短編

□ゴゴの日2018!
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――お前は此処に在る。存在している。

あの日は、今日と同じような雨の日で。
豪雨に身を晒しながら、立ち尽くす鮮やかな影が有ったのを、よく覚えている。
降り注ぐ水がブラインドになって、視界は悪くなる一方だったけれど、どうしてもそこから目が離せず、少女はその影に駆け寄った。
「ゴゴ?」
自分より少しだけ上にある頭を覗き込む。赤い鉄格子のようなペイントの奥、空を仰いでいた彼の瞳は雨水をそのまま受け流して、水気を吸い取り切れない覆面の端からポタポタと滴らせていた。人類を含む動物の類には必須であるはずの『瞬き』の概念すらも無く、ティナは、然程身長差のない覆面の上に古びた傘を翳しながら、ゴゴの様子を伺った。
こんなところで、どうしたのかと問い掛ける。
やはり返答は期待していなかったものの、しかし、いつもならば鸚鵡返しにされるはずの高い声さえも聞こえなくて、首を傾げた。
何やら、様子がおかしい。
否、この人か普通であったことなど今までに一度たりとも無かったことではあるが、例を上回る異様な雰囲気に飲まれて、ティナはどうしてか、彼をこの場所に居たままにさせてはいけないという感覚に囚われた。
「ねえ、ゴゴ。風邪を引いてしまうわ」
「……」
くい、と裾を引っ張るものの、反応が無い。
普段から気配を感じさせない立ち居振る舞いをするゴゴだが、いつにも増して、すぐ目の前にいるというのに、そこに在ると感じさせないのは、どうしたことだろう。
不意に、言葉が紡がれた。
「雨宿りを、していた」
それを聞いて、ティナは一瞬、何の話かと眉根を寄せる。しかし、すぐに、先の自分の問いかけに対する回答であると察して、同時に傘より外側に在るものの存在に気が付いた。
視界が悪いけれど、その正体を確かめるには不便は無い。
彼の立ち尽くしているこの場所には、木が根を張っていた。
なるほど先の弁の通り、この豪雨の中、この木の下で、ゴゴは雨宿りをしていたのである。
しかし。
一本だけ、所在なさげに佇む木は、雨風に打たれ項垂れている。それは、誰が見ても、この天候を凌ぐにはあまりに頼りのない存在だと思った。確かに、木はそこに在ったけれど――それは、既に枯れ果て、葉の一枚すらも残ってはいなかったのだ。
明らかに傘にはならないその木を見つめるゴゴは、相変わらず感情の読めない目で、やはり立ち尽くしている。『雨宿り』というのが本気なのか嘘なのかと問われたら、極々一般的な感性を持つ誰かならば冗談だと笑い飛ばしているところであろう。が、ティナはそうすることを良しとはせず、読めない感情を読み取ろうと真剣に瞳を観察していた。
如何せん自分以上に常識の的が外れているゴゴのことである。
何を言っても、何をやっても、何を間違えてもおかしくはない。或いは、人知れず何かを成し、歪んだものを正したのだとしても、知る由がない。例え葉の無い木の下で降り頻る水を凌ごうとしていたとして、その真意のまるでわからない相手に対して、ティナは諌めることも、諭すことも、流すこともできなかった。
ただ、一つ言えることは。
「枯れ木では、雨宿りはできないわ」
その事実のみだった。
正面に回り込んで、その瞳を真っ直ぐに見据え、傘に掛かっていない片腕を伸ばし目元に触れる。一瞬、覆面に隠れていない箇所へ触れたら溶けるように無くなってしまうのではないかと不安が過ぎったけれど、何のことはなく、彼はそのままの姿で存在していた。
「行きましょう。ゴゴ」
「……行く?何故?」
「皆が待っているもの」
「『皆』?それは、誰だ」
「仲間よ。世界を救おうとしている仲間」
そう告げると、途端、何も映し出すことのなかった色の無い瞳に、僅かに光が戻ったように見えた。こちらを見つめながらも何処か虚空を彷徨っていた視線が、重なって、射抜く程に鋭くなる。
ゴゴは、ものまねをしていたのだと思い至った。
枯れ木を前に、意味もなく、息を吸って吐くことと同義であるかのように、ただ『雨宿り』というものまねを行なっていたに過ぎないのだと。そうすることで得るものなど無くとも、ものまねを行う。常に誰かの鏡となって、誰かの心を一身に受け止める、それがものまね士の仕事なのである。
つまり、ここには居ない誰かのものまねをして、その心を再現して、目の前に立っているゴゴという人は、今に限って言うならば、厳密には知った人間であろうとも限りなく他人なのだ。
「……お前は、誰だ?」
だから、自分達や仲間のことも、今この時間だけは忘れてしまっていても不思議ではない。
ティナは、深く息を吸い込んで、
「ティナよ」
間髪入れずに、名乗った。
「幻獣と人間のハーフなの」
と。
つい最近ようやく真に受け入れることのできるようになった『個』を、付言して、私はここだと呼び掛ける。
ゴゴがものまねをするということは、ティナにとって、良いものでも悪いものでも何でもなく、ただ、魔法のようなものだと感じていた。しかしそれは魔石の齎らす力とはまた違うもので、魔法の文化が廃れた昨今、こうして生まれながらに魔導を宿す少女にとって、ものまね士による芸というものは摩訶不思議そのものであった。
ゴゴの成す何もかもがわからない。
それ故に、目の前で起きていることに対する反応も柔軟になる。ティナは素性の知れないゴゴを全く疑うことなく、仲間として接することに躊躇いを持たなかった。
だけれど、少し。
ほんの少し。
ゴゴという人が知らない誰かになってしまうことを、恐れている。
ものまね士は、そんな少女の心を良く知り得て居るのだ。
