短編W
□四月一日の罠
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View point → A Scientist
人間、何をやるにも限度が有る。
科学者の私が言うのもアレだが、例外は無いと考えて良い。
例えば翼を持って生まれたかったとか、不死の肉体を手に入れたいだとか、そんなレベルの願望程度ならば、叶えられなくもない域に科学は到達しているが、それは最早『人間』と言えるのかといえば、生物学的には大幅にその定義を逸れるのである。道徳的には個人の感じ方次第だろうが、少なくとも私は、人でないものは人でないもの、という目を持って見つめるように心掛けている。
人でないものを否定するわけではないのだ。そんな堅い考え方しか出来ないような人間に、神羅の科学者が勤まるはずがない。
しかしこれとそれとは話が別だ。
人間には限度が有る。それを越えるならば、人間ではないものにならなければならない。
つまり、人間という種族には、科学者の求める『完璧』というものは生まれないのである。
抑科学者とは『完璧』を追い求めてこそいるものの、その領域に達することが永劫に叶わない職種とされている。まあ、それはどんな事柄にも当て嵌まることなのだが。
不死であろうと不老であろうと最強であろうと、それが『完璧』だと定義できる程度の科学なら、衰退する一方だろう。『追い求める』ことこそが科学である故に、『完璧』は科学の範疇では起こり得ないのだ。
それを理解している科学者の中には、あくまで人間として、人間にとっての高い利便性とクオリティを生活に齎すことが第一であると考え、職務に励む者も居る。寧ろそれが当然の思考であり、有るべき正しい姿と捉えられるのだろう。が……しかし何故か、この神羅にはそう言った科学者が実に少数派であり、私もまた普段はそれに賛同できない人間の一人なのである。
普段は。
『完璧』という野望を、自らも知らぬ間に抱いてしまう。
職業病の一種なのかもしれないが。
しかし今は違う。
先にも述べた通り、『完璧』など科学の世界では起こり得ないのだ。
つまり、科学が繁栄している間、人類の未来は明るくとも、科学そのものの未来については、明暗もクソもない常一定のゼロであるということだ。
不毛極まりない。
故に、私は今、可能性の制限された只の人間として提唱せんとするのだ。
このときばかりは神羅科学部門の職業病に反旗を翻し、渇望しようではないか。
「野望とかどうでも良いから、利便性ください」
本棚の上段に、手が届きません。
*
「ちょっと爪先を棚に掛けたら登れるじゃないですか」
「書物を保存する棚に足を掛けられるか、馬鹿。ちょっと爪先を引っ掛ける程度で届くなら、普通に背伸びするわ」
「博士の体格じゃ無理ですよ。……はい、これで合ってますか?」
「ああ。……ありがと」
どんだけ科学が発展していようと、こういうところで不便だと意味ねえよな、と普段の行いを反省しなくもない。
結局、人間には限度が有ると自覚しながらも手を伸ばし奮闘していたところ、爪先を極限まで立てた所為でバランスを崩した足が変な方向に曲がって捻挫となった。フラついたところを、相変わらず絶妙なタイミングで支えてくれたのは汎用性の高い優秀な部下、影森シュウイチであった。
ついでに怪我の手当てまで請け負ってくれている。
既にしょうもない怪我をしてしまった手前、誤魔化しも兼ねて『今回は遅かったな』なんて可愛げのない台詞が咄嗟に出てきてしまったが、影森は『今回も可愛くないっすねー』とケラケラ笑っていたので……まあ、もう、良いや。
「いつまでもそうやって捻くれてたら、お婿さん貰えませんよー」
「貰う予定はねーよ」
「またそんなこと言って」
「カゲこそ、どうなんだよ。最近は」
「ん?俺すか?」
そういえば、コイツとはあんまりプライベートな話をしたことがない。現在の職に着任してすぐ知り合った程長い付き合いになるにも関わらず、何が好きで何が苦手とか、そんな在り来たりな質問を投げ掛けたことさえ無かったのだ。
まあ、そういうのが出来ない奴だということは理解しているが。
私の知り得る数少ない影森ズプライベートと言えば……。
この黒髪白衣、どっか抜けてるが真面目で、仕事早くて、キャパも広く、多用な分野において優等生とされ、チャラい我が不肖の弟とは正反対の義理堅い忠誠心でもって私に支えてくれる影森シュウイチという男には、実は、カノジョが居る。
カノジョというのはアレだ、漢字で彼女、別名を恋人、番とかいう、真面目に付き合っていれば将来的にお嫁さんになる女のことだ。
という事実を半年ほど前に本人の口から聞いたこと以外、印象に残る情報が無い。
ので、何となく婿とか嫁とかの話題の流れに便乗して、近況を尋ねてみることにしたのだが……。
