Matrix-2
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 一面が白い。理想の白だ。一切の可視光と穢れをにべもなく撥ね付けた、至高の純白だ。

 タイル同士の隙間や上方と下方の境界を示唆する野暮ったい存在は無い。有限な規模の建造物内にあるのだから果てしない筈はないのだが、白きこの空間は宇宙空間の如く視覚には捉えられる。球体表面を滑るように一方向へと流れる電子情報の光は回路を浮き彫りにし、失いそうになる方向感覚を繋ぎ止める。

 マグナモンは浮かんでいる。
 床から天井を突き抜け、空間の中央を貫くように存在する角柱の中に、彼は居る。――とはいえ、角柱は透明性が究極的に高く、絶対に視認できない。そしてその硬度は最大限精錬されたクロンデジゾイド鋼にも匹敵し、並の究極体どころか、それこそロイヤルナイツが暴れた所で傷一つ付かない。
 柱内には、微細な0と1の片々が大量に浮遊している。これらはマグナモンの穿たれ覗き穴のようになっていた脇腹の傷に流入して塞いだり、時折彼がアクセスするイグドラシルのデータベースの内容呼び出しに使用されたり、それなりに忙しい。

 マグナモンは今、眼を固く閉じている。
 視覚から入る情報量は非常に多い。これをシャットアウトするだけで情報処理機構への要らぬ負担を減らせるし、思考の海へ沈潜しやすくなる。それに、この自分以外の全てが白く一様な空間を長時間視ていたら、いくらロイヤルナイツでも気が狂いそうになる。かといって眼を閉じるのも癪だったりするのだが、こんな所に居なければならないのは、偏に治療のためである。

 (何て不便な体になってしまったんだ)

 マグナモンは思う。
 かつてロイヤルナイツには、至上の特権があった――「幾ら死んでも生き返る」という特権が。些細な負傷は勿論、重傷を負う事すら何の問題もなかった。体を張ってセキュリティ最高位の守護騎士としての責任を果たすことは義務でこそあれど、覚悟を伴うものではなかった。

 自分達の命はあまりにも安いものだった。それに引き換え、他のデジモン達の命の何と儚く尊かったことか。いや――今だって尊い。けれども、こうしてイグドラシルに見放され、「その他大勢」と同じ存在に成り下がってしまうまでは――ダークエリア行きを運命付けられているデジモンはそっと扱わねばならない壊れ物であり、ロイヤルナイツとはそれを繊細な手つきで管理する者である、という図式がはっきりしていた。必要とあらば少数の「壊れ物」を木っ端微塵に破壊して多数の「壊れ物」を守らねばならないとしても、繊細な心を失う理由はなかった。
 ロイヤルナイツは、剛胆さとデリケートさを兼ね備えた者の集団だとマグナモンは考えている。戦いに臨むには胆力を備えていなければならない。守ろうとする意思は愛に由来せねばならない。愛ではなく守護騎士としての義務に帰属させる方が妥当と言えようが、マグナモンはロイヤルナイツに名を連ねる聖騎士達の温かい心を信じていた。

 壊れ物になってしまった自分達は、その他大勢と同じく、繊細な心を以て慈しむべき存在になった。場合によっては、自分の命を優先して他の「壊れ物」が砕け散っていくのを容認しなければならない事もあった。いや――それは必然的であり続けた。
 ロイヤルナイツという組織は基本功利主義を立脚点とする。同じ壊れ物なら、より多くの壊れ物を守れる力を持つ方を選ぶ――即ち、必要とあらば自分だけ助かる方を選ばねばならなくなった。

 自分だけが助かる事を選び続ける事で、いつしか本当の腰抜けになってしまうのは怖かった。死してデータの屑になるより怖かった。騎士たる者は如何なる時も勇敢であらねばならぬ、と。
 だが冷静になってみると、自分は勇敢どころか無謀で、その上馬鹿以外の何物でもなかった。デスモンの挑発に乗せられ、まんまとその掌上で踊らされただけ。自分は素直に身を引き、デュークモン一人にデスモンを相手取らせれば良かったのだ――結局彼が異次元空間に転送されてしまう事になるのならば。デュークモンが全力で戦えば、無傷でデスモンを葬り去れた筈だ。「紅の聖騎士」は、自分より圧倒的に強いから。
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