Matrix-2
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 マグナモンがネットの海に臨む断崖にてデスモンを討伐し、負傷した躯のまま帰還して間もなく。デスモンに転送プログラムにて放逐され、未だ負のデータの溜まり場をデュークモンが浮揚していた頃。

 ヴァルハラ宮――聖騎士達の城にして、世界樹の名を冠した電脳世界の唯一神、「イグドラシル」が最深部に鎮座するとされる聖域。

 地上7,000メートルか8,000メートルに達そうかという険峻な銀嶺の頂きに偉容を誇るその大宮殿は、あたかも塵界の喧噪とは無縁であるかのように、寒々とした静寂の中に佇んでいる。

 聖騎士の象徴である十三の尖塔は天を衝かんばかりで、円形を成して聳え、彼方の神域を抱くように群れる。うねる北極光の移ろう極彩色をした障壁を越えることが叶ったのならば、日の差さぬ凍える極夜の漆黒を映し取った外壁を目にすることが出来るだろう。

 高潔や正義の権化として戦いに身を投じる者達の居城としては、およそふさわしくないであろう色を。

 しかし、聖騎士団を発足させ、城の建設を提唱した皇帝竜はこう言った。

 ――純白ならば、染まってしまう。脆すぎると。


 確固たる信条の元、騎士は行動しなければならない。

 心が揺らいではならない。もはや何ものにも染められない漆黒として、その信念の命ずるままに戦わねばならない。

 そしてまた、時には犠牲を厭わず信念を満足させることを覚えねばならない。清廉なる正義とは呼べぬであろう信念を。

 その証として、城は黒くする。

 しかし、皇帝竜とて、無軌道に信念を掲げよといったわけではない。
 神意を逸さない限りにおいて、信念を貫けと言ったに過ぎない。

 だがもはや、ドゥフトモンは知らない。神意とは何かを。

 彼は不毛な自問自答を繰り返す。

 ――神意とは何だ。

 予言に依りて我々をセキュリティ最高位の騎士に任じておきながら、何の前触れもなく見限り、咎もなしに不死性を剥奪し、命に限りある脆い存在に堕したのが神意なのか?

 神は死んだのだ。

 喩え大樹は未だ枯れずに屹立しているとしても、死んだも同然ではないか――

 その千々に散逸しそうな心を、かろうじてドゥフトモンを繋ぎ止めていたのは、聖騎士達を束ねる者としての地位だった。

 ドゥフトモンはロイヤルナイツ創設時に皇帝竜より司令塔に封ぜられ、爾来ヴァルハラ宮に常駐し、有事の際にはロイヤルナイツ全員に事の次第を通達し、必要とあらば指示を出す権利を行使してきた。

 かつて束ねていた矢数は十二もあった。

 しかし、ベルフェモン討伐に駆り出された同胞は、神の加護を失って冥府のあなぐらを漂う二進数の塵と成り果てた。

 イグドラシルに神意を問うべく赴いたオメガモンには、何の咎あってか天誅が下された。

 ロードナイトモンは“希望”を逃がす代償に、魔王の凶刃に斃れた。

 デュークモンは異空間に放逐され、帰還は叶わぬやも知れない――。

 今や、矢の総数はたったの5本。

 握り込んだものは余りにも少なくて、掌底に爪が食い込みそうだ。

 だが、手放すわけにはいかない。自身の自己同一性を守り通す為にも。

 最後の一本だけが残っても。

 黄金の鬣を緩やかに波打たせる黒豹を模った簡素な甲冑を纏い、背より天使のそれに似た純白の翼を二枚生やした聖騎士は、悲愴ですらある覚悟に突き動かされて、ディスプレイの前に佇立していた。

 ディスプレイ以外の一切に背を向けた状態の彼は無防備という他ないが、波動感知センサーは意図的に切ってあった。センサーを起動し続けるのは単純に疲弊するからというのが一つ、そしてそれ以上に――彼を背後から強襲するような輩が侵入するような事態は、金輪際発生しない、してはならないという“安全神話”への盲目染みた信頼ゆえだった。

 しかし、突如階下から掛かった声に、その神話が崩壊する音をドゥフトモンは聞いたような気がした。
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