□Matrix-2
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「今更ですが。シノブは……恐怖を感じないのですか?」
「?」
忍は面食らい、コマンドラモンの顔をまじまじと見つめた。彼はまっすぐに忍を見返していた。彼女はこの恐竜の軍人の瞳が思いの外美しいことに気が付いた。鮮黄色のそれは透明度が高く、濁りがない。
「リアルビーイングからすると、自分は異形で、恐ろしく、到底受け入れられる存在ではないはずです。しかも自分は何故リアルワールドにいるのか、その記憶もなければ……自分がどういう者なのかさえよく覚えていない」
「……ええ」
忍は既に彼の事情は聞いていた。気がついたらリアルワールドの地面で倒れていたこと、自分が何処で何をしていたのか分からないこと、自分のデジタルモンスターとしての種族名が「コマンドラモン」であることだけが、アイデンティティーであることなど。
「そんな自分をシノブは受容し、あまつさえ信用して家に置いてくれています。自分と同じデジタルモンスターでさえ、そんな事が出来るものは少数だ。……シノブ、貴女は何故このコマンドラモンを受容できるのです?何故、デジタルワールドに純粋な興味を抱けるのです?」
もっともな質問だ。だが、忍の答えは些か常軌を逸していた。
「好奇心の前には、どんな心配や恐れも無力よ」
コマンドラモンは目をしばたたいた。半分吃驚からの、半分呆れ返りからの。彼は惚けた様に「好奇心」と呟いた。
「シノブ、例えば自分はアサルトライフルを所持しています。その気になれば貴女を射殺することができます。……お分かりですよね?」
「射殺されたら、それはそれで本望かも知れないわ」
至って淡々と語られたその答えに、もう一度コマンドラモンは目をしばたたいた。
「あなたに射殺されるというのは、錬金薬の合成に失敗して爆発を起こして、挙げ句巻き込まれて死んでしまうのと同じよ」
「……シノブ、意味が理解できません」
「要するに、過ぎた好奇心が身を滅ぼすということよ」
しかし、それは寧ろ望むところである。それが彼女の信条だ。
コマンドラモンには、それがどうしても理解できない。上官命令に逆らい、「どうなっているのか興味があったから」という理由だけで敵陣の真っ直中へと駆けて行く兵士がいるとしたら、誰も彼を擁護する者などいないだろう。死んで当然だと皆口を揃えるだろう。それが忍なのだ。如何に浅慮で道理に欠けた行動か、一目瞭然だ。
それにもかかわらず、コマンドラモンは忍が馬鹿だとは思えなかった。彼女が心の求めるままに行動しようが、決して破滅に向かうことはないし、最高の結果がもたらされるとさえ感じるのだ。何故そう感じるのか。その信条には全く共感できないが、圧倒的な強さを以て事態を如何様にもできる究極体――かの者と同じだからではないだろうか。
それは一体誰のことなのか。コマンドラモン自身にも実はよく分からない。自分自身についての記憶と共に、忘れ去ってしまった者なのかも知れない。
「シノブは……寛容というか、少し呑気ではありませんか」
「あなたも大概よ」
すかさず叩き付けられた言葉に、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をするコマンドラモン。それを楽しそうな目で眺めながら、忍は畳みかける。
「私にタロットを習っている時点で。それも、熱心に」
一瞬はっとすると、恐竜の軍人は恥ずかしそうに顔を伏せた。忍は静かに微笑んだ。幽艶で知的で、何もかも分かっているという微笑だ。
「さて、レッスンに戻りましょう。ペンタクルのナイトの何処に、不安な要素を見出したの?」
スピーカーからは、相変わらず激しい洋楽ロックががんがん流れている。