Real-Matrix:ADDITIONAL
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#2 三者三様の時空 three different ways to another digital-world:LordKnightmon

 彼には分からなかった。自分は落下しているのか、上昇しているのか? ただ視覚は混じりけのない闇のみを捉え、聴覚は何ら機能せず、方向感覚と平衡感覚は狂い、全身は名状しがたい種類の圧力と空間のうねりとに絶えず悲鳴を上げる。

 外界からの干渉をシャットアウトし、自己の内的世界にのみ浸れるのだとしたらどんなに気が楽な事だろうか。その位彼を今支配している感覚は苦しい事極まりないものである。しかし外部から情報を仕入れるのを中断するという事――それはおそらく死へと向かう事に等しいのだ。今こそ、外界で何が起こっているのか――自分の身に何が起こっているのか、これから何が起こるのか、全神経センサーを張り詰めてしかと感じ取るべきなのだ。――何一つ得られた情報は今後の役には立たないかも知れないが。

 
 ただ、彼は頭で今何が起こっているのかぼんやりと分かっていた。そう、今自分は“次元の歪み”に吸い込まれているのだ。幸運な事に、歪んだ因果律、演算の中にあっても五体はばらばらにならずに済んでいるらしい。だから、こんな風に思考したり体で感じたり出来ているのだろうから。

 
 いやそれ以上に、どうあっても五体が引きちぎれるような事態になどあってはならない。自分はロイヤルナイツで、その聖なる守護騎士集団の中でも取り分け重大な役目を担っている、言うなればデジタルワールドの未来を左右するやも知れない役目を――もはや無意識のレベルにまで到達したその意識が、彼を最も「死」というものを恐れさせていた。死ぬときは死ぬものだが、意識の続く限りでは出来うる限りそれを避けなければならない。


 
 突如、昔の事が頭を過ぎった――ロイヤルナイツがかつて不死者であった時代の事が。あの頃、確かに自分は永遠を生きるのだと思っていたのだ。デジタルワールド在る限り、自分がデータの屑に散らかされ、ダークエリアという共同墓地に入ることになるなどとは考えもしなかった。死とは彼岸の話であり、自分達ロイヤルナイツという祝福を受け、栄誉に浴した者達とは別世界の話であるとすら思っていたのだ。
 
 そんな自分達も、皇帝竜の聖騎士がイグドラシルの予言の通りに組織結成を宣言し、予言に記された騎士として導かれるまでは、ただの常命者――つまり死せる者だったのだから全くおかしな事だ。

 これから自分はどうなってしまうのか? この次元を超越した歪んだゲートに呑み込まれて、二度と吐き出してもらえないのだろうか? 自分の使命を全うさせてはもらえないのだろうか? もしかして、このままこのうねる闇の中を激流に運搬されるのみなのか? ――未だかつて感じた事のない不安が、黒雲の如く彼の電脳核を覆う。

 
 突如、視界が明転した。長いトンネルを抜けた先に開けた雪国の様に、目映く綺羅綺羅しい光が視覚センサーを刺激した。あまりにも突然だったので、急激な明暗差にセンサーが付いて行けないかも知れないと思った。
 
 だがそれはほんの一瞬で、ともすればただの気のせいという他ない程短い時間だった。瞬く間に光が失せ、また闇が戻ってきた。しかし元の闇とは全く違う――全身を絶え間なく襲っていた外部圧力が失せているのだ。それだけではない、視界がやはり闇だとは言っても、それは完全な闇ではなく、ほんのりと薄明に照らされているような暗さだ。例えば――月影など。
 
 その瞬間、彼は気付いた。ようやっと気付いたと言うべきかも知れない、己の身体が落下しているということに。それもどうやら、顔面かららしい。

 自分の纏う薔薇輝石の甲冑は生半可な硬度ではないが、重力加速度に身を任せて落下し全身を殴打でもしたら流石にただでは済まないだろう。そこで彼は落下しながらも器用に体を少しずつ縦に向けていった。加速度に抵抗するのは実際至難の業だが、彼自身は尋常ならざる存在故、大した問題ではない。
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