴らもわからなかったんだ」

「………」

「だがかっちゃんはその頃からトシの本質を見抜いていたんだろうな」


富沢さんは空になった盃を静かにお膳の上に置くと、再び静かに笑みを浮かべた。


「かっちゃんは毎日毎日、来る日も来る日もトシと手合わせをしたんだ。もちろん、試衛館の道場主であるかっちゃんは強い。喧嘩剣法のトシなんざ到底敵わなかった」

「………」

「俺ぁいつかトシが逃げ出すんじゃねぇのかと思ってた。だが違った。トシは朝から晩まで、それこそ寝る間も惜しんで稽古に明け暮れるようになったんだ」

「歳さん、が…」


正直驚いた。あの男も表面上こそ飄々としているものの、そんなに熱い男だったのかって。
…そういえば、歳さんの手は今でも……


「俺ぁその話を聞いて心底驚いたさ。あのバラガキのトシが。喧嘩に明け暮れていたあのトシがって。あいつはよ、他人だけじゃねぇ。自分にはもっと厳しい奴だったんだな」


巡察をサボることもない。書き物が忙しいと部屋に籠ることもある。ムカつくけど島原に呑みに行くこともある。
私との時間も大切にしてくれている。
けれど…歳さんの手はマメだらけだ。
きっと隠れて…そしてきっとその日から、稽古を休む日は一日たりともないのだろう。
真面目も真面目。クソがつくほどの大真面目。あの男はそういう男だ。


「由香さんよ」

「はい」

「トシの奴はおっかねぇ奴だ。鬼の副長なんてあだ名もあながち間違っちゃいねぇ」

「………」

「でもな、本当のあいつは誰よりも優しいんだ。他人のことばっか考え、てめぇのことはいつも後回し。それがあいつのいいところでもあるが、同時に最大の弱点でもある。だからよ、あんたがずっと側で支えてやってはくれねぇだろうか」


富沢さんはそう言うと、私ごときの小娘に深々と頭を下げた。
慌てて「頭を上げてください」と言うものの、江戸気質の富沢さんは酒の力も加わってか、頑として頭を上げない。
この時代、男が女に頭を下げるなんてとんでもないことだ。富沢さんはそれだけ歳さんのことを可愛がっているんだろう。

でも、富沢さんに頭を下げてもらわなくてもとうに私の気持ちは決まっている。


「命ある限り、お側に置いてもらうつもりです」


富沢さんだけでなく、私も酒の力が加わっているのだろう。ちょっとかっこよく、そしてこの時代の女性のようにしおらしくそう言えば、富沢さんはおろか、なんだかんだで話を聞いていたらしい総司くんまで吹き出しやがったぜこのやろうめ。

そして、なんだか被害者となった私をよそに富沢さんはひとしきり笑うと「ああ、あんたになら任せられそうだ」と言い、再び盃を煽ったのだった。

宴は深夜まで続き、富沢さんはもちろん、いつもは酔い潰れない新選組の面々もこの日だけは酒に呑まれる次第となったのである。
あ、もちろん私も。




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