短編W

□彼らに。
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死にに行くようなものだ。彼はそう吐き捨てて黒板を殴った。ミシ、とヒビの入る勢いで叩き付けられた拳には少量の血が流れ、手の甲に降りかかった消しそびれのチョークの粉を赤く洗い流している。
慌ててケアルを唱えた彼女も心境は彼とそう変わらないようで、詠唱が終わってからもきゅっと唇を引き結んでいた。
0組短気代表組のうち二人は普段中々見せることのない沈鬱な表情を浮かべ、同時に口を開いた。


『あんの阿呆隊長……!』

『クソッタレ!』


そんな様子を離れた場所からじっと見つめながら、私は小さく溜め息を吐いた。

わかっていた。こうなることは。
秘匿大軍神の召喚なんて、これまで幾度も繰り返された世界では数少ない事例に分類されるのだけれど、それでも予想の範囲内に組み込まれていた。特に今回の世界に於いては『上』の彼らが行動的で、そう成り得る可能性は充分に有ったのだ。
彼らは、結託して、徹底的に、完膚無きまでに。大の大人が寄って集って情けないことこの上ないけれど。
0組を潰す気だ。
これもここ最近の世界では、別段、珍しいことではなかった。


「ティス」


音もなく誰かが隣に座った。
切り札はそこに感情の映らない顔で。


「どうなんだ?」


それだけを尋ねる。


「クラサメ=スサヤは、助からないと思う」

「ふーん……まあ、ティスがそう言うなら、」

「でも、少し違う」


それまで無表情だったリーンがようやく感情らしい感情を見せた。うん?と首を傾げ訝しげに眉根を寄せる仕草。それはこちらの言うことがわからない意思表示なのか、或いは私の答えが自分の予想していた答えとは違うものであったのか。どちらなのかはっきりとはしないけれど、しかしそれはリーンが今現在『納得していないのだ』という結論に直結する。しかし彼は少し首を捻っただけでそれ以上追求することもなく、純粋な瞳で、屈託の無い笑顔でこう言った。


「まあ、ティスが違うって言うなら、違うんだろう」


納得していないはずのリーンは、私を全面的に信頼することで自分の考えを放棄する。同じ苦しみを味わい、分け合ってきた私達でもここまで人格に差が開いてしまったのは何故なのだろう。元の性格の違いにしても、私の知る限りのリーンは『こう』ではなかった気がするのに。それも遠い昔過ぎて思い出せずに居るのがもどかしい。
違いの根拠なんて考えたところで解を得られるはずもないのだが、これは私が最近になって抱くようになった不安の一つだった。
マザーのもたらした実験結果一つでも抱く感想が全く違う。でも、リーンはそれを捨てて私に合わせようとするのだ。まるで自分など要らないとでも言うように。人格など不要だとでも言うように、簡単に。
即座に自己を排除し他のものになろうとする姿は正しく『ジョーカー』に相応しいが、それは私の中に虚しさと恐怖を植え付けた。


「見て、リーン。二人が頑張ってる」

「ん?ああ、そうだな」


忘れないと言った彼らは、自らの記憶を手放さないために必死だった。
チョークを手に取り、ダイナミックに黒板全体を使って文字を綴る。
これは、覚えている限り今回が初めての『過程』だった。今までに一度だってなかった。果たして結果は変わるのだろうか。変わるとするならば、如何にして、どのように。

マザーの納得する結果へ到達した暁には、これから先の世界でも『ジョーカー』の出番が必要な事態になんてならずに済むのだろうか。


「リーン、この世界が終わったら、お願いがあるの」

「なんだ?ティスの願いなら何でも聞くぜ」


貴方の、

貴方の考えを、私に見せて欲しい。

世界の行く末を、その後の私達の未来を。

貴方に見えているものを全部。


リーンはじっと私の言葉を待ち、こちらを見つめている。その顔が何だか小さな子供みたいで、少し可愛いと思った。
願いの内容はまだ話さない。多分今言ってもわからないだろうし、わからなくても彼が頷くであろうことは想像に難くない。この先理解を得られるかも定かではないけれど、今話してしまうのは何だか違うような気がして。