この少女は、自分に特別な何かを夢見ているのだと。
しかし、それは大いなる勘違いであり、彼女に期待されるもの全てを自分は返すことができないのだという事実もまた、ゴゴの良く知るところであった。
「俺は、『仲間』というのには、些か外れた場所に居るのだろう」
「……どうして?ゴゴは仲間よ」
「俺は『ものまね』をしている。世界を救うという、ものまねを」
「どうして、私達のものまねをしようと思ったの?」
「ものまね士だからだ。真似ることに意味などない。世界を救うというものまねは、まだ試したことがなかった。だからお前たちの真似をすることにした」
「――世界を壊したことがあるの?」
世界を救うというものまね。
ではその逆ならば、ゴゴには覚えが有るというのだろうか。
単純に、興味から出た言葉のつもりだった。
しかし、すぐに、今のは失言だったのだと気が付いた。
縦縞のペイントの奥の瞳が、僅かに揺れ動いて、深い哀を滲ませていたから。
「世界を、星を、壊したことはない」
ぽつりと、布の下のくぐもった声が耳に届く。
傷つけてしまっただろうか。不安に駆られ、ティナは慌てて謝罪を口にしようとしたが、しかしゴゴは構わずに、すっと視線を逸らして言葉を続けるのであった。
「人を壊したことならある。つまりそれは、世界を壊したものと同義なのではないか」
目線の先には、枯れ木が立っていた。
「俺は、世界を壊したことがある。救ったことはない」
成り代わった人間が狂う様を眺めていた。
容姿。声音。抑揚。仕草。性格。得手不得手。
たかが真似事で、どれだけの人間を壊しただろうか。
人の数だけ個が存在し、世界はその一対の瞳の数だけ存在する。人を壊した自分は、しかし、ただ息をしていただけのつもりだった。或いは悪意のある人間を真似ることは有っても、個の無い自分にそれは芽生えることのないものなのであり、意図して壊そうと思ったことなど一度もない。
それでも、ものまね士という存在は、世界にとって害悪なのだと感じていた。
生きるために、動くために、他人の個を踏み台にしている個の無い自分は、何の為に生きているのか、何の為に存在するのか、わからずに。 果たして息をする価値が有るのかとさえ、疑う。
ここで雨宿りをしていたのは、本当だ。
しかし、ロクに傘にもならずそこに在るだけの存在を前に、後ろ暗い感情を押し殺していたのもまた事実。
周囲から養分を吸収しておいて、こんな風に枯れてしまう木は、何処か自分に似ているように感じられた。
「そんなことはないわ」
少女は言う。
「貴方は知らないだけよ」
何を、と問い掛ける前に、その両の手で口を塞がれ、語ることを禁じられた。
傘を手放した所為で、少女までもが濡れてしまうと身を案じたが、その傘を拾い上げることは叶わず、しっとりと色味の濃くなる深緑の髪を茫然と眺め続ける。
「私は貴方に、救ってもらったもの」
わからない。
何かをした覚えはない。
壊したつもりなどない。救ったつもりなどない。
――俺は何もしていない。
息をしているだけなのだ。
一つ、二つと瞬きをして、ティナは緑髪を揺らしながら背伸びをした。そして、コツンと額を合わせて、ゆっくりと語る。
「私はね、ゴゴ」
その少女は嘗て、個というものを持たなかった。自らを知らず、意志を許されず、閑散とした日々の中で命じられるままに殺戮を行なっていた。
あやつりの輪から放たれたとき、記憶までも失って、とうとう持てるもの全てを失ってしまっていた。
仲間と出会い、過去を知った。
仲間と別れて、愛情を知った。
自分を必要としてくれる人々に手を引かれ、宙に浮くように生きていた少女は、いつしか両足を地に着けて自らの意思で立っていた。
ある時に出会ったものまね士――彼は言う。
『お前は此処に在る。存在している』。
今思えば、それは彼が個を羨む故に零した、悲哀の言葉だったのかもしれない。
しかしそう言われて初めて、ティナは、自らの存在を認める足掛かりを得たのだ。
「貴方には覚えが無いかもしれない。けれど、私は貴方に救われているの。今もそう」
この人は知っているのだろうか。
貴方が誰よりも素晴らしい存在であることを。
彼は自分を個の無いものとして扱うけれど、ティナにはそうは思えなかった。だって、何故ならば、ゴゴという存在は、常に他人の個を自らに取り込もうと、息をしているのだから。
それはつまり、他者を良く知り得ているということ。
他者を他者と思わないということ。
そんなゴゴの繰り出す技は、全て魔法のようで。
ティナ自身が放つものが魔法だと呼称されるのならば、或いはゴゴのそれは奇跡のようなもので。
常に誰かを観察し飲み込んでいくものまね士という人に、個を認められたことは、昔、自分を知らなかったティナにとっては『救い』そのものなのであった。
一年を経て、私はようやく此処に立った。
その証しを、この人から貰った。
「貴方は私の世界を救ったの」
笑い掛けると、ゴゴは、やはり全てを理解できないとばかりに瞳を揺らしていた。
けれど。
「『貴方は私の世界を救ったの』」
「……ええ」
「『貴方は私の世界を救ったの』」
「そうよ。貴方は私の世界を救ったの」
同じ抑揚、同じ声音で、同じ言葉が返ってきたとき。
躊躇いがちに背に回された腕が震えていて、理解が及ばないまでも、わかり合おうとしているのだと、そんな情動が流れてくるような気がした。
貴方も此処に居るの。
少しでも、伝わっていますように。
そんな祈りを込めながら、布の中に顔を埋めた。



(2018/05/05)

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