短編

□セッツァー誕生日2018!
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この時期になると否応無く実感させられるものだが、歳を取るという現象は、何度繰り返そうとも慣れないものだ。また一年、今日この日までを生き抜いたことをめでたいと祝うべきなのか、それとも、ただ何もせず老いていく現実を憂うべきなのか、掴みかねている。
毎度毎度、懲りずに、悩む。
そしていつも、後者であると結論を出すのであった。何度自問しようとも変わらないものだ。
目の前でいそいそとケーキを作っている緑髪の少女には申し訳のないことだが。
殊更、今年は、例年とは違って、悲惨なことに世界が崩壊している。セッツァーにとっては、また一年を、この災厄を乗り越えて『生き抜いてしまった』という罪悪感が濃く纏わり付いているのが実情。そのしつこさたるや、過去27年間のうち最も尾を引いたあの日に引けを取らない粘着度だ。
何しろ、世界である。
人ひとりが死ぬのとはわけが違う。寧ろ、それと並ぶあの女性(ひと)の存在というものが、セッツァーにとってどれ程大きいのかと失笑を禁じ得ない規模の惨事であるはずだった。かつて眺めの良かった小さな大陸は地図の上の何処にも存在せず、どの国、どの村、どの辺境に立ち入っても、誰もが須く喪に伏していてる。
この短き人生に於いてセッツァーは、世界を二度、失った。
女将軍の激励で立ち直ったものの、その二度目が未だ尾を引いて、今すぐにでも地上に降り立ちたくなる衝動と戦う日々を過ごしているというのに……そんな最中にたった一人が『生誕日だ』などと嘯いたところでピンと来るはずもない。
「この日が無ければ出会えなかったんだもの」
少女は、覚えたての菓子作りに張り切っている。
一方セッツァーはシャワー上がりで、濡れたままの髪が降りて頬にへばりつくのを、鬱陶しいものだと無造作に掻き上げた。
乾かすのは、面倒だ。
労が要る。
手間暇掛かる割に、得るものは無い。
ふと、何の気は無く、シャコシャコと乳製品を泡立てている少女の様子を盗み見た。この場に居る以上は如何あってもチラチラと目に入る鮮やかな緑色は、一年前、己が無為と嘆き悲哀に暮れていた頃と何ら変わっていない艶を主張している。つまるところ、戦闘以外に無知だったあの頃から、手入れなど行わずともこの自然体な美しさを保っているということらしいのだ。が、どういう理屈なのかどうかはさて置き、セッツァーは少女の髪を、あまり好ましく思っていなかった。
緑とは芽吹きの色。
先行きの明るいもの。
草木の色。森林の色。命の色。
友亡き後をただ余生として過ごす、そんな自分の霞んだ瞳に飛び込んでは、痛めつける。それが、既に幾数もの血に染まりながらも穢れを知らない純粋な少女を象るものだから尚更、苦しいのである。
自らの湿った毛先を見つめた。銀に輝いていた糸は痛むところまで痛んで灰色に燻み、各々好き放題に細胞分裂を繰り返しは伸び、更には散り散りに枝分かれをしている始末だ。
髪の在りようが個人の在りようだ、とまでは言わない。
しかし、並べば劣る見窄らしさは、これから大事に育てていく少女の成長の芽を少なからず妬むのだ。
何が、生誕日か。
何も成し得ず惰性で日々をやり過ごすだけの自分に、この未来ある輝きを手にした者が祝福を齎すなど、皮肉でしかない。
「ティナ」
呼べば、屈託の無い笑顔で振り返る少女。
緑髪が軽やかに揺れて、嫌という程存在を主張した。
ああ――妬ましい。
この純粋さが、何も知り得ぬ、穢れを纏わぬ存在が、妬ましい。
枯れ果てた死骸のような自分とは違い、間違いなくこの荒廃した世の中で『生きている』。
それの、何と、羨ましいことか。
「なあに?セッツァー」
余程菓子作りが楽しいのか、微笑みを崩さぬままに言葉を返した、その唇を、セッツァーは、何も考えぬままに。
己の唇を重ねて、奪った。
