□Matrix-1
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「ドルモン〜、リュウキがきずつくのいや〜……。にげて〜……」
紫の動物の懇願を、龍輝は頭を振って無下にした。
「そんなこと言ったって!」
「うえあぶない〜〜〜!」
今度はドルモンの警告で、龍輝は上方に咄嗟に目をやると、真紅の爪がすぐ近くに迫っていた。
自分が避けたら、ドルモンに直撃する。しかし、ドルモンを引っ張ろうにも、間に合わない。
客観的に見ても、主観的に見ても、自分が避けた方が断然いいに決まっている。ドルモンを見捨ててあそこに転がっている花束を拾って、病院にさえ行けば、ほんの束の間見えた非日常からは永遠に遠ざかって、また普通の平穏な生活に戻れるのだから。
平和で平凡な生活を、死んで捨てるなんて大馬鹿だ。母よりも、学校の友人よりも、「得体の知れない」生物を取るなんて、傍から見たら馬鹿で不道徳に見えるだろう。しかし龍輝は、自分はその馬鹿で不道徳的な事を正しいと信じてやっているのだ。仮に大怪我をしてもすぐ近くに病院があるから大丈夫だと無意識に思っているのかも知れないが、何よりそうしなければならないと強く信じているから。
それが、自分の責任なのだ。
酷く時間が長い。
粘稠な蜂蜜にでもなったみたいだ。
彼は逡巡の間に、目をぎゅっと瞑った――恐ろしい「結果」から逃れるように。
須臾経って。
刹那経って。
一瞬経って。
一秒経って。
二秒経って。……
その「結果」は訪れなかった。
まさか、見逃してもらえたのかなどという万に一つも有り得ないような事を考えながら、ゆっくりと目を開き、頭を上げる。
そうして、龍輝の両眼に映ったものは。
無数の0と1の羅列の帯で構成された、薄光の半球が一人と一匹の周りを包んでいた。
真紅の爪は半球の表面で停止を余儀なくされている。全力を込めているのか、漆黒の細腕から爪に掛けて小刻みに震えている。忌々しげに口を歪める漆黒の竜。間近で見ると人間三人くらいの大きさがあると分かった――圧倒的だ。龍輝の胸の内に改めて恐怖が湧き起こってきた。
――それより、この光は一体――?
龍輝は、ふと左手の違和感に気付いて手に目の前に持って来る。
「……何だこれは……?」
いつの間にか握られていたもの――
ドルモンの紫の体毛と同じ色の、四隅が凹んだようになった端末。中には精密な回路が埋め込まれているのが透けて見える。ちょうど自分の指がおかれているのは上部に二つ、下部に一つの白くて丸いグリップ部分。中央には――光の帯を外界へ発する円いディスプレイ。どうやらその光の帯が、この自分達を護る半球を形成しているらしい。
助かった――それに胸を撫で下ろすよりも、龍輝は何がどうなっているのか、ますます理解出来ず混乱した。
いつの間にか麻痺症状の治ったらしいドルモンがむくりと体を起こすと、まだ自分の胴体を掴んでいる両腕をするりと擦り抜けて、周囲をきょろきょろと見回す。
「リュウキ〜?」
自分を探す声の元気な様子に、龍輝は昏倒しそうになりながらも少し安心して、ひとまず返事を寄こしてやる。
「俺は此処だよ」
歩道に座り込む龍輝の姿を見つけて、ついでその左手に握られた光を放つ端末を見て――ドルモンは喜びに両目を輝かせた。
「リュウキ〜、やっぱりドルモンのテイマーだったんだね〜!」