壬生狼と過ごした2217日

□★瀬戸際に見えたもの
2ページ/3ページ








駆け付けた中庭に人の気配は感じられなかった。

…もしかしたら敵の浪士は皆、梯子段を回避し、裏庭へ飛び降りちまったんじゃねぇか?
もしそうだとしたらこのまま中庭を張るよりも、裏庭で近藤さんの加勢をしたほうがいいんじゃねぇかな。
どうするか。もう一度裏庭に戻るか。それとも旅籠の中で新ぱっつぁんの加勢をするか…

そんなことを考えながらも今一度中庭をぐるりと見渡す。時折わずかな風がそよぐだけで、やはり人の気配は感じられない。

……仕方ねぇ。やっぱ中に戻るか。
それにしても今夜の蒸し暑さは尋常じゃねぇ。さっきのほんの少しの斬り合いだけで、流れる汗はまるで滝のようだ。
一度鉢金を外して汗を拭うか…

刀を片手に、きつく締めていた鉢金をほどく。ゴトッとそれを地に置き額の汗を拭えば、鉢金の鉄板に何かがキラリと反射したように見えた。

……俺はまったくもって油断してたのかもしれない。


「覚悟ッ…!!!」


中庭の暗闇の中に浪士が潜んでいたことにまったく気が付かなかったなんて。
畜生、これじゃ俺、新選組どころか武士としても失格じゃねぇかよ!


「クッ…!!!」


キンッと甲高い金属音が暗闇の中を駆け抜ける。間一髪。胴にはらわれたそれを俺は何とか防ぐことができた。しかし相手の浪士はそれをも計算に入れていたのか、瞬時に体勢を整え、再び俺の間合いに入り込んできた。
慌てて一歩、二歩ほど引くものの、相手の矛先は俺の羽織をかすめ、パッと音でも聞こえそうなほど鮮やかに俺の羽織の袂は斬り裂かれた。

まずい。この浪士、動きが鋭い上に、剣の力も錚錚のものとみた。こりゃ俺も本気を出して立ち合わなきゃならねぇ。いや、本気を出したとしても、もしかしたら良くて刺し違えか…


「エエエイッ!!」


ごちゃごちゃ考えてる暇なんかねぇ。浪士の怒鳴り声に必死に自分を奮い立たせ、振り下ろされた刀に己の刃を交合わせる。
鍔迫り合いになるも、相手は俺よりもでかい。それに…クソッ!力も強いときたもんだ!どう考えてもこれじゃ俺の方が不利だ。なんとかこの刀を弾き返さねぇと…!!


「…そんな迷いのある剣で僕を切れると思うなよ!」

「ッ!」

「僕はこんなところで朽ち果てるわけにはいかぬのだ!!」


浪士は声高にそう叫ぶと俺を力で弾き返す。その反動で足元がもつれた俺に、浪士は素早く正眼に構え「覚悟!!」と大上段から刀を振り下ろした。
必死で後退するもあと一歩遅かった。次の瞬間、俺は額に猛烈な熱さを感じたのだ。
次いで真っ赤な"何か"に覆われた視界。
額を割られたのだと気付くのに時間はかからなかった。


「クソッ!!!」


額から流れる血が目に入り、俺の視界は容易に奪われた。このままじゃ浪士に斬られちまう…!!
俺の志はここで途絶えちまうのかよ!!ふざけんな!まだ死にたくねえっ…!!

斬られてたまるかと必死に刀を振るうが、そんな俺の姿は相手から見たらかなり滑稽だろう。
けど、このまま黙って斬られるわけにはいかねぇんだ!!俺にだって志が…
それにあいつを…あいつを影から守ってやりてぇんだッ…!!


「畜生ッ…!!死んでたまるかァッ!!!」


悪足掻きをする中、浪士が振り下ろす刀の気配を間近に感じたその時だった。


「うぉりゃああああ!!!!」


この声は…


「新ぱっつぁん!?」という俺の声と同時に、目の前にあった鋭い気配が消えた。代わりに「ぐあっ!」という浪士のものであろう叫び声と、人が倒れ込む衝撃音が耳に届く。もしかしなくても新ぱっつぁんが浪士に体当たりして助けてくれたんだろう…!


「平助ッ!大丈夫か!!?」

「ひ、額を割られちまって!!血が、目に…!」

「落ち着け!!この馬鹿!普段から稽古サボってっからだ!!」

「ば、馬鹿って何だよ!!」


稽古だって新ぱっつぁんよりはサボってねぇわ!!
思わず心の中でそう突っ込んだが、俺は嬉しかった。またこうして生きて新ぱっつぁんと軽口叩けることが。
…そうだ。死んじまったらこんなことできねぇ。仲間と馬鹿騒ぎすることもできねぇ。
由香を見守ってやることもできねぇんだ!!


「新ぱっつぁん…!ありがとな!」

「礼はこいつを片付けてからだ!!」


しみる目を懸命に袖口で拭い、うっすらとした視界の中で再び浪士の姿を視界に捉えた。静かに正眼に構えたその姿からは尋常じゃねぇ強い気が発せられている。
…やっぱこいつ、只者じゃねぇ。


「お相手願おうか」

「…お前、どこの悪モンだ?長州か?肥後か?それとも土佐か?」

「…僕は長州藩士、吉田稔麿。先生の無念、ここで晴らさせてもらう」

「こっちこそ仲間を傷付けてくれた代償は払ってもらうぜ!」


新ぱっつぁんの気が荒々しい蛇のようになるのを肌で感じる。同じく正眼に構え直した新ぱっつぁんの刀がカチャリと音をたてた。

その場を静寂と暗闇が支配する。生暖かい風がピタリと止んだ。事が動く。
そう思った瞬間、刃が交わる金属音が痛いくらい耳に響いた。鍔迫り合いになり、勝負はまだだと思ったのも束の間。俺は霞目ながらも気付いちまった。新ぱっつぁんの左の親指の付け根がざっくりとやられているのを。


「クッ…!!」


血で滑る感覚に新ぱっつぁんも気付いたんだろう。身体が強ばり、苦しそうな声を漏らす。助太刀しねぇと…!
フラフラとした足取りで俺も刀を構え直すが、そこはさすがの新ぱっつぁんだ。負傷を負いながらも鍔迫り合いから相手の重心をはね除け、再び相手と向き合うように間合いをきる。そこですかさず踏み込み、得意とする突きを繰り出した。だが相手も相当の手練れ。それは紙一重でかわされてしまう。やっぱ一筋縄じゃいかねぇか…





幾度、そんな攻防が繰り返されたか。
ちっとばかし血を流しすぎたのだろうか。すでに額の熱さも感じず、ズキズキという痛みから俺は意識が朦朧とし始めていた。

俺…死んじまうのかな……
目の前で新ぱっつぁんと浪士が刀を交えてるのもなんだか夢のような気がしてきたわ…
つか、全部…夢なんじゃねーのかな……

ついに立っていることができず、俺はその場に膝から崩れ落ちた。
懸命に瞼を開ければ、新ぱっつぁんが浪士に突きを放つのが見える。それを胸に受け、グラリと倒れ込む浪士…

ああ…やったな……

薄れ行く意識の中、その光景を視界の角に捉え、俺はそのまま意識を失ったのだった。




次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