「カノジョとは上手く行ってんのか?」
「カノジョ?」
「うん。カノジョ」
「…………あ、ああ。はい。順調っすよ」
「……」
微妙な間と共に常套句が返ってきて、一気に影森のカノジョなる存在の有無が怪しくなった。
……変な見栄張ってんじゃねえだろうな、コイツ。
「そういやまだ会ったことないな、お前のカノジョ」
「え。」
「これでも職場の上司なんだから、紹介くらいしてくれても良いんじゃねえか?なあ?」
「え。あー……そうですね。うん……まあ、そうなりますよね」
わかりやすくカマを掛けてみた。
すると影森は、わかりやすく動揺し、わかりやすく頬を掻いて困っている様子だった。
……わかりやすい。
しかし私は、普段から率直にものを言う割に本心を出さないカゲのわかり易さは、あまり当てにならないと、長年の付き合いで学習しているのだ。わかり易すぎて、今回の場合は逆に何かちゃんとした言い訳が有るような気がした。
実は相手が権力者の娘だったとか。
他にも、例えばただの愛人関係とか、私の知り合いの誰かだとか、人外だとか。
一瞬あの夢見がちな間抜け面が頭に浮かんだが、アレはセフィロス一筋なので多分違うだろう。……違ってくれ。
私の切実な願いなどついぞ知ることのない張本人たる影森は、暫くして言い淀んでいた口を開き、重く溜息を吐いたのだ。
仰々しく肩を竦めるジェスチャー付きだ。
「実は複雑な事情が有って、人前に出せないんすよねー。カノジョ」
「……ふうん?」
「写真なら有りますけど、見ますか?」
「見る」
「ふふ、即答」
何がおかしいのか、一瞬だけ和やかな笑みを見せた影森は、白衣の内からジャラリと音を立てて銀のペンダントを取り出した。……こんなの携帯してたのかコイツ。
やけに年季の入った代物だった。ぱっと見だが、本物の銀で作られているように見える。売りに出したら結構な額になりそうだな、なんて鑑定士の真似事をしていると、影森はそのペンダントの下についている突起を指で軽く摘んで、『蓋』を開けた。
ロケット仕様になっている。
軽い金属の擦れる音と共に中の写真が目に飛び込んだ。
そこに写っていたのは。
うねりの有る髪を緩く肩に流した美人の顔。
綺麗だ、と思った。
――ただし、
「……美人だな」
「でしょう、でしょうー」
「だけど、」
「ん?」
澄ました風にツンと上を向く小さい鼻。
伏せた目が何処か大人びた雰囲気を漂わせている。瞳の色は……青、か。
レンズの向かう先で微笑みさえもチラつかせない。今生稀に見るほどに一点の曇りもない白髪であることには、科学者として興味を惹かれなくもないけれど、写真の彼女の憂い顔の原因は、当然ながらその髪にある訳ではないようだ。
態々こんな高そうなロケットペンダントの中に保存している写真がこの仏頂面なのかと、影森の神経を疑うところだが、それ以上に懸念すべき大きな事案が立ちはだかっている現状、敢えてそこに突っ込む気にはなれなかった。
気の強い性格なのか、またはカメラに気付いていないのか、笑顔の無い原因は知る由もない。しかしその姿にはなるほど確かに惹きつけられる何かが有る。
とても、大人っぽい。
ああ、大人っぽい。
……大人っぽい、が。
「……何歳だ、この子」
嫌な予感で一杯の私をよそに、影森はいつも以上に晴れ渡った笑顔で、にこやかに、爽やかに、言い放ちやがったのだ。
「10歳ですよ?」
「――幼女じゃねえかッ!」
ふざけんな。
思わず爪先を踏んづけようと足を出すが、上手く避けられた。悔しいので諦めずに足先で追ってみる。
――10歳って。
10歳って――幼女じゃねえか。紛う事なき幼女じゃねえか。10歳って、……幼女じゃねえか。おま、何勝手に未開の境地を踏み抜こうとしてんだ馬鹿。
……10歳って!
「大丈夫です、保護者の許可は得てます」
「認めねえよ!?下手したら犯罪だぞお前!?」
「普段から法に触れる実験ばっかしてるのに、何を今更」
「そういう問題じゃない!そういう問題じゃないから!何かこう、違うだろ種類がッ……!」
その後暫くヒートアップしてギャーギャー言っていたが、混乱のあまり、何を喚いたのかは良く覚えていない。
四月一日の罠
View point → Kagemori Shuichi
「……」
嘘を、吐いてしまった。
否――最初から嘘だらけの存在が何を言ったところで、その全てが嘘にしか成り得ない。そんなことはわかっているのだ。
「……」
人間、何をやるにも限度が有る。
しかし――俺には、限度が有るのだろうか。そんな疑念を抱いてどれ程の時が流れたことだろう。
少女の写真を閉じ込めたペンダントを、固く握りしめた。
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