Matrix-2
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 停滞した昏き混沌の中。片や自信を剣もろともへし折られた幽鬼、片や持てる力の半分たりとも出せず懊悩する騎士。脱出画策者の拙策拙攻を嘲笑うかのように、忌まわしき出自の異形はその巨眼で彼らをねめつけ、唾液に塗れた肉厚の舌をでろでろと上下に動かす。万が一理性というものを持ち合わせていたら、それはただひたすら愚かな侵入者を弄び、戯れる事を助長するのみに使われているのであろう。

 幽鬼――ダスクモンは、苛立たしさと悔しさ、そして怒りの混合した感情に歯噛みしていた。
 怪物の足を一本ずつ切り落とす事で、力を削ぎ落とすと同時にその組成データを妖剣“ブルートエボルツィオン“より吸収し、必要とあらば後でデュークモンに明け渡してやる算段であったのに、まず計画の第一段階で頓挫してしまった。それどころか、己の腕にも等しき剣が一本、怪物の栄養物になってしまったのだから。

 騎士――デュークモンは、甚だしい焦燥感を覚えていた。
 創世の予言書に記された通りロイヤルナイツに任ぜられ、幾度となく神の命によって危険な戦いへと身を投じようとも、味わった事のない激しい感覚だ。電脳核が異常に発熱し、パルスの振動数が上昇するのに合わせ、視界が微かに上下にぶれる。

 かの七大魔王に列席する者と対峙した時も、地上界に現れた堕天使を粛清した時も、一切を破壊しようと大地を蹂躙した機械竜を破壊した時も……あれらは本当に危殆な状況ではなかったというのだろうか。彼処に全てを睥睨し嘲笑するように鎮座する魑魅、あれが何よりも強大であるというのだろうか。
 
 それでも、何とかしなければならない。如何なる状況下に置かれようとも――。デュークモンは己に言い聞かせ、そして問いかける。お前は誰だ? デジタルワールド最高位の守護騎士、ロイヤルナイツが一人、デュークモンだ。我が命は限りある儚いものとて、惜しむものではない。譬え蛮勇であれ、振り絞るべきだ。足掻ける限りは、如何に泥臭く愚かしく見えようとも、やれる事ならば全て試すべきだ。
 
 ならばどうすべきか。デュークモンは高速で思考を回転させる。――恐らく、自分の槍とてダスクモンの折られた剣と同じで、何の役にも立たないだろう。振るえねば真に力を発揮できぬこの聖なる業物は、どろどろとタールの様に高粘度の空間内では無力に等しい。
 だが自分の武器は一つではない。そう――盾がある。防御する為だけにあるのではない、聖なる大盾がある。
 彼の電脳核は今や、一つの答えに辿り着いていた。デュークモンは、隣の虚空に浮かぶ共闘者に呼びかける。

 「ダスクモン、作戦は中止だ」

 漆黒の幽鬼は、顔に付いている二つの目玉と、纏っている鎧に埋め込まれている多くの目玉とを、一斉にデュークモンに方にぎょろりと向けた。

 「……何のつもりだ?」

 「このデュークモン最大の技を、この場から叩き込む」

 生半可な物理攻撃が通らぬ以上、そして電脳核に直接技を叩き込める位置まで移動するには、危険すぎる事がはっきりしている以上――獄炎の息を吐かれたら最期、一度目と同じように運良く防げる保証は全く無い――、残された選択肢は僅かしかない。それに全てをつぎ込んでみるのみだ。デュークモンは決してやけを起こしたわけではない。
 ダスクモンは一瞬瞳孔を拡大させ狂人でも見るような顔をしたが、直ぐさま性格に騎士の意図を汲み取った。しかし次の瞬間には狂人を見るような顔に戻った。

 「大技を連発して奴の躯を削りきろうとでもいうのか? どういう技なのか知らんが……いたずらにお前の命が削れるだけかも知れんぞ!?」

 「悠長に構えている暇ではない! 命を危険に晒してでも、危険を回避せんと努めるべきであろう……未だ可能性が潰えていないのならば!」

 純白の甲冑に身を包んだ騎士は毅然として言い放った。ダスクモンはその語調の強さに思わずひるみ、口をつぐむ。それ以上の反論を許してくれそうな雰囲気ではないのだ。
 デュークモンは非常にゆっくりとした動作で――ねっとりとした空間の妨げゆえだが――大盾を自らの真正面に据え、遠方に鎮座する怪物の方に向ける。
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