Demon Lord in Ghost Town
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 何処か未練がましく燻るようなエキゾーストの静音が、沈殿した静まり返る空気を撫でるように揺らす。

 静寂は、穏やかなものでもなければ張り詰めたものでもない。それは死んだ静けさであった。元々生きていた者が死んだ後の、寂しく気味の悪い静けさであった。未だ冥土へと旅立てぬ魂が、彷徨を続けているかの様な。見果てぬ夢が、文目も分かぬまま漂い続けているかの様な。

 褪せたモノクロ写真の様な色に染められた街は、音も無くすすり泣いていた。砂に埋もれる如く過去に没していくのを待つばかりの自分にも、栄華を誇った時代が確かにあったのだと訴えかけている様に。
 写真を見てかつてを懐かしむ者はいる。だが、街の過去を懐かしむ者も、気に掛ける者も此処には居はしなかった。

 街は嘆く。凋落する前の己を、墜つる前の明けの明星を、慮れと。せめて光の破片を拾い上げて眺めよと。
 然れど、何処に輝かしさの欠片も見られようか。焦げ茶色に変色したレンガ造りの家々や、錆割れした窓ガラスから落ちた破片が外に散乱している施設、肉が抉れたように外壁が剥がれ落ちている建造物、冬でもないのに道路沿いに生えた枯れ木、半ば苔むした広場、茫々と背丈の高い雑草生い茂る中に立つ何かの記念館……それらに。


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 鉄の獣は駆ける。色褪せたような灰色のアスファルトの一直線道路上を。漆黒の装束に身を包んだ者を乗せ、円形の足を回転させ走る。
 風に煽られ、腕に結んだ赤いスカーフがふわりと揺れた。

 向かう先に見えるは、偉容を誇る摩天楼群が斜陽の橙色光を受けて屹立するさま。地上の全てを睥睨するかのような長躯を見せつける、高架線上の帝王達。
 だが彼らは、ただの亡骸である。栄光を体現するべく仁王立ちしたまま死んだ者の、少しずつ腐食の進む遺骸である。埋葬する者は既にいない。彼らもまた、世を疾うに去った。

 セメント然とした走路と車輪が擦れ合う微かな音をぼんやりと聞き流す。乗り手は濃紺の仮面から覗いた真紅の三眼を、斜陽の眩しさに細めた。
 くすんだ、しかし鮮やか過ぎる現実を、彼は見つめてはいなかった。輪郭のぼやけた淡い色彩の心象風景が、現に染み込むように溶け合って、紅眼に映し取られていた。


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 彼は孤高であるにしても、孤独ではなかった。
 まだほんの成長期だった頃。悪戯友達がいて、一緒に馬鹿げた事をした時もあった。喧嘩をする相手がいた事もあった。腹を割って話せる相手がいた事もあった。彼に憧れを抱く者が、羨望に輝く目で見つめてくる事もあった。悪い気分ではなかった。全部、この街での事だった。

 大帝国同士の戦争で、この街の住民は全員強制移住させられた。遥か遠くの、見た事も聞いた事もないような土地に。
 虐殺しないだけ、相手側の皇帝には温情があった。それには感謝したいと彼は思う。だが、生きていればそれだけ、郷愁に胸を締め付けられる。思いを馳せる心と、いつか帰るための体があるから。

 あれから、彼にとってはうんざりする程長い時間が過ぎた。戦争なんて、とっくの昔に終わった。どちらが勝利したかなど、彼にはどうでもいい話だった。
 色々な事があり過ぎた。移住した先から、この街に戻ってこようと無謀な試みをして失敗した事もあった。強力な敵に遭遇した結果、命の危機に瀕した事もあった。連れ戻されて、こっぴどく叱られた事もあった。
 
 強くなりたいと願った。強くなって、街に帰りたかった。皆を連れて、かつての日々に戻りたかった。つまらない学校、よく遊んでいた公園、レンガを敷いた散歩道、見上げるのが大好きだったオフィスビル、温かい寄宿舎。

 彼は強くなれた。元々特別な才能が備わっていたようで、何回かの進化を重ね、この世に一体しか存在し得ない魔王となった。
 それからは何処へ行っても恐れられるか、崇められるかで、酷く居心地が悪かった。
 他の魔王達とは違い、領土拡大や開拓、征服といった「それらしい」稼業にはまるで興味が湧かなかった。
 彼は真に強くなれた。けれども、戦争は嫌いだった。愛する場所から引き剥がされる気持ちを、よく分かっていたからだった。それだけでも辛いのに、その場所を壊された時の事など、考えたくもなかった。
 彼はただただ街に帰りたかった。


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 ハンドルを右方へ切り、ブレーキを掛ける。鉄の獣はターンし、軋むような摩擦音を立て、静止する。
 ゆっくりと鉄の獣から降りた彼は、眼前に巨体を構えるレンガ造りの建造物を見上げた。
 変色し、所々剥がれ落ちた外壁。アーチ状のエントランス。上方に掲げられた、針が止まってひび割れた時計。サッシが錆びた窓。
 
 不意に、間欠泉の如く色々な事が一気に思い出され、彼の心を満たした。授業をよく友人と結託して抜け出した事もあった。屋上で昼寝しているのを先生に見つかり、引っぱたかれまくった事もあった。テストで赤点を取った事もあった。もう少し頑張れと叱咤激励された事もあった。それで、面倒臭くなって拗ねた事もあった。
 けれど、出来が悪く、態度も悪い奴だったけれども、誰も彼を馬鹿にしなかったし、邪険にもしなかった。どんな事があっても、彼は皆が大好きだった。

 
 視界が不意にぼやけ、彼は目を静かに閉じた。
 仮面の内側を、冷たいものが三筋、流れていった。

 帰って来た。強さを手に入れ、帰って来た。なのに、この虚しさは何だろう。
 皆で、帰りたかったんだ。
 両拳を強く握りしめる。悪魔は泣いてはいけないと良く言われる。だが、我慢はしなかった。今は他に誰も居ないのだから。何と皮肉なことだろう。他に誰か居て欲しいのに。街の皆が、居て欲しいのに。

 ――ぽとり。
 
 死んだような静けさに沈む街の地面を、静かに涙滴が打った。
 建物の横から顔を覗かせた陽が、橙赤色の柔らかい光で彼の半面を照らし出した。
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