Matrix-2
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 昼間なのに締め切られたカーテンの内側には、奇妙な光景が広がっている。
 白い木製テーブルの脇に置いてあるコンポのスピーカーからは洋楽ロックが流れ出し、怒濤のような演奏とまくし立てるような歌とで空気を荒々しく震わせる。スピーカーは入り口の方に向けられ、部屋に入るものを威嚇するようだ。
 音楽をじっくり鑑賞するでもなく軽く聞き流しながら、彼女はテーブルの上に一枚一枚タロットカードを丁寧に並べていく。
 神秘的な美女だ。背までまっすぐ伸びた艶やかな黒髪、鋭さと気怠さを同居させた流麗な切れ長の眼、それにはめ込まれた黒真珠の如き瞳、それらとは対照的に新雪のように目映い肌。すっと通った鼻梁と程よい厚さの唇も見事で、名うての彫刻家によって造形されたようだ。アジアンビューティーという言葉は彼女の為にあるのだろう。

 彼女――亘理忍は、巷、主に大学構内で自分が魔女だと囁かれていることを知っている。それは外見がそのようであるというばかりでなく、彼女が文学部で魔術やら占星術やら錬金術やら――要はオカルティックな主題を熱心に研究しているからだ。表情の乏しさと卓越した美貌が相乗効果で生み出す近寄りがたい雰囲気も手伝って交友関係は極端に狭く、数少ない友人でさえ一歩大学を出れば彼女が何をしているのか全く知らない。
 いつだか小耳に挟んだ話によると、「亘理さんって秘密結社とかに入ってたり家で怪しい実験やってたりしてそうだよね」という評判らしい。どうせそんな事を口走るのは女だ。“薔薇十字団”とか“黄金の夜明け団”とか、もっというと“フリーメイソン”にも興味があるのは事実だが、決して関わり合いたくはないし、いわゆる怪しい実験というやつだって、興味はあるが試してみようとは思わない。偉大なる錬金術師ニコラ=フラメル様の書物を読んで実験を追体験するだけで十分だ。全く世間とはたちが悪いものだが、火のない所に煙は立たないので文句は言えない。ただ、彼らには忍が自宅でこんな激しくて乱暴な曲を聴いているとは予想も付かないはずだ。
 もっと静かでしっとりとした、例えばクラシックのような曲がかかっていると雰囲気が出るものだということは忍も重々承知している。しかし、どうしても部屋をうるさくしておかねばならない理由があるのだった。 
 忍はカードを繰る手を止め、残りのタロットをデッキにして床に置いた。テーブルの上には今や十枚のタロットカードが大アルカナ小アルカナ問わず、整然と並べられている。絵の種類は“ライダー版”と呼ばれる最もよく知られたもので、通販で廉価で入手したものだ。注釈書も国内で最大数に昇るので、一番勉強しやすい。

 「さあ、コマンドラモン。今回のお題は『不安』よ。この中から、何となく不安を覚えたり厭な気分になったりするような絵柄のカードを三枚選んでみて」

 「イエス、シノブ。……うーん、難しいです」

 難儀そうに唸る声が、テーブルの向かい側でした。
 異様な存在がそこに腰掛けていた。プレートキャリア、ヘルメット、全身を硬質で滑らかな鱗、それら全体に隙間なく貼り付けられた、蛋白石のように見る角度や光の具合によって色彩を変えるテクスチャー。「恐竜の軍人」、一番的を射た表現だろう。床には黒々とした無機質なアサルトライフルの痩躯が横たわっている。数ある種類の中でもこれはM16A4というやつで、レシーバーだかレールだかのお陰で光学機器の容易な付け替えが可能らしい。銃器のことはからきし分からない忍は、それを覚えるだけでも精一杯だった。
 
 忍は詰まるところ、この異邦人――コマンドラモンと安全に会話するために、音の障壁を発生させて防音対策をしているというわけだ。お互いに相手の使う文字が理解出来ないため筆談という手段はとれない。一人暮らしをしているわけでもない忍にとって、彼と情報をやりとりするには他人にばれないように会話する他ない。軍人の格好をしている恐竜を匿っている、しかもアサルトライフルを持ち込んでいるということが知れたら、どんな目に遭うのか考えるまでもない。

 「直感で選ぶのよ。タロットに型にはまった正解なんてないし、もっと気楽に考えること」

 「気楽に、適当に……」

 恐竜の軍人――コマンドラモンは気難しそうに腕を組み、テーブル上のタロットカードを一枚一枚つぶさに眺めている。仔細に検討しているのだろう。適当に選べといわれても、そう簡単にいくかと言いたげな表情だ。 
 暫しの熟考の後、彼は自分の意見を固めた。
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