それに……


「……そのときに、言うね」

「なんだ、勿体振るなよ」

「良いの。待ってて」


この世界がもし終わらなかった場合、全てが上手く運んで未来が繋がった場合は、それに越したことはない。今黒板に何やら落書きしている彼らが気掛かりなのも事実。
今回の世界は、何かが違うから。
ひょっとしたらひょっとするかもしれない、なんて。


「今度こそ、上手く行くと良いね」

「……うん、そうだな」


彼らに。私達に。そしてマザーにも。
良い過程をもって、良い結果が訪れますように。
こう言うとき、朱雀の人達が掛ける言葉を私は知っている。


クリスタルの加護あれ。


……と。











0組教室。このクラスの生徒は今、全員、恐らく飛空挺発着所に集い出動命令を待ち構えていることだろう。
そんな中、この教室の真ん中に立ち尽くし、呆然と前方の黒板に描かれた荒々しい文字を眺めている男が居た。


『口ウルセー0組遂長クラサメ、ここに参上だコラ!!←けすな』


文字が坂上に入りきらず、最後の方は無理矢理詰め込まれている。


「……遂長クラサメ、か。フッ、何だそれは」


これ程大々的に、自信たっぷりな筆圧で漢字のミスを晒すとは流石ナインと言ったところだろうか。生徒の前では決して笑顔など見せなかったクラサメだが、ここに来て堪えきれず腹を抱えて笑っていた。
辛うじて、声を出すのは堪えているが。しかしそれも中々苦しい現状。一歩踏み出し、笑いすぎて震えの止まらない手で黒板に触れた。

こんなに笑ったのはいつ以来か、最近はエミナやカヅサと話している時さえ無かったはずだ。もうずっと昔に、顔すらも思い出すことができない仲間達が馬鹿やらかすのを眺めていたとき、或いはそれに巻き込まれるなり便乗するなりして共に馬鹿やってたとき。ふとその光景が浮かび掛けて、瞬く間に霧散した。

ナイン作、即席横断幕の下に細々と綴られた文字はケイトのもので間違い無いだろう。最初は自分の記憶を残そうとでも考えていたのか、外見から順にクラサメの特徴を並べてあっただけの文章だが、次第に『ムカつく野郎』だの『カッコつけた名前自分で広めてる』だの個人的な感想から私怨に至るまで有ること無いこと洗いざらい長々と記されていた。カッコつけた名前とは……朱雀四天王のことか?あれは自分ではなく『彼女』が勝手に名乗り広めたのだ。仲間達は皆揃ってゲンナリしていたにも関わらずいつの間にか定着した。決して自分で付けて気に入った挙げ句拡散したわけではないのだが……そんな言い訳も、今は誰にも通用しない。


『でも、キライじゃない』


一番最後に付け足されたこの一文だけ歪んでいるのは、指が、震えていたのか。


「……すまないな、お前達」


可愛い、可愛い生徒達だ。心の底からそう思う。

しかしそれでもこれをここに残すわけにはいかない。死者の記憶など、彼らが覚えている必要は無いのだ。まして任務から帰還して、覚えの無い自分の落書きに心を痛める必要など、全く無い。
覚えていたらきっと、重荷になる。
覚えていなくても、この落書きがあれば気に病むことになる。
ナインは苛立つだろうし、ケイトは人目の無い場所で泣くかもしれない。他の子らも察するだろう。そんなことが有ってはならない。
そう思うからこそ。


「悪いヤツだよ、……俺は」


ケイトが何度も何度も逡巡し書いては消してを繰り返したのだろう、すっかり白く染まった黒板消しを数回叩き、チョークの粉を落とす。
しっかりと目に焼き付ける時間が無いのが、残念でならないが。

ケイトの文字は、端にまで詰められ過ぎて中々黒板消しが届きにくく、苦労した。
ナインの文字は、筆圧が強すぎて苦労した。
全く最期まで手の掛かる子供達だ、と。
名残惜しげに、そして愛おしげに。彼はその美しい文字達を、跡が残ってしまわぬよう丁寧に、消していった。











「あら?」

「ん?どしたのクイーン」

「黒板にヒビが……大変、修理しないと」

「あ、本当だ。誰が……って、こんな阿呆する馬鹿力、一人しか居ないか」

「私、先生を呼んで来ますね」

「うん……あ、ねえ!ちょっと待って!」

「ケイト?」



「やっぱこれ……このままにしない?」



END

(2014/10/23)

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