Matrix-0
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#1 黎明は闇に散る薔薇と共に……

 
 昼夜、天を覆い尽くすは黒雲だ。

 陽光も、月光も一筋すら通さず、厚く垂れ込める。今にも篠を突く雨が降り注ぎ、雷鳴が轟きそうな危うさが漂っている。

 だが実際には完全に渇水し、ひび割れて大きな裂け目を幾つも作り、草の一本も生やさぬ広漠な大地にも、黒霧が立ちこめる。彼方を見晴るかす事は叶わない、まさに五里霧中である。

 そして、何者かの呪詛あるいは悪意を思わせる、邪な気配が辺り一帯に充満する。それがまるで黒雲と霧という形を成しているのだと思わせる程だ。此処が、ダークエリアという深淵、いわば地獄界の直上に位置しているからなのだろう。

 一人の騎士が荒野を駆けていた。

 おおよそこの禍々しい空間には似つかわしくない、華やかで美しい騎士だ。暗黒の中で彼の姿だけぼんやりと紗幕を通したように浮かび上がっているのは、彼自身が輝きを放っているからなのだろうか。すらりと均整の取れた肢体に纏うのは薔薇輝石の色をした流麗な鎧で、肩から黄金色の帯刃が伸びており、彼が足の運びを変える度風になびくように揺れる。

 晦冥を抜けた先には、さながら日を受けて綺羅綺羅しい細氷の柱のような光の楼があるのを彼は知っている。そして、其処へ向かって足を馳せているのだ。

 この電脳世界――デジタルワールドに数個存在する、別位相世界へのエレベーターの内の一つだ。アクセスポイントと呼ばれたりもするが、その事実は半ば風化した伝説と化されていて大衆の与り知る所ではない。他世界への干渉によるみだりな節理の「歪み」を懸念して、意図的にこの世界の守護者がそうしたのだ。
 しかし、時として「歪まねばならない」場合もある。その為にこのアクセスポイントは存在していると言えよう。

 何を隠そう、彼――ロードナイトモンは自身守護者聖騎士集団ロイヤルナイツ――の一員であり、アクセスポイントの存在を秘匿した者の一人なのだ。

 彼はその秘する異世界への扉たる煌めきを目指しているものの、自分が異界へと行くためにそこを目指しているのではない。

 振り返ると、後ろから、薄紫のなめらかな体毛をした不思議な動物が付いて来ているのが見える。
 名はドルモンという。大きさは大型犬ぐらいだろうか。しかしその外見は奇妙である。狐のような尻尾にぴんと尖った両耳。爪は大きく鋭い。そして何より額に埋め込まれた、逆三角形の赤い宝石のようなものが、この生物の特異性を雄弁に物語る。
 ドルモンはロードナイトモンの飛ぶように軽やかな足取りとは反対に、せわしなく短い四肢を動かし精一杯眼前にぼんやり見える姿に付いていこうとしている。その様子が本当に微笑ましいと思えると同時に、騎士の胸の内に寂寥の念が込み上げて来る。

 今はまだ見えて来ないが、光柱に辿り着いてしまったら、もう永らく、いや、もしかするともう二度と――ドルモンとは逢えなくなってしまうだろうと分かっているから。
 そう、この可愛らしい連れをへとある異世界へと送る事こそ彼の目的であった。
 節理を歪め、デジタルワールドを元に戻すために。
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