これ以上なく乱雑に。
ガシャンと音がして、ティナの手の中の器が滑り落ちる。床に着いたそれを足で退かして、彼女の腰を引き寄せて捕らえた。ついつい普段の癖で目を閉じてしまったがために、その表情を確かめることは叶わなかったが、しかし彼女は間違いなくその息遣いで驚愕を露わにしているのであった。
ああ、とセッツァーは胸中で独りごちる。
こんな風に奪ったからと言って、どうなるわけでもない。しかし、少しでもその心に、傷を、与えていることに彼らしからぬ愉悦を覚えた。
これはどういうわけか。よもや自分は狂ったのか。
自問自答をしても解は無く、ただ無心でティナの心を犯し続ける。
ふと。
彼女の腰に回していた片手が、冷たい金属のものに触れた。それがティナの扱うナイトソードであることを察して、またも何も考えないままに、するりと、それを引き抜いて自らの後頭部へ回す。
唐突に身体を固定する両腕から解放されたティナは、ふらりと後方へ二歩三歩たたらを踏み、そして、唇と得物を奪った男を見る。
彼女の視界がクリアになり、両目の視点が定まったのと同時。
銀髪が、キッチンの床に舞い散る瞬間を見た。
セッツァーが、何を思ったか乱心して、自らの髪を騎士剣で断ったのだと知覚した。
無垢なる少女は、その光景を、何故か酷く恐ろしく、また、何処か哀しいものだと感じ取った。
「セッツァー……?」
問い掛ける。
セッツァーは、答えない。
答えず、不意にその朧げな瞳が揺れ動き、髪を切り落とした騎士剣と、先までティナを押さえつけていたもう片方の掌を、不思議そうに見つめていて……思わず突き動かされ、ティナは駆け寄り、その痩せこけた身体を抱きしめたのだった。
居ても立っても居られなかった。
何故か、どうしようもなく。
「……ティナ」
名を呼ぶ声は掠れていて、どちらともなく、膝をついて崩れ落ちる。恐らくは、互いに、自分が何を以って何をしたのか、そして今何をしているのか、まるで把握していない。
ティナは、自分の後頭部に違和感を覚えた。
セッツァーが抱きしめられたままの姿勢で、自分の髪に触れているのだと気が付いた。そして、すらりと目の端を横切る銀の刃で、先に己に施したのと同じように、切り落とそうとしているのだと。
構いやしない、と、背に回した腕に力を込める。
そうしなければならないような気がした。そうしなければ、セッツァーが、自分のために何処かへ消えてしまうのではないか……そんな予感が有ったから。
カタカタとすぐ近くから音が聞こえた。
柄を握る彼の手が、震えているのだと知った。
髪を切ることを考えながら、どうしてもそれが出来ず躊躇っている、その音が、ティナの耳には助けを求める悲鳴に聞こえて。
背中に回していた両腕を解いて、髪に触れながら行き場を彷徨う頼りのない手を、ゆっくりと制止する。
するとセッツァーは、びくりと肩を震わせて、そのまま一切の身動きを取らなくなった。
「……大丈夫よ、セッツァー」
「……」
「大丈夫。だって貴方は、ここに居るもの」
誰かを傷付けなくとも、無理に刻み付けずとも、存在しているのだと。
生まれたのだ。
昔、確かに、この日に産声を上げたのだ。
どう足掻いても、在るべくしてここに在る。だから、存在を疑うことは許さない。終わりを予感することは許さない。
手を伸ばす余り、手の届かないところへ行くことは。
大空を望む余り、向こうへまで思いを馳せることは。
死を、願うことは。
「余生だなんて、思わないで」
許さない。
そう告げて浅く口付けると、また肩を震わせたセッツァーは、それと同時にカタン、と刃を取り落して。
その手を、髪へ。
「これが憎い」
「……ええ」
「だが、お前が好きだ」
この緑の色が愛しいのだとばかりに、優しく指に絡めて、口付けた。



(2018/02/08)

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