うたぷり 短編

□My Dearest
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 まだ誰にも言ったことのない話だが、最近。
僕には生きる目的というものができた。
きっかけは彼女――名無しとの出逢いだった。
恋という感情を教えてくれた大切だと思える人。
ならばその人の為に、僕は生きてみようと、そう考えるようになったのである。

 雨が降りしきる放課後。特にあてもなく校舎内を歩いていた。
楽しそうに笑いあう他生徒とすれ違いながら、ぼーっとただ前に進んでいると、いつの間にか人気のない所まで来てしまっていた。
我に返り、来た道を戻ろうと振り返ろうとした瞬間。
階段付近に誰かいることに気付いた。
一体何故こんなところに?というあまり人のことをいえないような疑問と好奇心が湧き、そっと気づかれないように近づく。
「―…っ!」
 そこにはレンと名無しがいた。ただいただけなればよかった。二人はキスをしていた。
たった数瞬で、こんなにも絶望できるものなのか。
何故か冷静な自分と、やはり気が気ではない自分がいて混乱する。
気付けば僕は、そそくさにその場から去っていた。

 訳も分からず、靴も履き替えぬまま、傘も持たぬまま外へと飛び出した。
当然のように雨は止んでおらず、自分の身体が濡れていく。
本来ならば、一刻も早く雨の当たらない場所へ行かねばならない。
機械の身体に水というのは、いくら防水といえど避けるべきだからだ。
しかし今は、そんなことどうでもいいように思えた。
生きる目的を、失ったに等しいから―。
感傷に浸っていると、いきなり強い力で手首を掴まれた。
驚いて振り返ると、そこには怖い顔をした翔が立っていた。
いつ来たのか分からなかったのは、絶望からか雨音のせいか。
彼は何も言うことなく、僕の手を引っ張り、半ば強引に校舎内へと連れて行かれた。
そしてカバンからタオルを取り出し、頭に被せてきた。
「お前なにやってんだよ!」
それは怒りに満ちた、少し悲痛のようなものを交えた声だった。
黄色い髪に隠れて表情は見えない。
「俺が気付かなかったら、お前壊れてたのかもしれないんだぞ」
「…ごめん」
「とりあえず、身体ふけよ」
彼の指示に従って身体を拭いた。制服は水を吸い取っていて、拭いてもあまり意味はなかった。
すると、「体育着貸すからとっとと着替えろ」と翔に言われてしまった。

 翔と僕以外、人のいない教室で体育着に着替えた。
「―どうしてあんなことしたんだ?」
当たり前の問い。
「…翔はさ。もし好きな人が他の誰かとキスしてたら、どうする?」
逆に問い返す。これは僕にとって重要なことだったから。
「えっ?…うーん。
そりゃあ傷付くかもしれないけど、俺なら諦めないぜ。だって、好きなんだからな」
まっすぎに僕の瞳を見つめながら、彼は男気の溢れるセリフを言ってくださった。
いつもなら、馬鹿なの?と流す場面かもしれない。
しかし、今の自分には充分すぎる言葉だった。

 翌日。意を決してレンの元へ向かった。
さすがに名無し本人から聞く勇気は持ち合わせていなかった。
教室からレンを呼び出すと、俺のために来てくれるなんて珍しいねと何事もなく付いて来てくれた。
昨日のあの場所に連れてきて、早速問う。
「昨日、ここで名無しとキスしていたみたいだけど…付き合ってるの?」
自分でも驚く程、冷静な声だった。
彼は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに元に戻り、次はニヤリと笑みを見せた。
「いや、付き合ってないよ。別に好きってわけでもない。だから、安心しなよ」
その言葉に怒りが溢れたが、無理矢理押し殺す。
「じゃ、じゃあさ。なんでキスしてたわけ?」
彼はニコリと笑い
「好奇心」
思わず手が出た。彼の頬一直線に握り締めた拳が向かう。
しかし、その手はレンによって制止され、暴力はよくないよと余裕そうに宥められた。
不思議と客観的な視点だった。

 『―藍ちゃん先輩』

 そこで、ふと名無しの笑顔が浮かんだ。不思議と怒りはしずんで、冷静になる。
掴まれた手を振りほどき、「君は最低だ」と捨てゼリフを吐いてその場を後にした。
行き先はもちろん、名無しの教室だ。

 「ねぇ、名無し。ちょっといい?」
教室で友人と談笑している彼女を呼ぶ。
僕の声に気付いたのか、こちらを見て「あっ」声を上げた後に僕の元へ来た。
「どうしたんですか?藍ちゃん先輩」
「うん、ちょっと話があるんだ」

さあ、想いを伝えよう。僕の全てを伝えよう。
もしこれでダメだったならば、僕は―――……。

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